第6話 自殺決行からの救いの手

 あの後、先生に呼び出され生徒指導室に呼び出された。

 もちろん、俺はやってないの一点張りをするしかなかった。その日からだろうか、掲示板を見た他の生徒たちは皆俺を無視にするようになっていったのは……あの山田にも気まずそうに口ごもり、すぐ他の生徒に声をかけに言って俺を遠ざける。

 星宮さんもそうだ。あの日から一切話しかけなくなったし、ストーカーのこともどうなったのかもわからない。

 気が付けば俺は一人、男子トイレの中で食事するようになった。

 強いて助かっているのは、暴力を振るわれないことが救いだ。よくあるいじめって、同級生に殴る蹴るの暴力とかが一般的だと思うが無視も立派ないじめだと俺は思う。まあ、暴力のような苛烈な行為ではないにしろ、どっちにしても嫌なことなのに変わりがない。

 ……いつもなら美味しいと思う玉子焼きが、不味く感じる。

 おかしいな、前までなら他のみんなと弁当の中身交換し合うことも、学校での密かの楽しみだったのに。

 でも、泣かないって決めているんだ。

 交通事故で父さんたちが死んだあの日に、健太の前で誓ったんだ。

 だから、諦めないし涙を流しそうになっている場合じゃない。

 俺は弁当の中身を全部口の中に突っ込む。

 ちょっとむせて、慌てて水筒に入ったお茶を飲み干した。


「ん…………よし」


 とにかく、俺は普段通りに振舞おう。

 そうすればいつか、誤解だとみんな気づいてもらえるようになるはずだ。

 俺は弁当を包みにしまって、教室に戻った。


 学校帰り、崚汰はスーパーに来ていた。疲れている時には脳に糖分が必要だと判断した俺は、適当に甘い物を買うことにした。

 とりあえず、ミルクチョコレート、それからコーラグミ、バタークッキーと、……っと。


「あ、これ全部健太の好きな物だ」


 気がつけば、カートの籠の中に入った中身を見て、俺は頭を抱える。

 俺が好きな物は、健太が苦手なビターチョコレートやグレープグミとかだ。

 父さんと母さんが死んでから、基本的に買ってしまうのは健太の好物ばかりだ……俺が我慢すれば、健太がたくさん食べたい物を食べられるって思うから。

 だから、自然と自分と言う感情の我儘は無視してきた。

 家族の大黒柱だった父さんが死んだんだ。だから、兄である俺が頑張らなくちゃいけないって、そう強く思うんだ。

 それに俺は健太の前ではいいお兄ちゃんでいたい。

 アイツが誇りに持てるような、頼れるような、最高の兄でいたい。

 それなのに同級生をレイプなんて話を聞いてしまったら……健太は俺のこと、嫌いになるだろうか。

 俺は、グレープグミの袋をかごに入れようとしたが、強く握る。


「…………ダメ、だな」


 俺はグレープグミの袋を元あった場所に戻す。

 少なくとも、俺自身には身に覚えのない出来事だ。

 写真もなにかのでっち上げなんだ。

 今回は、今回は俺が食べたかったからって言って、健太にも渡そう。

 そうすれば、きっと健太もわかってくれる。

 きっと、わかってくれるはずなんだ。

 俺はカートに向かって、会計を済ませスーパーから家へと急ぎ足で自宅へと走っていった。 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 俺が家に着き、鍵を使って玄関に入る。

 靴をかかと部を掴んで靴を正しい位置に置く。

 リビングに出れば、まだ健太は帰っているようではないようだ。

 なんとなく、今日の気分的にカレーだ。

 材料は一応揃っていたし、大丈夫だろう。

 

「よし、作るか」


 俺は制服から私服に着替えエプロンを付けてから、カレーの準備を開始する。

 いつも作っていたから、自然と作り方は指先に染みついていた。

 必要な食材はすべて切り終え後はカレールーを入れて煮込むだけ。

 お玉でカレーの中をかき混ぜる。


「ただいま……」

「ん、お帰り。今日は遅かったな……カレーできてるぞ」


 健太の元気のない声が聞こえて、普段通りに振舞っているが明らかに落ち込んでいるのが目に見えて受け取れてた。

 健太は椅子に座ると、俺に辛そうな声で言った。


「ねえ、崚汰兄……同級生の女の子、襲ったって本当?」

「……どこから聞いたんだ? その話」

「学校の友達から……嘘、だよね? これ」


 俺はエプロンを取りながら、健太のスマホを見る。

 そこには、学校の掲示板に張られていた物と一緒だった。


「この写真、どこで」

「崚太兄の学校の人たちから、ねえ、答えてよ。崚汰兄……なんでこんなことしたの」

「……俺は、してない。信じてくれ」

「加工されてないって言われたし、友達も他の写真持ってるって言ってた、動画も見せられたし」

「動画……?」

「崚汰兄が無理やり、梓川お姉さんに乱暴してるとこ、声だって、崚汰兄だった!」

「…………健太」


 健太は泣きそうな顔で一つ一つ、言葉を漏らしていく。


「俺、崚汰兄のこと信じられないよ……っ、あんなに女の人に優しく接してた崚汰兄が、あんなことするなんて……!!」

「け、健太――」

「触らないでよ!! 崚汰兄なんか――――大っ嫌いだ!!」


 ずきりと、傷んだ胸の痛みを気づかれないように唇を強く噛む。


「……悪い、健太。俺、もう寝るな」


 俺は健太に笑いかける。

 違和感のないように、いつもの俺のように。


「カレーは一人で食べてくれ、それじゃ」


 パタンと、扉を閉じる。

 俺はまっすぐ自室のベットにダイブする。


「…………なんで、なんだ」 


 軽蔑、いや、悲しんでいる、目だった。

 弟から、健太からあんな目なんて、一度もされたことがなかったのに。

 そうじゃないって振舞っていたつもりなのに。

 動画なんて、そんなの嘘に決まっているはずなのに。

 ありえない。ありえるはずがない。


「ああ、だんだんドツボに入ってる気がする……梓川が言ってた転落人生ってヤツ」


 俺はふと、スマホを手に取る。

 もちろん、電話をかける相手はあの人だ。

 電子音が数回なると、「おかけになった電話番号は……」と、相手が出られない時のフレーズの音声が流れる。 


「なんで、電話に出てくれないんだよっ……!!」


 俺は苛立ち、スマホを床に叩きつける。

 窓から差し込む月明かりは、俺の心までは照らさなかった。

 崚汰は一人ベットの上で涙を流していた。


「…………っ」


 自分が孤立した経験は、多少ある。

 部活を辞めた時の中学三年の時なんて特にそうだ。

 陸上大会で、翔兵は優勝した。俺が走ってる最中に他の選手にぶつかってきて足を怪我した。軽傷だったから、すぐに部活に復帰できた。

 ある日、ある翔兵と他の部員との会話を聞いてしまった。

 部室に入ろうとした時、扉の向こうから声が聞こえてきた。


『優勝おめでとなー翔兵』

『ありがと、でもそれ何度目?』

『いいじゃーん。俺絶対お前怒らせたくねえもん、お前だけは人生敵に回したくないって思うし』

『わかってるじゃん』


 最初は、何の話だろうと思って立ち聞きをしてた。

 アイツの家が金持ちのボンボンだってことは知ってた。だから、俺はアイツを保育園の頃から必要以上に怒らせることは絶対しないようにしてた。

 父さんも翔兵の親を煙たがってたこともあったし、母さんも俺によく忠告してくれていたから、小さい時はとりあえず父さんたちに従ってた。俺が好きな好物を横から取っていくことや、俺に無理難題な命令をされたりとか……とにかく、色々。


『他の部員に金使って足ひっかけさせたんだろ?』

『うん、そうだよ。この外見だと、結構弱みって握れるから結構楽』

『うわぁ、陸上部の好青年様、実に腹が黒い』

『それ、もし他のヤツに言ったらお前の人生潰すからな?』

『わーってるって。お前の気分で遊ばされてる崚汰の奴が、本当にかわいそうだって思うよ』

『心にもないこと言うなよ』


 二人の笑い声が聞こえた後、俺は慌てて階段の踊り場に隠れる。

 座り込んで、俺は頭を抱えた。

 ……は? と、声を上げそうになったのをなんとか抑えられてよかった。俺はその場に居合わせた時、前々から感じていた違和感が納得できる気がした。

 それが本当なら今まで俺がされてきた行為は全部、アイツの遊びだったんだと。

 好意を抱いた女子が、アイツに奪われていくのも。

 親しくしようとした友達が、みんな翔兵の元にいくのも。

 全部アイツの遊びでやらされていたと知れて、心から憤りを感じることができた。はっきり言って保育園の頃からアイツが俺にしてきた行為は、どうしようもないほどの馬鹿じゃない限り、気づける出来事ばかりだった。

 例えば、小学生の頃なんてトイレで翔兵を待っていた時、翔兵は手洗い場で俺の股間を重点的に狙って水をかけてきて、他の女子が廊下で通るたびに「崚汰、漏らしたー」って笑ってるとか。あの時は本当に恥ずかしかった。

 当日、俺は退部届を顧問に提出して、家に帰った。

 その日から俺は、翔兵と関わらないように、できる限り他の友人を作るために高校生デビューするための本や知識をかき集めて、今の俺ができた。

 少しずつ充実していたと感じ始めていた時期だったのに……まさか、こんなことになるなんて。もしかして、翔兵の企みだったか? だから、梓川さんも協力して……ああ、なんて都合がよすぎる考えをしようとしているんだろう。


「……くそ」


 俺は額に手を当てる。

 俺は梓川とセックスなんてしてないのに。

 どうして健太は俺の声だって言ったんだ? 録音された音声データでも、限度があるだろうし。健太が、俺に嘘をつくことなんて、絶対にないはずだ。

 何か、違う可能性はないのだろうか……?


「…………ああ、でも。どうでもよくなってきた」


 俺が一番、守りたかった人から。守りたかった宝物からあんな言葉いちげきを投げられて、平然としていられるはずがない。

 平然と、過ごせられるわけがないんだ。

 俺の心に纏っていたへいじょうしんが、たったその一言で崩れ去った。


「そうだ…………死のう」


 どうせ死ぬなら、学校の屋上なんていいかもな。

 俺の心を蝕み続けてきた害虫共に、トラウマ植え付けてやる。

 俺の死をもって、そういうレッテルを世間に張らせてやる。

 遺書にも今までされてきた行為も包み隠さず書いてやる。

 そうすれば、少しは今でも翔兵にいじめられている奴の気分も晴らせるだろう。

 俺は、翌日、自殺計画を立てることにした。

 翌日の朝、先に健太の朝食を作って先に学校へと向かった。

 早起きしたのもあり、バス内も学生はあまりいない。

 やけに今日の青空が、視界にクリアに映るのは俺が自殺すると決めたからだろうか……いや、そんなことは関係ないか。他の生徒に気づいてもらえるように、一時間目ぐらいに学校の屋上から飛び降りることにした。

 学校の授業サボったの、初めてだ。


「……よし」


 まるで、ボトルシップの中を覗いてる時と似た感覚をあの青空に抱く。

 引っかき傷や涙痕にも似たあの淡色の青空は、今日も誰かの叫びを飲み干すのだろう。俺は目の前に広がる風景に嘲笑した。

 俺は屋上のフェンスを越えて、学校の玄関にも近いこの場所で死ぬことはもう決めていた。この学校には悪いけど、でも、俺みたいな奴がいたことの爪痕くらいにはなるだろう……それに、遺書にたっぷりアイツが俺にしてきたことは書いた。

 もし、破り捨てられないように家にも置いておいたから、問題はない。

 アイツの人生の経歴に、バツ印入れてやるのは気分がいいしな。


「あっと……一応、一回だけ」


 俺はスマホを持って、最期に鶩名さんに連絡しようと電話かける。


『おかけになった電話番号は電波の届かないところにあるか――――』

「やっぱり、繋がらないか…」


 それでも鶩名さんは俺みたいな奴を、気持ち悪いとか、一度も言わなかったんだよな。小さい時、見えていることを隠さなかった時なんて他のみんなから馬鹿にされたのに。俺は電話を切らず、最期に鶩名さんにお礼を言うことにした。


『発信音の後に、メッセージをどうぞ』

「鶩名さん、俺これから死にます。相談、乗ってくれてありがとうございました……弟の面倒、できればお願いします。我儘ですみません」


 色々、言いたいことたくさんあるけど、あんまり長いこと電話してたら授業終わるよな。


「……それから、もし来世があったら、また貴方みたいな人と会ってみたいです」


 風が吹く。まるで、俺の言葉をかき消すために吹いたみたいに。


「それじゃ、さようなら」


 俺は電話を切って、スマホを鞄の中に入れる。

 俺はフェンスをよじ登って屋上の端っこに立った。


「……さぁ、俺が死ぬってエンターテイメントを楽しんでくれよ。幼馴染様」


 ――――今からお前に、やり直せない現実を押し付けてやるから。


 俺はそのまま倒れ込むように屋上から飛び降りた。

 落下していくスピードは速く、あっという間に頭が地面にディープキスするだろうと、思ってた。

 頭の中に駆け込んでくる走馬灯っていう映像が、次々と流れ込んで来る。

 母さんと一緒に晩御飯を作った日々のこと。

 一番、母さんと一緒に作って美味しくできたの、シチューだったな。

 母さんの好物だったし、母さんが笑う度、父さんも嬉しそうにしてくれてたっけ。

 父さんと一緒にテレビで野球観戦した日々のこと。

 父さんは学生の時、野球部にいたらしいから、テレビのはずなのにとっても熱くなって……なんか、今だったらそういう熱中できるもの、一つくらいあってもよかったなって思っちゃうくらい、羨ましかったな。

 健太と、一緒にいままで過ごしてきた日々のこと。

 父さんと母さんが死んだ分、色々頑張ったつもりだったけど……きっと、健太とは、もう仲直りもできないんだな。

 全部、辛いこともあったけど、楽しいことがないわけじゃなかったのに。


「死にたく、なかったのにな」


 横からカラスの羽が俺の頬を撫でた、俺の涙ごと攫って。

 視界に広がった黒い羽根よりも、俺は俺と同じように落ちている彼女の瞳を真っ直ぐ見つめる。


「――――――会いに来たよ、小鳥遊崚汰君」


 目の前に映る彼女は、澱んだ俺の心を真っ直ぐに撃ち抜く弾丸のようで。

 その弾丸色の瞳で俺の叫びを聞き届けてくれたように、彼女は微笑んだ。

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