第4話 マドンナからの相談

「…………はぁ」


 一人教室の窓際の席で、溜息を漏らす。

 鞄を机に置いて鶩名さんからもらった名刺を見ながら俺は帰りの会が始まるのを待った。祖月輪鶩名さん……彼女は自分を探偵と言っていたけど、彼女に相談するようなことがあるとするなら学費の稼ぎ方とかくらいだろうか? 

 まあ、きっと答えはアルバイトしろって勧められるに決まってるけど。

 ただボーとするしかないこの時間を有効活用するために窓越しに外を見る。

 紅葉している木々を見て今度健太と一緒に散歩するのもいいなと、ぼんやり考えて。

 ガラガラ、と教室の向かい側の扉が開く音がした。


「はーい、帰りの会始めるぞー」


 担任の諏訪部が教室に入ってきて教壇に立つ。

 委員長ーと言って高座に声をかける。起立、礼、着席の一連の挨拶を行った。

 俺たちが席に着くと、そこからは淡々と帰りの会が始まった。

 今日も、何も問題がないやり取りが行われてホッとしていた仲、諏訪部から報告があった。


「最近、学校付近に不審者が出ているらしい。みんな、気を付けるように」


 その言葉を最後に、また挨拶を終えると俺は鞄を肩にかける。

 ……不審者って、もしかして鶩名さんのことじゃないよな? なんて思いながら軽い足取りで今日の俺の班は何か掃除に当たってないか掲示板で確認する。

 今日の俺の班は休みと書かれてあったのでそのまま帰ることにした。

 教室から廊下を出て、後は玄関へ向かうだけだった俺にマドンナがやってくる。


「小鳥遊君!」

「ん? 星宮さん、どうかした?」

「えっと、あのね小鳥遊君、今日一緒に――――」

「星宮さん、はやくトイレ掃除に行こう?」


 星宮さんに声をかけられたが何か言いかけようとする前に翔兵が遮る。

 マドンナである彼女と翔兵は同じ班だったから、当然と言えば当然だ。

 一緒に、って何を言おうとしたのだろうか。


「あ、刈草君……」

「あんまり遅いと他のみんなから怒られちゃうだろうから、ね?」 

「う、うん。ごめんね小鳥遊君……ちょっと、掃除が終わるまで待っててもらっていいかな?」


 星宮さんは合わせた両手の横から顔を出す。

 ……美人じゃなきゃ許されない仕草なんだろうなぁ。


「別にいいけど、じゃあ図書室で待ってるから」

「わかった、それじゃあまた後で」

「行こっか、星宮さん」


 星宮さんは俺の方を見ながら、翔兵と一緒に教室を出て行った。

 俺は一旦、教室から出て廊下の壁に持たれながら待つことにした。

 することも特にないから、図書室で時間を潰すか。

 俺は二階にある図書室に向かった。

 適当に時間を潰すために、最近愛読している小説のページを開く。

 俺が手に取ったのは、『透明のハゥフル』。

 作者は、在生一祈あおいかづきだ。

 透明な水飛沫の中に人魚のようなシルエットのある表紙が印象的だ。

 この表紙を書いたのも存生一祈あおいかづきさんらしく、内容は人魚の少女と出会った水泳選手になる夢を諦めた男子高校生の主人公との物語で、随所で水の表現が綺麗な作家だと思う。作者の存生先生は学生時代水泳部にも入っていたらしいし、純文学好きだったのもあるからだそうな……実話も交えて入れているらしいが、どれがどうなのかは定かではない。

 作者のあとがきにも、「どれが実際にあった出来事なのかは読者の皆さんの想像にお任せします」と綴られていた。

 ……人魚の少女と主人公の二人のやり取りは切ない青春で、最後の展開にも驚かされた。ちなみに、在生先生は小説ではこの透明のハゥフルの一冊だけで現在は画家をしているらしい。


「…………次回作出てほしいのにな」


 ぽそりと、日差しに当たるページを見つめながらつぶやいた。

 あの人、絵よりも文章の方が巧みなのになと強く思う。

 とある雑誌のコメントで「自分は俺の中の彼女の一瞬を、言葉じゃなく誰にも忘れないような絵で描き切ってやりたいんです」とか、言っていたけど。

 でも、なんかすごいって思っちゃうんだよな。

 文章で伝えられない部分を絵で描くって、相当練習とか必要だって目に見えてるのに……俺はそういう美術系の作家を目指すつもりはないから別にいいんだが。

 俺はまた夏になったら、サイダーを飲もうと心に決めて高座さんがやってくるのを待った。



 ◇ ◇ ◇



「お待たせー!」

「あ、星宮さん」


 息を切らせながら廊下で走って来たであろうマドンナは満面な笑みを浮かべた。

 俺はちょうどいいところで読み終えたのでページを閉じる。

 席から立ち、俺は鞄を肩にかけた。


「えっと、ここで話しても問題ないかな?」

「いいのか? もっと他の所で話すならそうした方が……」


 カウンターにいる図書委員の田中をちらっと見る。

 彼女のフルネームは、確か田中葉撫子たなかはなこだ。

 ボブカットの丸眼鏡をした彼女は、俺の視線に気づくと眼鏡の丁番をくいっと軽く上げた。鉄仮面で有名な彼女には似合いすぎる仕草だった。

 …………図書委員の中で、沈黙の魔女と呼ばれている彼女のことだ、きっと他言無用にしてくれるだろう。

 という期待を込めて、一度軽く田中に頭を下げてから高座を見る。


「大丈夫だよ、星宮さんが問題ないなら」

「ありがとう! 小鳥遊君!! ――――それで、相談になるんだけど」

「ああ、マドンナの頼みならいくらでも乗るぞ」

「じゃあ、その言葉を信用して言わせてもらうんだけど……」

「ああ」


 言いづらそうにしている高座は小声で俺に言った。


「――――最近、ストーカーに後を着けられてるの」

「ストーカー?」


 俺が零した言葉に星宮さんは無言で頷く。

 マドンナである彼女にそういう輩がいてもおかしくはないと思っていたが……いや、俺の日常が平穏だと守り続けるためにも彼女から聞き出さなくては。

 

「要は俺は何をすればいいんだ?」

「小鳥遊君には彼氏のフリをしてほしいの」

「……待て待て。なんで俺なんだ?」


 最もな意見を俺は言ったと思う。

 なぜか、なんて他の人物に問われなくても答えは明らかだ。

 彼女は俺に惚れているらしいことは知っている。その点に関しては聞き間違えの場合もあるし自惚れているわけでもないんだが、それが理由だと仮定するならの話をしたとしても、俺が適任とは思えない。もしするなら、翔兵の方がピッタリだろう。

 美男美女のカップルとして言うなら、ストーカーも怒るに怒れない可能性が俺よりもずっと上がるはずなのだ。

 彼女が俺に頼む理由は他に何があるのか彼女から聞き出さなくてはいけない。


「だ、だって小鳥遊君はみんなから優しいいい人って言われてるの私知ってるから、小鳥遊君がピッタリだと思ったの!」

「いや、なんでピッタリなんだ? 俺、別に翔兵みたいに顔がいいわけでもないはずだ」

「ああ、あ! そ、そう! 自然体!!」

「自然体?」

「小鳥遊君は、たまに意地悪なことを言うときあるけど、それは嘘って言うか基本的に思ったことを相手に言うようにしてるなーって思うから、そのー……えっと、そこがいいというか。それに小鳥遊君、普段から落ち着いてるし、気配り上手だし……! それから、それから!」

「悪い星宮さん。翔兵に頼むのが嫌な理由は?」


 さっきから俺がいいと言う理由ばかり上げる星宮さんの言い方には、まるで翔兵は違うとでも言いたげだ。全部が全部そうだと思うつもりはないが、俺じゃなくちゃいけない本当の理由がそこにあるような気がした。


「……刈草君は嫌いじゃないんけど、私正直苦手で……」

「苦手?」


 好青年代表、みたいなアイツを高座さんが嫌うとは思わなかった。

 女子は基本的に高身長とか爽やかな雰囲気の男とか、そういうのが好きなイメージだけど……マドンナの彼女も、そういう系の男が好きだとばかり思っていた。


「だって、たまに翔兵君って冷めた目してるでしょ? それが、なんだか怖くて」

「……そうか?」

「うん、女の勘って奴かな。そう思うんだよね……」

「そっか」


 ……マドンナはお前のこと見抜いてるみたいだぞ。翔兵。


「それに、みんなから好かれてる小鳥遊君なら、ストーカーの人も乱暴なことしないだろうし!!」

「いや、そのストーカーが他校の人だったり、大人の人だったら全然違うじゃないか」

「そ、それはそうかもしれないけど……!! そ、そそそそれに、小鳥遊君は困った人は放っておけないでしょ!? おけないよね!?」

「いや、それは確かにそうだけど……」

「もし襲われたとしても、責任は私が取るから! もし小鳥遊君が怪我したら裁判起こして勝訴を収めてみせることも辞さないよ!」


 力強く星宮さんは宣言した。

 勢いで言っているようにしか見えないんだけどな……?

 なぜ、そこまで俺に彼氏役にやってほしいのかわからない。

 だけど。


「さすがにマドンナにそんなことさせられないだろ」

「……それって期待してもいいのかな?」


 困ったな、今の言葉を言われたら俺が断る理由を頭にどれだけ上げても頼みを聞くしかなくなるじゃないか。

 しかも、ウルウルした目でこっちを見てくる。

 溜息を吐いて、俺は星宮さんの顔をじっと見る。


「その……小鳥遊君。やっぱりダメ、かな」

「……わかったよ、彼氏のフリをすればいいんだよな」

「ありがとう! 小鳥遊君!! 美星空の何でも屋さんは伊達じゃないね!」

「あはは、何でも屋っていうほど、できる奴じゃないけどな」

 

 俺は眉をハの字にして星宮さんに苦笑した。

 そういう目、弱いんだよなぁ俺。

 俺はスマホを取り出して、あるアドレスへ電話をかける。


「? 誰に電話するの?」

「こういう時の相談相手、ってところかな」

 

 ピピピ、と電子音がとうとうにピタリと止まった。


「はい、もしもし。小鳥遊です」



 ◇ ◆ ◇



「それで、僕に相談に来たと」

「はい」


 俺と鶩名さんと一緒に喫茶店アートラータ・フェレスに来ていた。彼女が言うには、ここには信頼できる店長がいるらしいから大丈夫らしい。

 静かな店内に響くムードある曲がやけに喫茶店に来店したという実感をより高めさせる。

 カランと、鶩名さんの方に置かれてあるアイスコーヒーの氷が揺れた。


「僕じゃなく、警察に言っても問題はなかったんじゃないかい?」

「念には念を、と思ったので」


 あの時に電話した相手は鶩名さんだ。星宮さんには山田に事情を話して一緒に帰ってもらった。山田は空手部だから、もし何かあってもある程度のことなら対処してくれるだろうと思っての選出した。

 それに鶩名さんは探偵だし、警察の伝手もあると期待して連絡をかけた。直接警察に言わなかったのはストーカーの神経を逆撫でして星宮さんに危害が加わらないためでもある……念には念を、だ。ストーカーが興奮して、逆に被害者を殺すなんてニュースはいくらでもあるからな。

 鶩名さんはソファにもたれながら告げた。


「僕の知り合いに警察の知り合いはいるけど、管轄が違うから難しいね」

「…………やっぱり、難しいですか」

「できないわけじゃない。ただ、君の学校のマドンナが警察に連絡しても問題ない状況ならって話さ」

「どういう意味ですか?」

「私の本来の職名は、神秘探偵しんぴたんていというんだ」

「……神秘、探偵?」


 鶩名さんは真っ直ぐに俺の目を見た。聞いたことのない職名だ。

 いろんな言葉がついた探偵と名の付くコンテンツは多少触れてきたことがあると思う自分としても、聞いただけではどういう意味なのか判断が難しい。


「わかりやすく、言うなら……そうだね」

「っわ、」


 鶩名さんは俺の頬に触れる。

 思わずびくっと肩を揺らして、彼女の美顔が飛び込んでくる。

 人形師に作られた造形と評しても違和感を禁じえない、とても綺麗な顔だ。

 刀剣の鋭さのある輝きを帯びた瞳をしているのに、穏やかさが滲み出た白銀の瞳には、温かさを胸に覚える。


「……なに、を」


 彼女の顔が近くにあると思うと、動機が鳴る。

 優しい柔和の目つきも、長いまつげも。桜色の唇すらも。

 ……彼女という存在に一瞬でも、吸い込まれてしまいそうになって。

 思わず、顔に熱を覚えた。


「ふふふ……どうしたの? 顔、ちょっと赤いよ?」


 からかいが含んだ声色に、少しドキッとしてしまう。

 視線が目の前にあって、視線が逸らせない。

 澄んだ銀色の瞳がマジかで彼女の谷間が覗けてしまう。

 俺は慌てて視線を逸らした。


「むっ、鶩名さん、離れてくれますか?」

「ダメだよ、動かないで」

「そ、そういうわけには、」


 ……特定の相手で、しかも一人の女性と一緒に喫茶店にいるなんて経験なんてない。しかも、頬に手で触れられるなんて、初めてで緊張してしまう。

 というか、女性と恋愛経験も持ってないから余計緊張してしまう。

 どうして急に迫ってくるんだ? わからん。全然わからん。


「照れてる? ごめんね。僕の用事は、こっちなんだ」


 彼女の指先で俺の眼鏡の丁番を拾う。

 無理やり俺の眼鏡を奪われて思わず、声を荒げた。


「っ、何するんですか鶩名さん!?」

「君、本当は目がいいんだろう? だから、僕がコダマちゃんの頭を撫でていたことにも驚いていたんだよね」


 ――――な。


 俺は何も言えず、思わず口を開いたまま驚くしかできなかった。


「やっぱり当たりだったみたいだね。これ、神秘殺しの魔法が刻まれている。こんな品、どこで手に入れたんだい?」


 鶩名さんは、俺の眼鏡をちらつかせながらどっきりに成功した友人のような笑顔を俺に向ける。

 ……この人に嘘を教えても、きっと無駄だろうな。


「昔、ある女性にもらったんです」

「そうか、ある女性ね。それ以上は踏み込んで来るなということかな」

「…………そう受け取ってもらえるとありがたいです」


 鶩名さんはすっと眼鏡を俺に差し出し、俺は眼鏡を改めてかけ直す。


「どこで気づいたんですか」

「君と最初に会った時もあるけど単純に、君が学校で会ったっていうコダマちゃんに教えてもらっただけだよ。目がじっと合ったから恥ずかしかったってさ」

「恥ずかしいって……」

「コダマちゃんたちは基本的に素直で照れ屋だからね。君は彼らの名称は?」

「知りません」

「そっか……君みたいな異形、怪異、神話生物、それぞれのワードで例えられている生物が見える人間はウィデーレと僕たちは呼んでいる」

「ウィデーレ……」


 鶩名さんは一口、カップに入った紅茶を飲む。


「それ、どういう意味があるんですか?」

「わかりやすく言うなら、見える、と言う意味かな」

「それはまた、安直な言葉なんですね」

「誰だってわかりやすい言葉で括った方がいいだろう? 人は分かりづらいものほど理解を拒む。もし、求めることがあるとするならそれは運命的な恋のような感情だと悟らなければ相手の言葉に耳を貸そうとしないさ」

「……そういうものでしょうか」

「僕の持論ではないよ、知り合いが口にしていた言葉と言うだけさ」

「はぁ」


 俺は鶩名さんの言葉の続きを待った。

 カチャ、と言う音を立てながら彼女はソーサーにカップを置く。


「彼らはセークレートゥムと言う。それと同時に、彼らは人間をレースと呼んでいるよ」

「……何語なんですか?」

「ラテン語だよ」

「……どうりで聞き覚えのない言葉なわけだ」


 一瞬、レースって聞いて女性のゴスロリの類のレースを想像したが違うのか。


「僕たち神秘探偵は神秘側のセークレートゥムの存在と人間側のレースの存在の関係を保つためにある。まあ、基本的にセークレートゥムたちが巻き起こす事件の方が大半なのだけど、レースが起こす厄介ごとにも対応するのが神秘探偵の力量を試されるところだね」


 鶩名さんはカップに入ったアイスコーヒーをストローでかき混ぜる。

 氷同士が擦り合う音と、喫茶店のおしゃれな曲が合わさってやけに鶩名さんの言葉がクリアに聞こえる。


「……神秘探偵とか、セークレートゥムとかよくわからないですけど、要するに鶩名さんは星宮さんのストーカーの件に関しては協力してもらえるんですか?」

「後で、彼女自身から依頼してくれるか、君が依頼してくれるかにもよるね」

「お金とか、やっぱりかかりますか」

「多少はね、仕事だから当たり前かな」

「…………やっぱりかぁ」


 俺が頭を抱えていると、鶩名さんはストローでコーヒーを飲む。

 

「話はそれだけかい?」

「……まあ」

「そっか、店長。お代はいつものところから引いておいて」


 ロマンスグレーの糸目の男性が無言で頷いた。


「あ、俺の分も払います」

「いいよ、君の分は僕が奢りとして払ってあげる」


 俺は鞄から財布を出そうとすると、鶩名さんに軽く手で制された。


「いいんですか?」

「もちろん、もし依頼してくれるなら初回料金はお安くしておくから、今日みたいにまた連絡してくれるかな」

「わかりました、ありがとうございます」

「またね、青少年」


 俺は鶩名さんと店長に頭を下げ、喫茶店を出た。

 喫茶店の看板にある黒い猫のロートアイアンを見てから一人自宅へと歩いて行った。

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