第15話 雲と蜘蛛


 湖もとい沼地にたどり着いた俺は神界を発動させる。神界は人間の目には見えない。俺も身体は人間に近いが神の血があるという事でよく神界が見える。透明な膜に包まれているような感じだ。


「まぁまぁ、どうですか? 湖は?」

「え、ええ。綺麗ですよ。お嬢様」


 いや、汚い。どう見ても沼地だ。相変わらず水中は見えない、水面は淀んでいる。これを嘘でも綺麗と言わなければならないアンハイには同情する。

 しかしマラーレーイはどこだ。今頃、ラーケージと話していると思ったのだが気配が無い。神界は外からの気配は分かるはずなんだが。


「ふう。お昼にしましょうか」

「湖の近くではもしも大蜘蛛が出た際、足場が心許ないので芝生に参りましょう」

「むう、湖の近くが良かったのですが分かりましたわ」


 チューリとアンハイは沼地から少し離れた大木の下に広がる芝生に座る。当たり前だ。あんな沼地に座りこんだらどんな不愉快な虫や生物が身体を這ってくるか分かったものではない。


「アンハイの料理はとても美味しくて……あら?」

「どうしました? お嬢様」

「雨ですわ……」


 何を言っているのだろうか。と思ったが脳裏に映ったのはラーケージ。まさか。まさか上か!


「二人とも! 今すぐ逃げろ!」

「な、何を――うわっ!?」

「きゃあああ!?」


 落雷。幸いにも大木が避雷針となり、直撃は避けられたが大木は炎上してしまう。


「危ない!」


 大きな枝が崩れ落ちて来た。しかし焦ったのはその真下にチューリが居たからだ。神血を注いでいない大地では助けることも出来ない。アンハイも急な落雷に態勢が崩れている。俺しか居ない。


「うおおおおおおお!!」

「きゃっ!?」


 小さな体でも神血が流れている俺の力ならチューリほどの体格を押し飛ばすのは簡単だった。けれどこの一は――チューリは大木の枝が降りてくるギリギリで回避できたが、俺は。


「ぐほっ!?」


 下半身が潰された。う、動けん。痛みはない。が、動けなければ意味は無い。足が潰れて神血が地面を濡らしているのが救いだ。


「アル! アル! どこ!」


 地面に倒れたチューリは両手を振りながら俺を探すが、二度目の落雷が起きてしまう。


「きゃあ!?」


 今度は少し遠くの大木へ落ちたため直撃も間接的被害も起きなかったがチューリを恐怖で震わすのには充分だった。地面に頭を付けて怯えている。


「お嬢様! こちらへ!」


 そこへ態勢を立て直したアンハイがチューリを抱きかかえた。それで良いから逃げろ! と叫びたかったが腹部に上手く力が入らない。下半身が潰された障害か。


「アンハイ! 私よりもアルが!」

「いい……! 逃げろ……!」


 声になってるのか分からないが、アンハイは理解したようだ。こちらに頭を下げると森の中へと逃げていってしまう。


「こっちにアルが居るの!? アンハイ! 答えて!」

「……」

「アル! やだ! アル!」


 消えゆく悲痛な少女の叫びを聞きながら俺は枝をどうにか押し退かすがまだ身体が再生しきれていない。恥骨と大腿骨周辺が砕けてしまっている。


「くそ……ラーケージめ」


 上空を見上げると大きな黒い雷雲が俺を見下ろしている。なんて醜い雲だ。晴天を返せ馬鹿。だんだんと近づいてきているよう気がしてきた。だんだんと黒いものが目の前に……来てるじゃねえか!


「うおおおお!?」


 体を転がし、なんとか黒い巨体を避ける。落ちてきたのは生物だった。足が何本も生えた大きな蜘蛛だ。


「……しくじったな」

「うっ……ユマロー……」


 マラーレーイは複眼が数個潰れていたが残された目で地面に這いつくばっている俺を見下ろした。どちらも満身創痍だ。


「堕天神」

「その声は……」


 雷雲からゆっくりと降りてきたのは 四枚の純白の羽を持ち帯電したせいで白くなってしまった長い髪を一束に結びあげた雷の女神が降臨した。スレンダーな身体は帯電した電流が駆け巡っている。しかも俺を見る目はゴミを見る目そのものだ。


「久しぶりだなラーケージ」


 骨は段々修復出来てきた。話せるくらいにはだが。


「……? 誰だ貴様は」


 どうやら本気で分からないらしい。神なら姿形など些細な物。魂で誰かを判断できるはずだ。それなのに分からないとなると本気で忘れているな。


「おいおい。はっ! 覚えてねえなら良いよ」

「私が堕天神と知り合うはずもないしな。だが、貴様の様に分を弁えない神崩れは許せん」

「俺が何をしたってんだ……」

「罪状は土着神の勝手な行いに対する幇助。そして神でも無いのに神界を使ったな。上からすぐに分かったぞ。たわけが」


 気配が無いと油断しすぎた。それもそのはず、こいつは雷雲に乗って話をしていたのだ。沼地から大分離れた上空の気配など分かるわけがない。それでも油断した俺のせいだ。どうする俺。

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