第12話 仕舞い


 奴隷の神に選ばれたらしい元巫女であるチューリの家から帰り一週間が経った。一週間で調べて分かった事はチューリの言っていた湖はあの沼地だったという事。

 確かに昔は湖と沼は分かれており、とても見事な湖だったとこの家の家主であるグルトが言っていた。つまりチューリが言っていた神の名前マラーレーイとはあの蜘蛛の事である可能性が高い。それは蜘蛛がチューリの先祖に世話になっていたという話からも分かる。チューリという巫女は未だに湖だと勘違いしている沼地に祈りを捧げている。滑稽な話だ。そんなチューリを救いたいと言うマラーレーイも神様とは思えない人間臭い奴だな。ま、俺としてはユマローの居場所さえ知れたらどうでも良いがな。

 そんなわけで一気にあの沼地の事情から興味が薄れた俺は『旧神誓約書』を読み返しながらユマローという人物について考察していた。

 まず、ユマローは豊穣の神だ。農業や土地を守っている。ならば旧神を呼んで自身の土地を守りたいのか? 何から? この土地を踏み荒らした帝国から。

 旧神は人間の信仰なしに世紀の化け物どもと戦っていた底なしの神だ。俺……いや、最高神ロムルジルでも勝てるか分からない。


「復讐か……」

「復讐はいけません」


 凛としていて優しい声が部屋に響いた。どうやら集中しすぎたようだ。部屋を叩く音も聞こえていなかったらしい。無断で入るという行為を彼女はしないだろうから。


「だな。集中していた。すまないシピャーニ」

「いえ、ノックをしたのですが返事が無かったので勝手に入らせて貰いました。ごめんなさいユマロー様」


 仰々しくも柔らかい動作で頭を下げる彼女の方へ視線を向ける。自分でも分かる。俺は彼女を気に入っている。人間で最初に出会ったのが彼女で良かった。とそう言えるだろう。


「気にするな。それよりどうした?」

「下でお客様が来ています。ユマロー様に拝謁したいと」

「俺に客?」


 まさかまた帝国商人の……名前を忘れた。ともかくあのクソガキじゃなかろうな。あれ以降度々礼と称して金や食料を融通してくれているから感謝はしている。スープに味が付いたし、肉料理が増えたからな。料理を作ってくれる奥さんのマリエは大喜びだ。


「商人のクソガキなら会わんぞ。面倒だ」

「あ、ロマ君じゃないんです。見知らぬお爺さんです」


 お爺さん? 人間の終末形態の事か? そんな形態の人間を俺は見た事が無い。つまり知り合いには居ないという事だ。

 しかしノックベルク家に得体の知れない相手の対応をさせて何かあれば面倒だな。仕方ない。今回も俺が出るか。椅子から立つとシピャーニは俺が会うと察したのか、ドアの前から退いて頭をもう一度下げた。なんとも可愛らしい敬虔な信徒だ。


「やぁ、こんばんは。老人」


 階段を降り、食卓に行くとメデスが人形遊びしているのをニコニコと笑って見ている老人がシピャーニの椅子に座っていた。シピャーニが快く貸したのだろう。しかし、まるで見た事がない。黒いボロコートに身を包んだ白髪の老人。死に掛けと言っても差し支えないな。


「これはこれは……ユマロー様」

「……ん?」


 今の声、聞いたことがある。低くて威厳のある声。どこかで……。


「私はマラーレーイ」


 マラーレーイ? あの大きな蜘蛛か? なぜこんな場所に。というか人間に化けれたのか。さすがは醜い化け物にまで堕ちた神だな。きっと村に降りて人間を食うためにある権能なんだろう。


「大蜘蛛。何の用だ?」

「え?! あの大きな蜘蛛さん!?」

「蜘蛛さん人間だった?」


 シピャーニは口を覆い隠して驚いており、メデスもなぜかこの蜘蛛に懐いているのか目を輝かせている。マラーレーイもよく分かったなと言いたげに眉をひそめていた。が、彼は顔を俯かせて話し始めた。


「お邪魔してすまないね。お嬢さんたちよ」

「い、いえ。あ、今昼食の準備をしますね! 食べて行ってください! メデス手伝って」

「はーい」

「ありがとう」


 蜘蛛は神だと教えていたせいか、シピャーニはそそくさと台所に行き、昼食を作り始めた。その間、俺たちは二人きりになり、マラーレーイは本題に入り始めた。


「巫女を見に行ってくれたそうだな」

「ああ。約束だからな。お前も約束守れよ」


 さすがにここでユマローの居場所を聞くのは不審に思われてしまう。そしてユマローではないとバレればこの家に居られなくなるだろう。


「分かっている。どうだった? 様子は?」

「別に。従者と二人で仲良く暮らしてたぞ」

「そうか……良かった」


 自分では会いに行けないのか、とても安堵した表情でマラーレーイは用意された水を飲みだした。まるで自分の子孫を案じているような心配っぷりだ。


「それってこの前の?」


 皿と鍋を置くため戻ってきていたシピャーニが首を傾げる。


「ああ。山小屋に住んでいた人たちの事だ」

「凄い可愛らしい子でお人形さんみたいでしたよね」

「人形?」

「うん! ダテムちゃんと同じくらい可愛いのよ」


 ダテムと呼ばれる人形並みの可愛さとはさすがにチューリに対して過小評価だな。


「そうなんだ。メデスも会いたいな」

「今度お姉ちゃんと遊びに行こうか」

「うん! 蜘蛛さん、私友達になって良い?」

「私に聞く事では無いよ。でも是非彼女と友達になってあげてほしい」

「……」


 その発言に面くらいそうだ。どれだけこの土地神は―――どうしたらこれだけ人間が好きになるのだろうか。

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