第1走者 篠田 歩頼

「波多野先生、市内大会のリレーの件で話があるんですけど」


 上擦った声に、無意識の緊張を知る。


 抜け駆けしているような気持ち。

 喉の奥の不愉快な閉塞感。


 瞬介、お前に黙って相談は良くないよな。

 それでもお願いだ。許してくれ。


真木瞬介まきしゅんすけをアンカーでリレーがしたいです」


 やばい。変な汗かいてきた。

 何でだろう。泣くかも、俺。教務室なのに。


「……前任の先生から、リレーは生徒同士でメンバーを選ぶように言われているんだけど」


「それでも、」


 俺の言葉を遮るように波多野先生は静かに言った。


篠田しのだ、2年前の市内大会で何があったかは俺は詳しく知らない。当時の俺は陸部の顧問をしていないから見てもない。これから先、お前らに質問もしないでおく。……でも、篠田は真木とリレーしたいんだろ?」


「はい」


「後悔させてやるなよ。結果重視は息が詰まるからな!」


 デスクの上のクリアファイルから1枚のプリントを取り出す。


「本人の許可貰えそうか?」


「……いいえ」


「終わりよければすべてよし、って言葉も覚えておいてよ」


「それはどういう……?」


 眼鏡の奥で目が細められる。


「職権乱用」


 うわ。マジかよ。


「新卒採用の教師が使っちゃいけない言葉だと思うんですけど」


「篠田を信頼して、決まったメンバーを選んだかのように伝えるだけだ」


 うんうん、問題ない。だいじょーぶ、俺って天才。


 一人頷く波多野先生を軽蔑の目で見る。


「先生ってそんなヤツだったんですね」


 もちろん本心ではないけれど、一言残して教務室を出る。手には白紙のオーダー用紙を大事に持って。





「少年、ゴールは自分で決めるな」


 扉の向こうで波多野は呟いた。口元は笑っていた。





 オーダー用紙はもらえた。

 瞬介も、何とかメンバーになってもらえるような手立てはついた。


 ──他のメンバーどうしよう?


 3年生の短距離は俺と瞬介と大翔はるとの3人。

 いつもリレーの話は瞬介に悪い感じがして、大翔も俺も自分達からメンバーを募って走ったことは無かった。

 まぁ、波多野先生に顧問が変わるまでは渋々出てはいたけれども。


「俺と瞬介、大翔は決まったとして、あと一人なぁー」


 今までだったら、幅の加賀とハードルの高井だった。

 タイムを見れば加賀になるだろう。


「ううむ……困った」


 ダメ元でも瞬介に話をしよう。

「嫌だ」と言われても「一緒に走りたい」を伝えよう。

 多分この大会を逃したら、瞬介はバトンを一生拒んでしまう。

 アイツか1番生き生きと走れる環境を作らなければ!


 *


「瞬介、次の大会リレー走らない?」


「やだ」


「お前にアンカー走ってもらいたいんだよぉー!」


 暑苦しいけど抱きついて懇願。

 ものすごくイヤそうな顔された。


「俺が居なくても県大会出れそうじゃん。俺は個人の100さえ出れればいい」


「ちがう。そうじゃないんだ。アンカー走ってもらいたいんだよ! 記録云々はどうでもいいんだよ!」


 ……動揺してる? 視線が外れた。


歩頼みより、お前らを信用してない訳じゃないんだ。……でも、ごめん。一緒には走れない」


 泣きそうな顔をしないでくれよ。

 こうなる原因を作ってしまってごめん。

 あの時助けてやれなくてごめん。


 しゅんとして肩に回した腕を解く。


 俺らの顔を見ていないかのように(多分見てない)、無駄に元気な声が後方から聞こえる。


「瞬介リレーやるの?? ずっと一緒に走りたいって思ってたんだよねー!」


 金色のバトンをぷらぷらしながら大翔が寄ってくる。


「ずっと待ってるから」


 瞬介の肩に手を置いて、静かに、そして力強く。


「歩頼がスタートしなかったこと、俺は知らないから」


 考えておいてよ、とニコニコと笑う。


「瞬介はまだ本決まりじゃないからさ、いつも通り今日は歩頼、高ちゃん、イッセー、俺のオーダーで練習しよ!」


 はい、と渡されたバトンを握る。


決まってないもんな」


 2年前。バックストレートの応援席で、呆然と立ち尽くす瞬介の姿を見た。堪らなく悔しかった。

 先輩との関係が上手くいっていないことは知っていたけど、問題が起こるまで何で誰も助けなかったんだろう、どうして瞬介をひとりぼっちにさせてしまったんだろう……酷い自責の念にかられたのをよく覚えている。


 だから、リレーはいつも1走を志望する。


 俺が走らなければ始まらない。

 俺さえ走れば人為的なレースの中断はない。


 練習の時の大翔の手拍子も、競技場のオン ユア マークの号砲も、同じスタートの合図だ。


「走ろうか、今日も」


 400メートルを繋ぐために。


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