一章 悪への芽吹き

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 春も明け、桃色の花も空を漂わなくなって久しい頃。無駄に振る雨やじめじめとした気候に悩まされながら、やがて訪れる四季の一角に向けての準備期間であるこの六月。


 そんな季節の変わり目も変わり目なこの時期に、この俺遠野光はそんな毎年来る億劫さとは別の悩みを抱えてしまっていた。


「いてっ!」

「ほらそこ。安定して練れてないよ」


 今日何度目かわからない呻きを聞きながら持っていた教科書を閉じて、目の前で正座する少女──成美に目を向ける。

 黒い球の跳ねた右肩を何度か摩りながら、それでもすぐに意識を集中させ直す成美。ここ最近はずっとこれの繰り返しだ。


 ここ二ヶ月ほど行っているのは未だ基礎の欠片も出来ていない、何ならそこらのチンピラの方がましな程度の力しかない成美に必要なことは基礎的な基盤作り。自身に眠る力の自覚──SPなんて略される力の確立だ。

 一を百にすることはまあ多少突貫工事でも問題は無いのだが、零を一にすることが出来なければ鍛え上げることも出来ない。故にこうして俺の勉強の合間に見てやっているのだ。


 今やってるのはその最終段階。必要な部分に的確に力を纏えるようにするためと感覚の強化の二つだ。

 最初こそ俺が補助輪アシスト付けてやらなきゃ碌に操作もできなかったが、それでも基礎の基礎をどうにかこなしてある程度はましになってきた。


 それにしても、あれからもう二ヶ月か。こればかりは人次第なのでわかっちゃいたが、やっぱり中々上手くはいかないものだな。

 

 まあ俺は半年くらいかかったし、別に今年中に達成出来なくても遅いというわけでもない。むしろ俺よりも遙かに早い。十二分にセンスはあると言っても良いだろう。

 それでも出来るならばより早いに越したことはない。こいつの目的を聞いた時、もしかしたらと言う事態に陥る可能性も浮かんできたし。


『私の倒したい相手はジーウス。第二大陸の大神ジーウスです』


 大神ジーウス。それはこの世界を構成する五つの大陸の内の一つである第二大陸デュミナスで一番の力を持つであろう──大陸最強の神。

 

 曰く、その手に持つ槍は海を灼く尋常ならざる雷。

 曰く、その目は大陸を見渡す絶対の監視網。

 曰く、その音は人を従え支配する、本能を折る神宣であると。


 なるほど、流石は大陸最大の信仰を持つ神。随分と大仰な逸話が多いじゃないか。

 

 普通ならその大陸に暮らしていても祈る対象で終わるはずの存在。詳しく聞く気は無いが、そんなやつにこの目の前のポンコツ女は因縁を持っているのだと言っていた。

 最初に聞いたときはちょっと頭おかしいんじゃないかなとすら思ったほどだ。別の大陸の神と浅からぬ繋がりがありそこから物語が始まる~、みたいなよくある妄想をそのまま現実に固定してしまったみたいな感じで。


 けどまあこいつの真剣さに嘘はなかったから、どっかでこいつが粗相でもしたのだろう。……それでも他の大陸の神、それも大神が標的なのは驚いたけどね。

 

 一体何をやったんだか。成美の体の内に少しずつ巡る力の波を感じながらちょっとだけ気にはなってくるが、まあどうでも良いなと思考を放り投げて勉強に戻る。

 そんなことより明日から中間テストなんだ。もう少しやっとかないと補修になりかねないから、こいつに構える余裕はあんまり無いんだ実は。


「っぷはあー! やっぱ上手くいかないっすよこれ」

「……そりゃまあ平凡に生きてりゃ縁はないし、簡単なわけないだろ?」

「それはそうですけどー。師匠ー、もう一回見せてくださいよー」

「……はあっ」


 ペットが餌を求めるかのようにしつこく頼んでくる成美にちょっとだけいらっときながらも、しょうがないので教科書を閉じる。

 

 先程まで成美の周りをぷかぷかと浮かんでいたピンポン球くらいの大きさの黒い球が、俺の元まで戻ってくる。

 右手の人差し指を上に向けほんのちょっとだけ力を入れると、指先に同じくらいの黒色の球が現れた。


「別に難しいことじゃあない。箸の持ち方とかと一緒で一度馴染んじゃえば最低限はできるものなんだよ。お前はもう自覚できているし、後はこの力を扱うための制御を覚えるだけなんだ。……ほら聞いてる間も続けて」


 黒球を成美のおでこにペシペシと跳ねさせながら一応のアドバイスをしてみるが、まああんまり意味はないだろう。

 そもそも俺だって完全な自己流なのだ。英雄協会独自のノウハウとかならもうちょっとマシに教えられるのかもしれないが、結局は本人の意識がものを言うだけの単純な問題でしかないしね。


「ま、この力がなんなのかとか、そういう学者めいた疑問の答えは持ってないから、これが正攻法なのかもわかりゃしないけどね? そもそもSPがなんの略かも知らないし」

「えっ、そう、そうなんですかっ!?」


 不規則に顔を狙う黒球を頑張って耐えながらも、わかりやすく驚く成美。 

 そらそんな顔もしたくなるだろう。俺だって初めて知ったときはもう統一してくれと毒づきまくったし。


「SPってのは英雄協会が自身の戦略を可視化するための指標として掲げたもんらしいし? 魔力マギアやら霊力やら、それこそ伝わる文化の数だけあるんじゃない?」


 俺もSPが何の略なのかはよく知らない。もしかしたらspirit powerせいしんりょくなのかもしれないしsuper powerちょうじんりょく、あるいはpがパワーですらないのかもしれない。


 結局名称なんて色々ありすぎて、試験でもしなきゃいけない時くらいしか必要じゃあないのだ。

 まあ戦闘中にそれっぽい言葉出してテンション上げたりするとかまあ用途はなくもないが、こいつには無縁なので使えるようになってくれれば別に良い。俺は格好良いその場のノリで言ってるし。


「俺は魔力が良いからそう呼んでるけど。……まあ大事なのはイメージ。それをしたい、それが出来るという確固たる思いなんだ。……ほら乱さない」

「いてっ!!」


 今度はぶつかった鼻先を抑えながら痛みに悶えながらも、止まることのない二つの黒球を懸命に耐える成美。

 まったく、ちょっと緩むとすぐこれだ。せっかく二つに増やしてやったんだから、これで引き締まれば良いけど。


「ほら避けない。こんな輪ゴム程度の威力、当たる部位に力を流せば痛くも痒くもないんだからさ」


 とりあえずノルマとしては、全体で纏わないようにしつつ球を十個にして速度を上げた状態で対応できるくらいになってもらうこと。それが出来れば後は気合いと応用の連続だ。

 推測では後一ヶ月ほどかな。……うん、頑張ればいけるな。

 

 不規則に動く黒球の速度をちょっとだけ上げながら、再び教科書を開き勉強を再開する。

 俺の方もテストは来週だしな。この中卒ポンコツ女の前で赤点なんて取ったら死ぬほど恥ずかしいし、少しは集中しないとなあ。

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