序章
1
季節は巡り、生まれてからおおよそ十六度目の春が来た。
涙を流し共と別れを告げた先月がまるで遠い過去のよう、もうすっかりと新しい進学先にも馴染む頃。当然俺──
どうせ今度のテストも赤点すれすれを取れば問題はないというくらいには興味も意欲も湧いてこないのだから、手を伸ばすこの誘いに抗うのも辞めてしまいたい──。
「──遠野君!」
「……起きてる起きてる」
そう思った矢先、小声と共に隣から伸びてきた手に肩を揺らされたので反射的に言葉を投げ、黒板に視線を向け直す。
もうずいぶんと慣れたこと。入学してから早一月とちょっと経つが、気づけばもうすっかりと馴染んでしまっているこの現状。せめてもう少し何かあれば充実していると言い換える事が出来るのだけど、残念ながら鬱陶しいだけの思い出しか残っていない。悲しいことだ。
「──では、このページを訳してくるように」
チャイムが鳴り、教師が雑に課題を出して締めくくり授業が終わる。
今日もこれで終わり。後はコンビニ寄ってダッシュで家に帰るだけ。そうすれば後はあの至福の時間に全身全霊を注ぐだけ──。
「相も変わらず眠そうな表情。少しはしゃきっと出来ないのかしら?」
若干思考が
本当に面倒臭い。せっかく昂ぶりに脳内を浸らせようとしていたというのに、いい加減嫌になるくらい水を差してくる女だと内心辟易していた。
「返事くらい出来ないのかしら。ここまで来ると、最早病気を疑いたくなるわね」
「……よく正面から言えるよな。相手の気持ちとか考えないの?」
死ぬほど嫌だが、このままだとと永遠に
汚れのない漆黒の髪。例えどす黒い中身を知っていていたとしても、それでも目を奪われそうになるほどに整った容姿。外も中もいろんな意味で真っ黒な少女──
「考えるわよ。あなたにはその上で言ってるの。わかる?」
「……そうかい。それはそれはお優しいことで」
相も変わらず死ぬほど性根の腐ったどうしようもない毒女。瞬きほどの時間すら割きたくはないが、隠しきれないほどの俺の善心が一分くらいは構ってやろうと言うので会話を続けてやる。
席替えをする予定が半年に一回しかないこのクラス。最低でも夏が終わるまではこの女の隣なのだから、せめて最低限度の交流はしてやろうと思っていたのも遠い昔。いくら仏のように、大らかで頑丈な堪忍袋でも限界と諦めがつき、今ではもうあっちが毒を吐いてきた時しか言葉を交わすことはなくなってしまった。
もう面倒臭いし話しかけてこないでほしい。
というかどうしてこう隣だからといって俺に毒を投げてくるのか。あれか、隣だから何をしても良いと思っているのだろうか。
きっとこいつは、僕が被害を教師陣に訴えないから暴虐が成立していることを理解していないらしい──自分を賢いと思っている馬鹿そのもの。見ているだけで哀れに思えてしまう奴だ。
「私の隣になったのだから学生に相応しい態度で勉学に臨んでほしいものね。そもそも──」
「はいはい。俺用があるから帰らせてもらうねー」
「あ、ちょっ──」
子供が零点を取ってきた時の母親みたいな雰囲気を醸し出してきたので、適当に話を切り上げて教室を立ち去る。
背後から何か聞こえた気がするがスルー。これ以上あんな女に時間と頭を割く気はない。
早足で下駄箱まで進みながらポケットから携帯を取り出し時間を確認すると、既に十六時を切ろうとしていた。
あータイムロス。本当に無駄な時間。
まったく、なんたる奴だ烏丸結。あの美貌だけしか取り柄のない毒女のせいで、大事な大事な鑑賞時間が減ってしまうではないか。
今日は母さんの帰りが遅いんだ。バイトもないしとっとと部屋に戻ってアレを見なければ、明日もあの畜生に構ってやる気力すら湧きやしない。
靴を履き替え、ちょっとずつ速度を増しながら駅に向かう。
運が良いことに止まっていた電車に乗り込み、誰もいない所にのんびりと腰掛け一息つく。
おおよそ七駅。特に問題がなければ二十分くらいで到着か。
……よし。もう我慢できないし、合法のあれなら見ても問題ないだろう。
携帯をぽちぽちとタップし、インストールしている動画サイトのアプリを起動する。
すぐに開いたアプリのトップページを確認して、履歴にある動画に触れると、お目当ての動画が再生された。
『
画面に映るは一筋の極光。彼女──
規制を掛ける事が多い
ああ、それにしても尊い。眩しすぎて疲れが一気に吹き飛んでいくようだ。
こんな遠目でしか撮れてない粗悪な映像ですらこの輝き。やはり本物の
一分程度の短い動画を何度も何度も再生し直し、のんびりと時間を費やす。
ああーかっこいい。本当に尊い。もう語彙力も表現力も全く足りないくらいには素晴らしいといって良い、まさに理想の存在だ。
ああ、満足できない。早く家に帰りたい。とっとと帰ってこんな小さく糞みたいな画質じゃなくてコレクションを見直さなければ──。
『──次は勧善町、勧善町。お出口は右側です』
少しだけトリップしている間にもうそろ目的の駅が近づいていたのを聞き取る。
いざ見始めるとすぐに時間は経ってしまう。やっぱり外で見るとすぐに切り替えなくちゃいけないのが面倒臭いところだ。
電車から降り、早足で帰り道を進んでいく。
寄り道しなきゃいけない理由もないし、とっとと帰って続きを見ようそうしようと。気分はすでに後のこと一色になりつつあった。
「────っ!?」
耳が悪くなりそうな破裂音と同時に、唐突な衝撃が俺を吹き飛ばした。
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