5

 あの後俺は、一緒に捕まっていた通り魔少女を連れて適当な公園に転移し、彼女を公園のベンチに寝かせ起きるのをのんびりと待っていた。


 まだ新しい鉄の柵に寄りかかりながらついさっき自販機で買った缶のプルを引き、中に入っている黒色の液体を喉に流し込みごくりごくりと鳴る喉音と共に染みこむ苦みの心地よさに酔いしれる。

 好みの銘柄ではないとはいえ流石は大手メーカー。味の細部に違いはあれど、それでもある程度の品質は確立されているから安心して飲める。

 途中で放り投げたくなる外れが出てきたときなんて本当に地獄。水分補給をしたいのに逆に喉が渇く、なんて無駄遣いの極みみたいなことも起きかねないギャンブル性が、ぼろっちい自販機を使う時の一番の懸念だ。


「う、うーん……」


 味に浸りちょうど缶に重みがなくなった頃、すぐ近くから唸る声が聞こえた。

 ああ、やっと起きたか。こいつには何もしていないというのに、まあ随分とお気楽なもんだ。


「ん……、んれ? ここは……」

「起きた?」


 起きたてで未だ思考の回っていない通り魔少女に声を掛ける。

 通り魔少女は三回ほど目をぱちぱちさせ、ようやく覚醒したかと言わんばかりに目を大きく見開いて、そしてベンチから飛び上がり俺から距離を置く。


 ……何か警戒する猫みたいだな。目は犬みたいにぱっちりとしているけど。


「寝起きでそこまでびびられるとか落ち込むなぁ。まあ、どうでも良いけど」

「あ、しゃ、シャドウ!? 一体何がどうなって……?」

「ほら、これでも飲んで落ち着きなよ」


 さっき買ったペットボトルを少女に放る。中身は水だ。

 意外にも落とすことなくキャッチした少女は、何度もペットボトルと俺の顔に視線を動かし続けた後に蓋を開け口を付ける。

 ……それにしても渡したとはいえ飲むのか。こいつ、悪党名乗る割に警戒薄すぎなんじゃないか? 


「──ぷはぁ! あー生き返ったー。……さてありがとうございましたそれではさようならまた会う日までっ──!!」

「……はあっ」


 脱兎のごとく逃げだそうとした少女の胆力に呆れながら、ほんのちょっとだけ負荷を掛ける。

 とりあえず体を壊さない程度だがそれでも動くことは叶わない程度の重み。そのはずだが、未だ這いつくばってでもこの場から離れようと足掻いていた。


「うぎぎ、うぎぎぎぎっっっ!!」

「大人しくしたら? どうせ無駄だしさ?」

「わかりました逃げませんっ!! 逃げませんったら!!」


 動かなくてもなおも抵抗を止めようとしない少女に少しだけ驚嘆する。

 怪物にあっさり心折られていたようだったからあれだったが、意外と根気を見せてくれるじゃあないか。

 割り切りも良く潜在能力も高い。もしかしたらこいつ、本当に悪党の才能を持っているのかもな。


「ふー……もう一回死ぬと思ったぁ。まあすぐに死ぬかもですけどっ!」

「それは君の選択次第だよ」


 負荷を解除すると、ようやく諦めがついたのかそのまま立つことなく地面にへたり込む少女。

 あーやっと話が出来る。正直もう殺す意味は無いし放置しても良いんだけど、まあ一応念のためだから仕方が無いか、うん。


「さて名前は……名前は……」

「……成美です。一度名乗りましたけど」

「そう? じゃあ成美。取引をしようか?」

「取引……ですか?」


 予想とは違かったのか、成美は随分ときょとんとしながら返事をする。


「そう。内容は実にシンプルで俺のことを一切外部に漏らさないこと。ただそれだけさ」


 制服のポケットに閉まっておいたもう一本の缶コーヒーを開けながら話を進める。

 俺の正体についての箝口令。まあつまり、俺がかつて倒されたシャドウであると漏らすことを禁ずるのが目的だ。


「とはいってももう契約は済ませたから口に出すのははおろか、書いたりする事も出来ないけどね」

「え……えっ!?」


 そう。実を言えばもうとっくに、それこそこいつが寝ている間にその辺の面倒臭い調整は済ませてしまったのだ。

 相手方の合意なしでそういった支配を構築するのはちと骨が折れるがそこは俺。他の有象無象なら偉業な行いも、ちょっと面倒い程度のレベルでしかないのだ。


 ──だからこれはあくまで確認。言わなくても良いことだけど待っててやった俺に感謝してほしいくらいだ。


「……ちなみにですけど、もし破ろうとしたら?」

「……やってみるかい?」

「いえいえ結構、本当に大丈夫です!! 仮にも命の恩人ですし、決して漏らしませんし言う気もありませんとも!!」


 笑顔で返すと、それこそ犬が水を落とすみたいな勢いでぶんぶんと首を振ってくる成美。

 うん、実に素直。やっぱこいつ、性根が悪党になんて向いてなさすぎなのでは? 


「にしても、良くもまあ悪党になろうなんて思ったね? 正直君程度には向かないと思うけど?」

「……私には目的があるんです。例え死んでもやらなければいけないことが」


 成美は先日と同じように酷く神妙な表情を見せた後、いっそ痛々しく感じるほどに作られた笑みを顔に貼り付ける。

 このまま放置すれば、こいつは悲願のために最期まで──死ぬまで無駄な努力を続けるだろう。そんな確信を持てるくらいにはむなしい決意だ。


 まあどうでも良いし放置して解散しようと思ったその時、悪魔的な発想が脳裏を奔る。

 

 もしこいつが俺の望む理想の悪に成長したら、それに対抗して俺の望む正義の味方おしが見つかるかもしれない、なんてくだらない案だ。

 もちろん一番目スターシャインに勝るものはないであろうが、二番目という比較対象があればより一番目スターシャインが尊い存在である証明にもなるかもしれないし、そうなれば俺はますます星光スターシャインを推せるはずだ。


 ……うん。それならまあ暇つぶしにはなるし、ばれたならそれはそれで別に良いか。

 母さんには申し訳ないけどやっぱり俺の性根は人でなし。より自分を潤すこと──より強い人の輝きを近くで見ることこそ、俺にとっての最重要いきがいなのだから。


「……まあこれで話は終わりだけど。最後に一つ、これだとあまりに俺に有利だし君に魅力的な提案をしようか」

「提案……ですか?」


 ごくりと、成美がつばを飲み喉を鳴らす音が鮮明に聞き取れる。

 彼女にとって今の状況で出される提案は拒否出来ないもの。今から俺が言う百パーセント気まぐれな──いつ破られるかもわからない理不尽な提案きょうはくかもしれないのだから、おちおち呼吸もしてられないだろう。


 ──けれど心配しないでほしい。俺にとっても君にとってもそれほど悪いものではない、まさにWin-Winウィンウィンの提案だろうから。


「君の目的に協力しよう。いかなる目的であれどそれを達成できるように、このシャドウが力を貸してあげようじゃあないか」

 

 口角が上がるのが自分でもわかる。少なくとも、これほど気持ちが昂ぶったのは星光スターシャインとの最終決戦の時以来だろう。

 だが許してほしい。一度満足した我欲に火が付き直してしまったのだから、これを燃やさずしてどうやって生を費やしていけば良いのだろうか。


「さあ決断は今、機会はこの一度のみ。受け入れるかは君次第さ」


 なるべく歓喜を抑え付けるために残っていたコーヒーを飲み干しながら、あくまで冷静に提案しているかのように振る舞う。

 

「……一つだけ、聞いても良いですか」

「何だい?」

「例え相手が神であろうと、私に出来ると思いますか?」


 不安な気持ちをそのまま吐いたかのように震えるか細い声で、こちらにそう聞いてくる成美。

 確かにそれは人が挑むにはあまりに強大で絶対の化身。遠いかつてより続く絶対者に楯突こうなんて、その辺の小娘には無謀も良いところだろう。


 ──だが、それはそこいらの有象無象にんげんに限った話。この世の表面のみしか知らない、正義の味方ヒーローがすべての悪を振り払えると馬鹿正直に信じている──世間知らずむちどもの常識だ。


「君次第さ。君が折れない限り君が諦めない限り。──君が進む限り、可能性は君の物さ」


 ──だが、俺は違う。

 俺はシャドウ。その気になれば世界すら相手取れる理想の悪──倒されるべき光以外に負けることのない絶対。こと己が欲を満たすことにかけてなら、そんな常識ざれごとは塗り替えてやろう。


 だからもし君が俺について来れるのなら。幾度の地獄をが待ち受けようと歩み続けるというのならその時は、あるいは神すらも打倒しうる領域にまで届くかもしれないな。


 手を伸ばし彼女の選択を待つ。

 成美はようやく覚悟を決めたかのように立ち上がり、瞳を揺らし噛み締めるかのようにゆっくりと俺の手を掴んだ。


「歓迎しよう、胸くそ悪い悪の道いばらみちへようこそと」


 落ちる夕日を背景に、実に気取った言葉で契約は成される。

 

 これから始まるのは倒されたかつての悪が見守る、これから生まれる小さな芽の成長劇。役目を終え倒された悪が余生を楽しむだけの暇潰しエピローグだ。

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