5.背信
「誰かが忍び込んだぞ!探せ!!」
男の叫び声と同時に、通路の方から幾人もの足音が聞こえてきた。
「ペルラ!見つかったぞ!」
しかし、少女はその場から動こうとはしなかった。
「……いいえ、ちょうどええどす。ここで交渉しましょう」
「はぁ?ここで囲まれたら逃げようがねぇよ!そんな危ない橋を渡らなくたっていいだろ?」
「どっちにしたって、商会の人とは話をせんとあかん。それに、時には正面突破も大事なんやろ?」
ペルラは悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「……お前の度胸、ほんとに恐れ入るよ」
足音は少しずつ近づいてくる。
時間がない中、バズは一つだけペルラに質問した。
「どうして俺なんかのためにそこまでするんだ?」
「そないなの決まっとります。うちの初めての依頼やったからや」
白い髪を靡かせて振り向きながら彼女は即答した。
「あんたの借金を返すのを手伝う。報酬として“あの人”について教えてくれはるんやもんな」
そして、片目をつむっていつもの調子でおどけるように続けた。
「それに困っている小兎はんを導くのも、神官の役目やろ?」
「……そうか、すまない。ペルラ」
それが彼女に払う“報酬”など何も持ち合わせていないことに対しての謝罪だったのか、嘘で無理やり付き合わせて危険な目に合わせていることへの詫びだったのか、バズは自分でもわからなかった。
だがそのどれだとしても、ペルラはそれを許すように微笑むだけだった。
***
やがて三人の男が商会の倉庫へと駆けつけた。
彼らは倉庫の中で何かを嗅ぎ回っている侵入者を見つけると、声を上げてグレイヌを呼びつけた。すぐに大きな腹を揺らしながら商会の長は現れる。
「どうせ侵入者は債務者の誰かだと思っていたが、やっぱりお前だったかぁ。そのお洒落な帽子で隠したつもりかぁ?バァズ」
「チッ。今どきこんなド定番な帽子のタビットなんかいるかよ」
バズはそう言って帽子を外し投げ捨てる。
「悪いがグレイヌ、今日でお前への借りは無しにさせてもらうぜ」
「金を借りたなら、金で返してもらわねぇと困るんだけどなぁ」
グレイヌがぼやいたところで、ペルラが声を上げた。
「あんた達に返さなあかんお金なんてありません!」
「知らねぇ顔が居るなぁ。誰だい、嬢ちゃん。ここは神官さんの来るようなところではないですぜぇ」
グレイヌはふざけた様子で野次を飛ばした後、声を低くして脅すように言った。
「金を借りたのはお前のほうだろう?バズ?じゃあ返さなきゃガメルに失礼ってもんだ。それに俺たちは、債務者を信じ、与えてやってるだけなのに。それをこうして仇で返すってんならライフォス神も黙っちゃいないだろうさ」
そう言ってグレイヌは口角を釣り上げる。その表情はグレイヌの腹の黒さが垣間見えるようだった。
始祖神ライフォスは富や力の独占を禁じ、調和や平和を愛する。グレイヌは自らの信ずる神の教えのまま、金貸しをしているとのたまった。
だが、バズはそれに強く言い返す。
「お前たちが本当にライフォスの信徒だってんなら、あんな高利である必要はねぇだろうが!」
グレイヌは表情を崩さず、ニヤニヤ笑いを浮かべるのみだった。
ペルラがバズに続けてグレイヌに口撃する。
「それにライフォスがこんな物を流通させることを本当に許すと思っとるんかいな?」
ペルラが一つの小瓶を取り出す。それはこの倉庫に大量に置いてあるものだ。中には薄い黄色をした半透明の液体が入っていた。
グレイヌはペルラの言葉に、若干だが動揺の様子を見せる。
「それがどうしたってんだ?ただの小瓶じゃねぇか」
「いいえ、違います。そういえば、表の商会では大量のグールコインを売ってはりましたなぁ。それに冒険者向けに魔神の血も置いてはったけどあれは全部インプのものどす!でも本当に必要やったんはそっちやない」
ペルラはさらにグレイヌへの追求を続ける。
「グールとインプ、両方とも神経を麻痺させる毒を持ってはります!冒険者に依頼してそれを集めさせとったんや。冒険者ギルドの方にも確認済みやで!グールコインと魔神の血はその副産物やなぁ」
そう言うと、ペルラは小瓶の蓋を開けた。その特徴的な臭いはバズにも感じられた。
「この液体はその二種類の毒から生成されとります。すなわち……」
バズがその後の言葉を引き継ぎ、グレイヌに突きつける。
「“麻薬”だ。摂取すると神経毒で廃人になる上に強い依存性がある。そういう中毒者が路地裏でキメてることもあるが、ロクなもんじゃねぇな」
「バズはん、美味しいとこだけ持ってかんといてくれへんか?」
「ああ、悪いな。どうしてもこいつのたじろぐ顔が見たくてよ」
ペルラが非難するもバズは手を広げておどけて見せる。
グレイヌは呆れたような顔をしながらとぼけた表情をしていた。
「根拠もなくそんなことを言われても困るんだよなぁ?お前達の言う通りだとしても、医療用に使うだけかもしれねぇだろう?それに、そんな毒を作り出すような技術が俺たちにあるとでも思ってるのかぁ?」
グレイヌの指摘に対して、ペルラは不敵に笑みをうかべて言った。
「えぇ、あります。うちの思っとる通りやったら、あんた達は麻薬を生成することくらい、訳無いはずやで」
グレイヌもこれには流石に驚いたようだった。周りの男たちにもそう動揺は伝わり、不安そうな表情をうかべていた。我慢の限界となったグレイヌは彼らに指示を下す。
「もういい!こやつらを捕らえて黙らせろ!!」
二人の男がペルラへと襲いかかろうと駆け出した。手には武器を持ち、反抗する者は殺してでも止めようとしていることが分かる。
瞬間、バズは大きく飛び上がり一人の男の顔面に蹴りを入れ、その反動でペルラを突き飛ばす。
「グっ……」
蹴られた男は方向感覚を失いフラッと後ろに倒れる。同時に突き飛ばされたペルラはもう一人の男から距離をとることができた。しかし、その代わりにバズの脚が掴まれ、宙吊りにされる。
「……タビットの癖に!」
「先入観に囚われたな!……今だ!やれ、ペルラ!!」
逆さに吊られながらもバズはペルラへと叫んだ。
突き飛ばされたペルラは先程よりグレイヌと距離を縮めていた。彼女は再び立ち上がり、グレイヌへと真っ直ぐな視線を向ける。
「グレイヌ商会に飾られとった、ライフォスの聖印……」
グレイヌは目を見開き、これまで以上の動揺を見せる。
「あれはただの始祖神の聖印とちゃいます!今、それを暴く!」
ペルラは胸の前で手を合わせ、神への
「賢神キルヒアよ、この者の信ずる剣とその権能を示し賜え!【ディテクト・フェイス】!!」
そして彼女は天からの声を聞く。それはこの者達の背信の証。
「やっぱり、【腐敗の女神ブラグザバス】っ!!邪教を信じ、人族を裏切っとるっちゅうわけやな!!」
【腐敗の女神ブラグザバス】、それは第二の剣に力を与えられた邪神の一柱である。毒と病を司り、腐敗と疾病を撒き散らす権能を持ち、ラクシアでもっとも危険で唾棄すべき神のうちの一つとすら言われている。
「六角形はブラグザバスの聖印によく刻まれとります。ライフォス聖印と同じ用に六角形を3つ重ねたやつやからなぁ。それに腐敗神の信徒であれば、毒から麻薬の生成なんてお茶の子さいさいや!」
グレイヌの目は左右に泳ぎ、誰の目から見ても強く動揺していることは明らかだった。
ペルラはグレイヌを見据え、最後の交渉を行う。
「このことを自警団に秘密にしてほしいんやったら、バズはんから手を引きなさい!」
「た、たた、大層な推理だが、しょ、証拠はあるのかぁ?お嬢ちゃん」
しかし、グレイヌは全く認めようとはしなかった。しどろもどろに言葉を吐いているうちに、ペルラには確固たる証拠はないということに気づいたようであった。
「そうだ!今の【ディテクト・フェイス】だって、お嬢ちゃんが本当のことを言ってるとは、か、限らないわけだからなぁ」
グレイヌは隣の男に目配せをすると
「とはいえ、商会の悪い評判が広まっても困るってもんだ。も、もう二度と変な噂を立てられないように、これ以上喋れないようにしてくれる!やれ!!」
グレイヌの命令でメイスを持った男の一人が彼女の前に躍り出る。グレイヌはニヤニヤと笑いながら下品な声で言った。
「今ここで、土下座して詫びるってんなら許してやってもいいぜ」
しかし高潔な神官の少女は一歩たりとも引く様子はなかった。
「邪教の甘言など何がおうてもうちは乗りません!」
「そうか、ならば……ここで死ね!!」
再びグレイヌが男に命令を下すと、鈍器は大きく振り上げられた。
「ペルラ!!」
脚を捕まれ宙吊りにされていたバズはただ声をあげるしかできなかった。
「……本当に危なっかしくて見てられないわね」
その時。
上──商会の天井の梁から声がした。
その声の主はペルラと男の前に華麗に飛び降りる。
気づけば、彼女の目の前には小さな人間の子供ほどの背丈の冒険者が立っていた。
「サナプ!!」
サナプと呼ばれた冒険者は小柄な体躯を活かしてペルラに刃を向けた男の懐へ飛び込み、ナイフで下から斬り上げる。
「クハッ……!!」
男は膝をついて武器を取り落し、その場に倒れる。その素早さにバズは呆気にとられる他なかった。だが、その姿にバズは見覚えがあった。
小さな暗殺者はナイフを逆手に持ち替えながら言った。
「腱を斬ったわ。教会で治してもらいなさい。もちろん、懺悔の後にね」
「おおきに!助かりました」
「なんでこういう危ない橋を渡るのかしら」
「なんとなくやけど、サナプが来てくれそうな気がしとったからや!」
小さな冒険者はパッとマントの払うような仕草をし、呆れたように腰に手を置く。
「はぁ……。それで、あのタビットは貴女の仲間ってことでいいのかしら?」
バズを指差しながら彼女はそう問うとペルラはにこやかに頷いた。
「タビットの男連れなんて、意外と男の趣味が悪いのね。それに……」
そう言い捨てると一瞬でバズの視界から消える。だが、気づくと自分を取り押さえていた男は倒れていた。
「借りた金を踏み倒そうとした上に、またここに戻ってくるなんていい度胸ね。バズ」
彼女は挑発するようにバズの名前を呼んだ。
(こいつ!俺を追ってきた借金取りの一人じゃねぇか!)
「私はサナプ、今はそれだけでいいわ。手伝いなさい、バズ」
「あ、あぁ。感謝するぜ」
バズがその勢いに圧倒されながら、返事をしたところで、グレイヌが驚きながら叫んだ。
「サナプ!どうしてこいつらに肩入れしやがる?」
「悪いわね、グレイヌ。私は別の依頼でこの商会に入り込んでいただけ。貴方達が邪教と繋がっているという証拠を手に入れるためのね」
サナプは懐より一枚の羊皮紙を取り出す。
「貴方への指令書は手に入れられたのだけど、依頼主はどうにもわからなかった」
おそらくそれが、ブラグザバス神殿からグレイヌへと宛てられた指令書の一つなのだろう。
「だけど、ペルラのおかげでやっとわかったわ。観念しなさい、ここで終わりよ」
グレイヌの化けの皮は完全に剥がれていた。それはもはやライフォスの信徒とは程遠く、暴力に全てを頼る邪教徒の姿であった。
「お前達3人程度、ここで殺してしまえば済むこと!」
グレイヌがそう叫ぶと奥から5人の武装した男が現れる。グレイヌ自身も鈍器を手に取り、顔を真っ赤にして激昂していた。
「そうでなければ、ヴェレーノ様に申し訳が立たない!【静かに、密かに、広く深く毒の種をまけ】……それが俺の使命だ!」
「貴方の事情なんか知らないわ。これが私の仕事だもの」
「黙れ!あいつを黙らせろ!野郎共!!」
グレイヌの一声で商会の男たちが3人に向かって走っていく。しかし機先を制したのはバズ達の方だった。
「くるで!守護魔法をかけます!」
再びペルラは手を合わせ、キルヒアへと加護を乞う。
「賢神様が守ってくださります!【フィールド・プロテクション】!!」
負傷を軽減する賢神の守護が3人に与えられる。小さき者に剣の加護を給う神聖魔法の力だ。
サナプはバズに背を向けたまま、指示を出した。
「バズ!貴方は右側をお願い!お姫様には近づけないようにして頂戴。それともタビットには荷が重いかしら?」
「ったく、どいつもこいつもウサギを舐めやがって。窮タビットはドラゴンすら噛むってな」
「そう、じゃあ期待してるわ」
サナプはそう言うと左側の3人へと足を向ける。
瞬間、彼女の姿が消え、男の後ろへと回り込んでいた。
バズには、否、この場に居た誰にも彼女の歩む姿は見ることすらできなかった。
彼女はもはや規格外の速さで以て悪党に接近し手に持ったナイフで切り払う。鎧の僅かな隙間、人体の弱点を付くような必殺の一撃だ。
「所詮は匪賊の雑兵ね。遅すぎるのよ」
残った男がサナプへと
「とんでもない奴だ……。俺も行くか」
バズは背中のロングアックスを取り出し2本の手で持つ。自分でも、ロングアックスを持ったタビットとは、やはり不釣り合いにすら思えた。
バズは向かってくる
ザンッ!!
「グッ……」
バズの斧は革の鎧を引き裂き、男の肩に深い傷を追わせていた。
男は得物を取り落し、その場に倒れる。
「戦いの最中の人ってのは単純だぜ。特にお前らみたいに脚本通りにしか動かないような野郎ならな!」
「タビットの癖に仲間をっ!ならばっ!!」
バズへと向かっていた男は視線を移し、後ろに居たペルラへと狙いを変える。体躯の小さなバズではそれを止めることはできなかった。
「クソっ、ペルラ!悪いそっちに一人行っちまった!!」
しかし、彼女は落ち着きはらった様子で答えた。
「へぇ、うちを狙うってのは相当“賢い“どすなぁ」
ペルラは聖女らしく笑みを浮かべると右手にした指輪で宙に文字を書き、詠唱を行う。
「でも、もう少しだけ足りひんかったなぁ。
紡がれた古代文字が彼女の前で魔力を収束させ、光の矢となって男を貫く。
真語魔法第一階位、【エネルギーボルト】だ。
熱線を受けた男は一瞬動きを止めるとその場に倒れた。服や髪からはプスプスと焦げるような音がしていた。
「ヒュウ!やるじゃねぇか!」
「自分の身を守れないようやったら、冒険者なんてしとらんわぁ、でも実践は初めてやったけどな」
ペルラが男を倒すと、サナプも方がついたようだ。頬に血が掛かっているが、それはきっと彼女の物ではないだろう。
「さて、残ったのはお前だけだな、グレイヌ!」
一人残ったグレイヌにバズは啖呵を切った。
「溜め込んでる分、たんまり吐き出してもらいまひょか」
「それだとどっちが借金取りかわからないわよ。ペルラ……」
軽口すら叩きながらにじり寄る冒険者に、グレイヌは完全に足がすくんでいた。逃げることもなく、かと言って立ち向かうほどの気力もなかった。
「あぁ、祝福の女神ぶ、ブラグザバスさま……どうかわたくしめに加護を……」
しかし、一瞬にして男達を片付けた3人を前に商会の長はあまりに無力だった。
彼に勝利の女神が微笑むことは残念ながらなかったようだった。
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