第11話 湖

「む……少しお手洗いに行きますわ」




 しばらく沼地の事を避けて、チューリの趣味である編み物や料理の話で談笑しているとチューリが渋そうな表情を受かべそう言った。便に行くときの表情でも分かるが彼女は表情が豊かだ。まるで百面相のようにコロコロ表情が変わる。ある意味、こちらは見られていないが見る方は楽しい。




「お嬢様、では私が……」




 さすがは騎士と言える。そそくさとチューリの傍に寄っていった。けれどチューリはなぜか右手を俺の方へと突き出しむっとした表情を浮かべる。




「良いですわ! それくらい一人で出来ます! それよりこの子に飲み物のお代わりでも出してあげて」


「そ、そうですか。分かりました」




 まるで叱られた子どもの様な顔でアンハイは渋々と鍋の方に戻っていき、共に小屋を出て行くチューリを見送った。するとアンハイはコップを片手に俺の方へ近寄って来た。




「あの沼地の話は遠慮してください」


「ど、どうして? それより湖ってどこにあるの? そんなに綺麗なら見てみたいなぁー……」




 言い終わる前にアンハイの表情がキツクなっているのが分かり押し黙る。だが、しばらしくしてアンハイは目を伏せテーブルにコップを置いた。


 上から覗き込むと透明な飲用物が入っている。まぁ、勘ぐる事も無いただの水だろう。それに神血が作用しているという事は人間が作った毒や効能は効かない。効くのは神の生み出す毒だけだ。




「水です。どうぞ」


「あ、ありがとうございます」


「それを飲んだら出て行ってください。何がなんでもどんな理由を付けてでも。分かりましたね?」




 有無を言わさず威圧を掛けてそう頼んできたアンハイに怖さは感じなかったがこれ以上拗らせて面会拒否になるわけにいかないと感じ、静かに頷いた。




「ただいまーです!」




 なぜか凄い元気な勢いで帰って来たチューリはニコニコと手をバタつかせながら見事俺の肩に触れた。




「ま! 華奢なお肩! と言っても子どもですものね! うふふ、可愛いですわ!」




 触れられた事が嬉しいのか便所に行く前より元気になっている。いや、元気すぎだ。どうかしたのだろうか。




「お、お帰りなさい。どうしたの? 上機嫌だね?」


「アル君! 迎えが来ましたわよ!」




 きっとシピャーニが頃合いを見て名乗りを上げたのだろう。そろそろ日も暮れるし、今日はここまでか。調べ事も出来たしな。




「ほんと!? じゃあ僕帰ろうかな……」




「うー。寂しいですけど仕方ないですね。それにしてもお声が綺麗なお姉さんですわね!」




 シピャーニは誰から見ても綺麗らしい。確かに人間としては姿形顔、三拍子揃って彫刻にしても良いと思えるほどだ。


 小屋から出るとシピャーニがニコニコと微笑んで手招きをしていた。




「ほら、お姉さんに甘えなさいな!」


「え?」




 甘えろ? 甘えるってどうすれば良いんだ。神様は甘えられる側で甘えるという概念がわからない。




「本当にありがとうございます! アル君、帰ろうね」




 しゃがんで目を合わせてきた彼女に少し頭が熱くなった。子ども扱いされて恥ずかしいな。それに名前も伝えていなかったのに合わせられるとは流石だな。




「お、お姉ちゃん帰ろう!」


「……そ、そうだね! 本当にありがとうございました!」




 一瞬なぜか膠着したがすぐに立ち直り何度もシピャーニに感謝しまるで何かを誤魔化すように俺の手を引いて森の中に入っていく。




「またね~! 今度はお姉さんもゆっくりしてってくださいねー!」




 呑気で元気な挨拶を背中に受けながら俺たちは帰路についた。その間、なぜかシピャーニは小屋から大分離れても手を離してくれない。


 それにしてもなんて温かい手なのだろう。人肌とはこのような物なのか。神の体温は無いと言っても過言ではない。多少の温かみや冷たさは分かるがここまで落ち着く体温ではないからな。




「おい、シピャーニ。もういいだろ」


「え、な、なにがです!?」


「手。手を離してくれ。自分で歩ける」




 そう言うとシピャーニは顔を真赤にして手を離し、何度も頭を下げてきた。




「あ、ご、ごめんなさい! ユマロー様!」


「いや気にするな。嫌な気分じゃなかった」


「ほんとですか!?」


「あ、ああ」




 なんでこんな食い気味なんだ……。




「じゃあまた握ってもいいですか!?」


「手をか?」


「は、はい!」




 まぁ握られても問題はないし、人の手は温かいから嫌いではない。




「お前の手は温かいからな。暖が取れる」


「ふふっ。ユマロー様のお手も温かいです」




 初めて言われたな。そんなこと。温かいか。確かにこうやって自分の両手同士で合わせると温かい。人間の体でも良いことはあったな。




「じゃあお手をつないで帰りましょうか!」


「仕方ないな」




 そう言って手を握るとシピャーニはまるで少女のような笑顔で握った手をぶんぶん振りながら家まで帰っていった。

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