第8話・救いの手
それから、一年の月日が流れた。
幸せだったことも、誰かに助けてもらったことも全て忘れた。その代わりにあるのは、自由を奪うこの胸の痛みだけだ。きっと僕の世界はこの孤児院の中で完結していて、外に出たのなら僕は消滅してしまうのだろう。
冒険者候補生の中で、僕だけが受けられない剣術の訓練が今日も行われていた。僕は窓を拭かなくてはいけない。だから、それが嫌でも目に止まる。
「いいぞ、いい一撃だ! だが、それを受けられた時を考えるように!」
今日は上位の冒険者様が、候補生様たちに稽古をつけているみたいだ。
そんなこと、僕には関係ない。僕は罪深い元貴族で、それを償わなくてならない。
僕のいない、僕の見えるところで世界は回っていく。
ふと、胸が痛んだ。きっと院長先生が僕に何かおっしゃりたいことがあるのだ。
『冒険者さんがお前に訓練をつけてくれるようだ、降りて来いゴミ』
もうなれた、心臓がずたずたにされたように痛み。事実にほかならないゴミという罵倒。
僕は急いで階段を駆け下りて、院長先生の居る中庭へと足を運んだ。僕のような非人が人間様を待たせるわけにはいかないのだ。
中庭では、冒険者様と院長先生が待っていた。何故か院長先生は苦虫を噛み潰したかのような表情をしていて、冒険者様は僕に暖かな笑みを浮かべている。
きっと折檻だ。
「サイス、俺はオスカーっていうAランク冒険者だ。これから、サイスにもぜひ訓練を受けて欲しい」
やっぱりだ。
「オスカー様?」
僕は驚いた。僕は孤児院に来て初めて人間様の名前を知ることができた。
「やめろ、様付なんてくすぐったいぞ」
オスカー様はそう言って笑う。久しく見てない種類の笑顔だった。まるで母が僕に向けたような、暖かな……。
「も、申し訳ありません。私のような非人が名前を呼ぶなど」
僕は怯えなくてはならない、そうして気持ちよく殴れるように頬を差し出さなくてはならない。
不運なことに、レベルが上がりステータスが上がった僕は殴られることができてしまう。殴られても、死なずに済むからだ。
「おい、院長! 一体どんな教育をした」
僕の
「申し訳ありません! どうか、お許し下さい! どうか」
僕は必死に冒険者様に許しを乞う。
「大丈夫、君が悪いところなんて一つもないんだよ」
言葉の意味が理解できない。悪いのはいつだって僕で、殴られて
なのに、この冒険者様は何故か僕を庇う。
「こいつは、元貴族でして!」
院長先生言うと、冒険者様は立ち上がった。
「なら聞くが、彼は奴隷か? いや、奴隷の方がまだマシな目をしているぞ!」
「し、しかし……」
「しかしも糞もあるか!? どうでもいい、このことは冒険者ギルド本部に持ち帰る!」
冒険者様は、これまでに見た誰よりも本気で怒っていた。あの目は、怒りと軽蔑に染まっていた。僕がよく目にする、憂さ晴らしの対象を見つけた嬉しそうな目じゃない。
「う……ええ、わかりました」
院長は僕を見る。これも本気で怒っている眼だ。僕は恐怖のあまり、おかしくなりそうになる。
「おい、その子に何かしてみろ! 俺はお前を殺すぞ!!!」
聞いたこともないような、腹の底から冷え込むような声だった。
だが、その声は一瞬のうちに優しげな声へと変わる。
「ごめんな、怖い思いをさせただろう」
体が震えていた。死ぬより辛いことなんて何度も経験したはずなのに、それを超えて恐ろしかった。だけど、それを言ったら、きっともっと恐ろしいことになるのだろう。そうとしか思えなかった。
「だ、大丈夫です」
震えて、うまく言葉が紡げない。奥歯が鳴ってしまいそうで、それを必死にこらえた。
「そうか……ちょっと待て、お前その首元の!」
冒険者様は僕の懲罰紋に気がついた。次の瞬間、院長先生は冒険者様の拳に吹き飛ばされていた。
「おいこの外道、子供にこんなもの刻みやがって!」
冒険者様が、院長先生の胸ぐらを掴み持ち上げる。
その時には、院長先生は既に気絶していた。
「サイス君、今すぐ冒険者ギルドに行こう」
「わかりました」
僕は冒険者様を恐れるあまりそれに従うしかなかったのである。
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