第10話 奴隷巫女
巫女が住んでいたのは沼地から離れた場所にあった。木漏れ日に染まる森小屋だ。まるで隠れ住めるように建てられたその家の前には薪割りのための土台と斧、そして馬が一頭紐に繋がれていた。
「こんな場所があったなんて知りませんでした」
シピャーニは両手を握り合わせて目をウットリさせている。どんな感情かは分からないが確かに風景画に出来そうではある。
「子どもの俺の方が怪しまれないだろう。迷子を装って近づく。シピャーニはここで待って良い感じを狙って迎えに来た体で来い」
「分かりました。ユマロー様、お気をつけてくださいね」
「ふっ、安心しろ」
「はい! 頑張ってくださいね」
頭を撫でられる。これはシピャーニのくせだ。弟と妹が居るせいらしい。前まではこれを自然とするたびに恐れおののいていたが今では俺が大丈夫だから心配するなと言っているおかげか頻繫にしてくるようになった。
「そこに誰か居るのか?」
気づかれてしまったようだ。小屋の扉が開き出て来たのは白い服を着て剣を携えた二十代前半位の女性だった。
「出てこい!」
何かを警戒しているのだろうか。いや、怯えている。奴隷の神を恐れているのか、その国の追手か。ならば彼女が巫女か? そんな風には見えないし、明らかに巫女の条件とは合致していない。どちらにしろ俺は迷子を演じるのみだ。
「あ、あの……お姉さん?」
唯一認識している男の子どもであるメイラの真似をする。
「む? 子どもか?」
さすがに俺が神だと馬鹿正直に言えば警戒されるだろう。けれど人間は子どもに優しい。それはシピャーニで分かっている。
「お前、どこから来た?」
「ぼ、僕、森で迷っちゃって……」
「そうか。ならばここを真っすぐ行けば村に着くぞ」
少しドライすぎないか? もう少し優しくしろ。ここで帰れば意味はない。せめて巫女の確認を……。
「どうしたの? アンハイ?」
「お嬢様。外へ出ては……」
剣士の女性が制止するも小屋の奥から出て来てしまったのは儚い女の子だった。メデスより少し年上か。あの娘、目が見えていないな。表情は朗らかだが剣士と目を合わせていない。
「まぁ、誰か居るのですか?」
「子どもです。迷子だとか」
「まぁ……大変」
「安心してください。今、道を教えました。さ、もう行きなさい」
まるで虫を追い払うかのような手つきで出て行くよう促されてしまう。なんという冷血女だ。
「ちょっと、アンハイ」
虚空に視線をやり腰に手を当て頬を膨らませる。
「駄目ですよ! どうしてそんな無碍にするのですか!」
「この子どもがレーンの密偵じゃないとは限りません」
レーンという国に奴隷の神が居るのか。覚えておこう。
「なら尚更、捕らえなきゃですね! さ、君、こっちにおいでなさい!」
目が見えない割に元気なお嬢さんだ。ちょうどいいか。彼女に無邪気な表情で近づく。剣士はすでに諦めたような表情を浮かべているが俺の方から目を離さない。よほど警戒心が強いらしい。
「私はチューリ。この人は私の騎士様アンハイと言うのです! 君は?」
「俺……僕はアルグレイって言うんだ!」
「まぁ、無神様と同じ名前ね! 素敵だわ!」
「不吉だな」
「こらっ! アンハイ! 人様の名前を悪く言わない!」
何かと叱咤されてしまうアンハイはそれでも怒る事はせず困り顔でチューリの方を見ている。心なしか口元も綻んでいるように見える。
ともかくチューリに誘われ山小屋に入る。二人で住むには手狭そうな場所だ。真ん中にあるテーブルにある椅子は二つ。
「お嬢様と君が座りなさい」
「ありがとうアンハイ」
「あ、ありがとうございます!」
アンハイは俺たちに譲ると部屋にある暖炉に鍋を置いた。食事の用意だろうか。
「君、何歳?」
視線は相変わらず合わない。けれど笑みを崩さない彼女に俺は少し居心地の悪さを感じる。それにしても歳か。何歳なんだろうか、赤子の頃からなら計算も出来るが、何分放り出されたのがこの肉体だ。
「え、えーと。7?」
「なんで疑問形なのよ、ふふっ」
パッと思いつかず適当に絞り出した年齢だからだ。これもメデスの歳に合わせている。ノックベルク家はそう考えれば様々な素体情報が居て人間の勉強になる場でもあるな。
「家名は?」
「ノックベルク」
後でシピャーニに迎えに来させるために同じ家名を名乗っておいた。後で家名が違うのがバレれば面倒だしな。
「ノックベルクですわね。聞いたことあったような……無いような……。で、アルグレイ君うーん長いですわね。アル君で良いかしら?」
「あー……」
アルグレイは神名だ。そんな気軽に呼ばれて良い名じゃない。だがここでそれを言っては警戒されるか。仕方ない。少ない自尊心は捨てよう。
「あ、う、うん。で、お姉さんたちはここに住んでいるの?」
「ええ! あのね? 内緒だけど、私たち実は神様から逃げてるの!」
「え?」
なんて馬鹿正直なお嬢さんだろうか。神から逃げていると豪語出来るほどの器と言う事か。
「お嬢様。あまりそう言う事を口外されては……」
「良いじゃない! 相手は子どもでしょ?」
「はい。お嬢様よりも五つほど下くらいでしょうか」
「まぁ! まぁ! ふふっ。可愛らしいわ!」
口元が緩み、虚空に好意的な笑みを向ける。彼女は確かに巫女らしい感性が変人だ。
「帰る場所が分からないならずっとここに居ても良いのよ!」
「お嬢様……」
「良いじゃない! 賑やかな方が好きよ」
「ま、また遊びに来ますよ」
「ほんと!? 嬉しいわ!」
無邪気な女性だ。しかしアンハイが居るのは厄介だ。当日どうやって匿うか。それよりこの女性はなぜ沼地に行くのか。あの沼地の管理者の子孫らしいがこの目では管理など出来ないだろう。
「そ、そういえばお姉さん、ここに来る途中大きな沼地があるよね。あそこって大きな蜘蛛さん出るの本当?」
「へ? 蜘蛛? 沼地? 何の話です?」
ん? なぜ通じない? 大蜘蛛は通じなくても沼地にも察しがついていないようだ。
「……お嬢様、湖の反対側にある沼地の事です」
何を言っているのだ。この女は。あそこにそんな綺麗な場所は無いはずだ。
「ああ! あそこの事ですわね? 大きな蜘蛛さんなんて怖いですわね。でも大丈夫ですわ。私の先祖が管理していた湖には守り神マラーレーイ様が居ますもの」
マラーレーイ様。また新たな土着神か。それにしても湖? 彼女が嘘を吐いているとは思えない。あるのか? そんな場所が。
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