第5話・悪意

 孤児院に来てから三週間が経過した。その間、僕は精一杯周りに溶け込もうと努力した。だが、僕はただの一人にすら名前を教えてもらえなかった。

 ほんの少しの間忘れていた孤独が、戻ってきてしまったみたいに思えた。

 僕が三週間行えたことは、この孤児院の掃除だけだ。それに僕の食事は、蒸していない芋ですら贅沢と思えるものだった。

 僕の生活はまるで奴隷だ。

 だけど、そんな日々も今日で終わると信じていた。


 なんたって今日は、月に一度の冒険者実務演習だ。僕が奴隷生活を耐えられたのは安全を確保した上でアルミラージと戦闘ができる今日のためだ。そのために僕たち冒険者候補生孤児は孤児院のあるエヴァンス伯爵直轄領付近の草原に来ていた。

「みんな、わかると思うが今日は危険も伴う訓練だ。だが安心して欲くれ、危険を避けるために今日は騎士の方に来ていただいた」

 冒険者と騎士は剣と盾の関係だ。

 冒険者が未開拓地を切り開き、騎士がそれを守る。だから、求められる能力が違う。騎士は能力のアベレージを求められ、冒険者が特化した能力を求められる。


「騎士モーガンだ、危険な時はすぐ助けに入るから安心してくれ!」

 騎士は、多くが貴族の血縁者だ。だから、僕に純粋な軽蔑を抱く。

「「「わかりました!」」」

 冒険者候補生たちは、騎士を眩しい眼差しで見つめている。それは、冒険者と騎士が互を尊重しているからである。

「よし、では冒険者の卵諸君! 行くぞ!」

 そうして、平原でのアルミラージ狩りが始まった。


 冒険者候補生たちは、常日頃から鍛えている剣術と、僕よりはずっと高いステータスでアルミラージを次々と狩っていく。アルミラージ程度なら、子供でも怪我をすることは希だ。

 それに対して僕は、剣術の訓練などしたことがない。それに素早さも、知識も周りに遅れ、自分の獲物を見つけられずにいる。


「見ろよ、あいつまだ一匹も狩れてないぜ!」

 冒険者候補生の一人が僕を嘲笑う。

「やめとけ、元貴族様が伝染るぞ! あっはははは」

 他の冒険者候補生も一緒になって僕を笑った。

 自分が貴族だなんて自覚は、最初からない。あったところで、これまでの生活はその自覚をすり潰すのに十分なものだった。だから僕は何も言わずただアルミラージを探し続ける。


 反撃する気力がない以上に、耐えて耐えてやっと訪れた今日を無駄にはできない。

 だが、その日は無駄以上の最悪になった。

 罵られ、嘲笑われ、それを耐えながらアルミラージを探し続け夕暮れに差し掛かったところそれは起こった。


「これは、イビルラビット……」

 騎士が、冒険者候補生の一人が持ってきた死体を見て言う。

 その、イビルラビットが問題だった。イビルラビットはアルミラージとは違い好戦的で肉食な魔物だ。そして、巨大な群れを形成し蝗のようにすべてを食い尽くして移動し続ける特性を持っている。そして、最も違う点は……イビルラビットが人間に対して明確な悪意を持つ点だ。


「ここは危険だということですな」

「危険などというレベルではありません。私が囮になります。全員を連れてすぐ逃げてください」

 騎士モーガンの顔に浮かぶのは決死の覚悟だった。

 イビルラビットの群れを殲滅するのは、騎士団が総出でならなんとかなる。だが、一人では時間を稼ぐのがせいぜいだ。そのうち、ジリ貧になり体中を食い尽くされる。


「騎士様をそのようにするのは心苦しい。どれ、惜しい捌け口ではありますがうちから生贄を出しましょう」

 院長がそう言うと、僕の胸は急激に痛み出し、僕はその場にうずくまる。


 院長はそれを確認すると、僕を指さして言った。

「あれが生贄です」

「元貴族ですか、わかりました」

 騎士がうなづくのを見て、院長は声を張った。

「みんな、ここは危険だ逃げるぞ!」

「「「はい!」」」

 院長の声に合わせて、冒険者候補生たちは逃げていく。僕を置いたまま。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る