10

 成美は目の前のヴィランに二丁の銃口を向けながら、肩に乗る謎の生き物が何者なんだろうかと思わず気になってしまった。


 魔力を宿す通常よりも小型の真っ黒な猫。こいつの目は、私の足掻きを娯楽とするあの鬼畜師匠シャドウを思わせるくらいには似通っていた。

 一体何者なのか。肩に乗ってくるってことは害意はないんだろうか。もしかして、師匠の使い魔とかだったり? 


「おいィ貴様ァ!? この僕ゥを舐めているのかァ!?」


 急に上がったきんきんと響く怒声にびっくりしながらも、再度ヴィランに意識を戻す。

 理性を手放したかのような金切り声は、見ているだけで拒否感を覚えるその姿と同じように耳障りの悪い不快な音。

 まさしく異形。例え人であったとしても隠しきれぬ歪な心の具現だと、成美はそう感じた。


「舐めているなァ女のくせしてェ!? 殺す、殺してやるゥ、細切れだァ!!」


 両の刃を研ぐように擦り合わせ金属音を鳴らすヴィランは突如として激昂する様は、己の強さを見せびらかしてくるかのよう。

 ……あれに触れば一瞬で切り刻まれるかもしれない。そこいらに転がる人のなれの果てが私をより不安にさせてくる。


 闘争と生存競争の塊であった島の獣とは違う意志を潰す狂気。それは少し前にあの薄暗い部屋で師匠に見せた怪物の威圧そのもの。

 これがヴィラン。これが私にとっての最初の殺し合いの相手で、これから私の進まなきゃいけない茨の道。


 銃を持つ手に力が入る。ほんのちょっぴりだけ震えているのが自覚できてしまう。

 ……怖い。もし少しでも気を抜けば私は死ぬ。今度は師匠に蘇生されることなく、本当にあの暗くて寒い底に置いていかれてしまうのだろう。


「何で切れねえんだよォ!! 死ねやァ!!」

「──っ」


 ヴィランが羽を振るわせた次の瞬間には、私に距離は残されていなかった。

 乱雑に振りかざされたやいばを躱すため後ろに飛び退き、両銃の引き金を引き魔力を相手にぶつけるが、もう片方のやいばが一瞬にして銃弾を切り刻んでしまう。


「死ね死ね死ね死ねェ!! 死ぬときぐらい僕の思い通りになれ糞尼ァ!!」


 子供が腕を振り回すかのようにぶんぶんと空を切る刃。

 勢いを増す事に成美の届く風が強まり、周囲の地面や建物に刃を当てたかのように痕が刻みつけられていく。


 無差別不可視の段幕網は、一太刀も受ければ見えずとも必殺であろう攻撃。

 殺すことだけを目的とした剥き出しの殺意に体が硬くなっているのがわかるが、どうしたら良いかなんて思考が纏まらない。


 相手に集中、周りに集中、魔力を絶やさず……駄目だ意識すると余計に出来る気はしない。

 島ではこんなことはなかった。ただ生きることに必死で考える余裕なんて無かったし、今のに反応できたのだって偶然だ。


 どうする、どうするどうするどうする!? 


「死ねェィ!!」


 いらぬ雑念に気を取られたその刹那。斬撃はこちらに直進し、今この瞬間にも私を両断しようとしているのを直感的に悟る。

 間に合わない。斬られ──。


(落ち着け馬鹿)

「──っ!?」


 目を瞑ってしまおうとした瞬間、斬撃は目の前に展開された魔力の障壁によって阻まれる。

 ぎぎぎぎっ!! と軋む音を立てながらも壁には欠片も痕は付かず、私の体は離れることなくくっついたままだ。


 どうしてと疑問に思うよりも前に私の横から黒色の棒が伸び、頬を柔らかい何かで叩かれる。

 猫だ。肩の子猫が私に前足を伸ばして、こちらに呆れ返ったような小生意気な目をしていた。


(焦るな馬鹿。集中しろ)

「──えっ?」


 脳に直接響くかのように伝わる声は最近よく聞くあの声。

 師匠? でも何処から……まさか。


 すぐに答えは出てくる。

 簡単なことだった。魔力を持ち。が私をで見てくるのだ。


 師匠だ。この猫は師匠の使い魔などではなく、師匠が猫になった姿だったのだ。


 ……何だろう。さっきまで怖くて怖くて仕方が無かったのに今はそれほどでもない。

 あんな人でなしそのものみたいな人でも一緒にいてくれる。──私はもう一人じゃない。


「なんで、なんでなんでなんで生きてんだよゴミくずがァ!!! なんで僕の思い通りにならないんだよォ!!」

(大事なのは強く想い信じることだけ。大丈夫、お前はもう弱くない)


 激昂し細い足で地団駄を踏み続けるヴィランと違って、平常時の方がまだ真剣だと思うくらいに軽い口調で話す猫師匠。


 そうだ。私はもう何も出来ないわけじゃない。

 軽く深呼吸すると広がる視界。……大丈夫、怖くないわけじゃないけど震えは止まった。


(助けるのはこれっきり。……さあ、理想のヴィランになってみろ!)

「──はいっす!」


 返事をスタートの合図にして、二つの銃の引き金を引く。


 感情のまま振り回される刃に斬り払われる銃弾。──当然それで終わりではなく、さっきと同じなのはそこまで。

 真っ二つにされた銃弾は破裂し白色の閃光が、一瞬だけ周辺を覆い尽くす。突然の極光が相手の目を潰し、ヴィランは手を止め目を押さえ喚いていた。


「ゥぎァ!! 目が、目がァ!!?」


 銃を剣に変え、一気にヴィランとの間合いを詰める。

 そして一閃。振り下ろされた白の刃は相手の腕の関節を切断し、目を覆っていた片腕はゆっくりとずり落ちていく。


「ぐ、グギャ──!!」


 ヴィランは痛みに藻掻き荒れ、怒声は瞬く間に悲鳴と化す。

 すぐさまもう片方の腕を切断しようと再度刃を振るうが、その一撃は対象を掴むことなく空を斬る。


 羽を広げ、戦意すら一目散にこの場から離れようと空に逃げるヴィラン

 最早戦意はなく、こっちを見ようとすらしないヴィランの背に、照準を合わせるように剣の切っ先をその姿に重ねる。


 「射出ショット


 飛び出した光の刃は風を千切り、ヴィランを追い越すように突き抜け空に消えていく。

 ヴィランは少しよろけた後、跳ねすら動かなくなり重力の流れに従うかのように落ちてくる。


 警戒を怠ることなく一歩一歩ヴィランに近づいていく。

 地面に転がる怪物は腹に穴が開き手足はひしゃげており、ぴくぴくと僅かに体が震えるだけの死に体であった。


「な、助け……」


 最早零れるだけの微量の命乞いは、快楽のみで命を奪ってきた者がすべきものではないくらい情けないもの。

 このヴィランにどんな過去があったのかは知らない。もしかしたら、私みたいに目的を持って堕ちた同類なのかもしれない。あるいは天性の悪党だったのかもしれない。


 ──それでも、勝負は付いた。私が勝者でこいつが敗者、ここにあるのはその事実だけだ。


 銃を持つ右手に力が入る。ここに来てようやく師匠が言っていた選択の意味が理解できた。

 とどめを刺さずとも死ぬであろうこの怪物をどうするか、呆れるほど単純な二択で私のこれからが決まる。

 引き返すのなら今が最後だ。ここで完全に葬ることなく倒れている人の救助に行けば、きっと野良の正義の味方ヒーローとして華々しく活動できるのだろう。


 ──嗚呼でも、答えは決まっている。そんなこと、悩むまでもない。


 ぱあんと響く発砲音の後、ヴィランの頭蓋は魔力に呑まれ消失する。

 後に残るは紫色の血を首から吹き出し転がる死体だけ。──もう、それだけしか残っていない。


 自分でも意外なほど心は落ち着いている。それが相手がヴィランだったからなのかは私にはわからない。

 覚悟は決まった。私はもう引き返せない悪──こいつと何ら変わりないヴィランなんだと。


 ──そう自覚した瞬間に響く衝撃音。それは私と同じ、誰かが空から訪れた事の証明。


(──ははっ)


 師匠の抑えきれないかのようの零した声は、紛れもなく愉悦を滲ませるもの。

 これから舞台の幕が開くのを心待ちに客の歓喜。そしてそれは、私にとっての間違いなく凶報だ。


「動かないでっ!! 武器を捨て投降しなさいっ!!」


 ──呆れるほど真剣な怒声が私の後ろから投げられた。 

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