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 結局、あれから軽い聴取やら検査やらが終わったのは十九時くらいだった。

 まああんな程度で負傷なんてするわけないし検査なんて無意味なのだが、端から見れば俺はただの学生でしかない俺はヒーローの言葉をスルー出来る訳がなかったのが、面倒臭くて仕方が無いと割り切るしかない。


「ふわぁ」


 そんなわけで日課の供給が出来ずこの様。授業だけでは飽き足らず、こうして下校中にも欠伸が漏らす始末である。

 

 いやまあ元々朝は弱いことに定着のある俺だが、それにしても今日は眠気が強くて嫌になる。

 あーあ、これからあの毒舌女の顔を拝まなきゃいけないのかぁ。ただでさえ隅を突くのが上手いあの女の前でこんな風に大口を開けたりしたら、それはもう蜘蛛の巣に引っ付いた蝶でしかないものだ。

 

 ……それにしても、まさかこの俺に──この前までいっぱしのヴィランであった俺に、よりにもよって悪党になろうだなんて言ってくる奴がいるとは酔狂にも程があるというもの。

 すでに俺がやりたいことは達成している。彼女の光によって綺麗さっぱり倒された今、復活なんてあまりに愚行な蛇足でしかない。


 まああの感じだと捕まるまで止まりはしないだろう。

 どうせテロか復讐かのどちらかだろうし、せいぜい俺に迷惑を掛けないように勝手にやってほしいものだ。


 ああ、それにしても眠い。早く帰って枕に頭を埋めてしまいたい──。


「こらー!! 離せよー!!」


 ……随分と聞き覚えのある声が耳に入ってきた気がするが気のせい、気のせいだろう。

 仮に想像通りだとしてもまあ無視一択だ。そういえば豚肉買ってきてとか言われてた気もするし、スーパーに寄ってからでも良いかなぁ。


「あ、昨日の方じゃないですか!! 助け、もごっ!?」


 正面からのあからさまな救援に心の底から億劫になりながらその方向に見ると、案の定そこにいたのは名前は忘れたが昨日の通り魔だ。

 毛むくじゃらのヒトガタ二人に担がれ、もごもごと浅ましい抵抗している絵面は実に滑稽。口も塞がれ今まさに連れて行かれようとする直前みたいな感じであった。


「もがもがっっ──!!!」

『ウルサイ』


 暴れる女を一撃で昏倒させる毛むくじゃら。正直制服の汚れ分くらいはすかっとしたけど別に恨まれはしないはずだ。

 まあこいつら怪獣隊の残党だろうし、改造されてその辺で暴れさせられて終わりだろうな。ご愁傷様。

 

 少女のこれからを想像して心の中で手を合わせながら道を通り抜けようとする。

 さて、今日こそは我が愛しのコレクションにうつつを抜かしまくりたいなぁ──。


『マテ』


 言葉と同時に背後から襲う衝撃。如何様にも抵抗できたがそれに抗うことなく地面に倒れる。

 こうなる気はしていたし、とっとと人目の付かない場所アジトまで連れて行ってもらおう。その方が楽だし。


 意外と酔いそうな振動に嫌になりながら、俺は隣の少女のように体の力を抜いて目を閉じた。

 




 そこはとある廃墟。誰も使う事なく、たまに不良のたまり場になるくらいしか人の寄りつくことのない錆塗れの薄汚れた空間。協会の正義の味方ヒーローですら進んで立ち入りたくない──悪党どもの絶好の籠り場。


 彼ら──怪人と呼称される化け物どもがたどり着いたのはその地下。書類には載っていない、誰にも知られていない未知の領域の一室だ。


「ぐへっ──!!!」

『オトナシクシテイロ』


 担がれていた二人の子供が床に放り捨てられる。

 すでに目を覚ましていた少女──成美なるみはこんなカビの生えていそうな小汚い部屋に連れてきた元凶を睨みながら、自身の装備を確認する。

 

 銃は未だ健在だが通用するか不明。煙玉は二つ。

 状況は最悪。三回ほど同じ結論に至った事に嫌気を差しながら、それでもどうにかしようと必死に脳を回す。


『ムダダ。アキラメテカイゾウマデマテ』


 そんな弱者の足掻きをこれ以上無くどうでも良いかのように鼻で嗤う化け物。

 彼らにとて人間の抵抗など虫の囀りよりどうでも良いこと。見下し弄ぶべき一般人など、最早犬歯にも掛ける価値すらなかった。


『コウエイニオモエ。コレカラオマエタチハ、ワレラトオナジカイジュウへトシンカデキルノダカラナ』


 彼らの目的──それは素質ある人間の怪人化。素質ある人間を組織の持つ装置にて怪人に変え、兵力を拡大することであった。

 

「はっ! 誰か毛むくじゃらになんてなるもんですか!! 怪人なんてとち狂っても勘弁ですよ!!」


 拒絶と共に懐から銃を抜き、すぐさま引き金を引く。

 つい昨日一緒に連れてこられた少年にも発砲した爆炎弾。例えこけおどしでも逃げる隙くらいは稼げるはず──!!


(すいません。貴方の犠牲は忘れませんっ!!)

 

 放たれた銃弾は直立していた怪人に正面からぶつかり、衝撃と煙が部屋を覆う。

 今なお地面に横たわる運悪き少年に謝罪しながら、扉のあった方向に煙の中を突き抜けようとして──。


「──っ!??」

『テイコウスルナ。コワストシカラレル』


 ぐしゃりと、鈍い音と共に少女の叫び声が部屋に木霊する。

 煙の中で少女の腕は怪物に掴まれ、向いてはいけない方向に手のひらが翳されている。


 目くらましなど無意味。人の小細工など、希望など容易く崩す理不尽。

 それこそが怪人。それこそが人を嘲笑う者──ヴィランなのだから。


『サテ。イキノヨイオマエはアトマワシ。マズハコノゼンサイカラダ』

 

 再度成美を部屋の壁に叩き付けるように放り投げ、苦しみに悶えながらなお鋭い眼差しを見せる女に期待を持ちながら、もう一方の期待外れを連れて行こうとして──。


「──へえ。君、意外と頑張るね」


 ──声がした。この場に似合わぬ暢気な声だ。


「しっかしこう、どうして厄介事っていうのは制服を汚しにかかるんだろうか。──ねえ、その辺わざとやってたりする?」

 

 その声の主は先ほどまで意識も欠片も見せなかった──ただただ巻き込まれただけの一般人の少年だった。


 制服をぱたぱたと手で払いながら、実に軽い歩で成美の側に近寄る少年。

 肩を押さえながら痛みを食いしばる少女は、少年がけろりとしている姿にこれ以上無く驚きを見せた。


「お、起きたんですか。なら、早く逃げてくださ──」

『ニガストオモウカ?』


 罪悪感か善意かは定かではないが、明らかにこの場に似つかわないあっけらかんな態度の少年に声を掛けようとして──そしてすぐに息を呑む。

 

 前方を壁のように遮る怪物は二人の目の前まで迫っており、逃げる隙間の一つすら存在してはいない。

 まさに絶体絶命。少なくともこの場にこれを覆せるような奇跡は欠片も存在しない──それが成美のたどり着いた結論だった。


『キサマモオキアガルトハ、コレハキタイデキルカモナ。──オイ』


 二人とも一気に拘束してしまおうと、後ろにいるもう一体の同胞に声を投げる怪物。

 だが返答はない。怪人が捉えたのは目の前で苦しむ女の呻きのみで、馴染みのある咆哮へんじはどこからも生じることはなかった。


『……オイ、ドウシタ?』

「ああもう一匹? それならもう声は出せないんじゃないかな?」

『……ナニ?』


 後ろを振り返る怪人はその光景を見た瞬間、思わず困惑を隠しきれなかった。

 そこにあったのは怪物であったもの。いくら声を掛けようとぴくりとも動くことのない、物言わぬ屍がぽつりと横たわるだけ。


『……ナニヲシタ』

「さあ? 畜生らしく冬眠でもしてるんじゃないかな?」

『ナニヲシタノダニンゲン!?』


 部屋を振るわす激昂。先ほどまでの余裕をすっかり無くしたかのように、見下すべき下等種族にんげんに怒声をぶつける怪獣。

 それに対し目の前の少年──遠野光とおのひかるは心の底から馬鹿にしたような嘲笑を顔に浮かべていた。


 怪人はその軽薄な表情に理性を飛ばし、自らを舐めた屈辱の根源を潰そうと飛びかかろうとして──動かない。体は鉛のように重く、全身はまるで極寒の冷地にでも放り投げられたかのような震えが立て続き制御が効かない。 

 それはまさに怯える弱者そのもの。怪人はその事実を認識し、それを否定するかのように吠えようとする。

 

『──ガッ!!?』

「喚くなよ畜生」


 次の瞬間、怪人は地面に叩き付けられたかのように全身を堕とされた。

 

 どれだけ力を込めようと体が動くことはなく、尋常じゃない重みに骨は悲鳴を上げる。

 幼児のように喚き散らそうとするのも数秒。ぐしゃりと何かの砕ける音と共に、怪人は抵抗すら見せなくなった。


「あ、う、嘘っ……」

「んで君、大丈夫?」


 成美はあっけらかんと放たれる言葉に返すことは出来ず、痛みも忘れて今この瞬間に押し寄せた非現実を処理しようと必死だった。

 

 目の前の少年──自分よりも遙かに弱い一般人だと思っていた少年が一瞬で怪獣を葬った事実などすぐさま呑み込むなど不可能に近かった。

 強力な兵器を使った訳でもない。正義の味方ヒーローのような人智を超えた力を行使したわけでもない。

 何もしていない。何かする素振りなど噯にも出さず、彼が何かしたという確信すら抱けないくらいに平然とその場に居ただけだった。


「え、はい……うっっ!!!」


 それでも答えようと生返事を呟いて、忘れていた激痛が自身に追いついてくる。

 一呼吸すら苦痛に感じるその痛みを懸命に誤魔化そうと懐に手を伸ばそうとすると、その瞬間更なる激痛に襲われ呻きを上げることしか出来なかった。


「あー駄目そうだね。……これじゃ話も出来ないし、しょうがないか」


 軽いため息を吐いた少年が手をこちらに翳す。

 開かれた掌がこちらに向くのだけは一応認識できたが、それでもそれ以上は気にする余裕すらなかった成美。

 

 ──次の瞬間、生を投げ出したくなる程の激痛が一気に引いていく。


 あるはずのものが奪われていく喪失感、そして苦しみから解放された快感。それはとても不思議で気味の悪い──何度でも味わいたくなるくらいに快感に近い未知であった。


「え、あれ。嘘……?」

「はあ……まさか襲ってきた奴を治療することになろうとは。……高校は行ってから引くほど運が悪い気がする」


 治療した。なんてこと無く吐かれた一言に令すら忘れてしまう。

 息をするのも苦しい重傷を治療できる存在なんてこの世にそういるわけがない。少なくとも、表に出ているのは治癒者セラフィム──協会所属の五つ星だけのはずだ。

 名医による手術の何倍も高い可視化された奇跡。それと同レベルの治癒なんて、それこそ忌まわしきあいつらにしか──。


「さて、こんなしけた場所で話すのもあれだし続きは出てからにしようか。とりあえず──」

『来るのが遅いから来てみれば、中々珍妙な光景じゃないか』

 

 その悪魔のような響きの音に、束の間の希望は打ち崩された。

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