4.グレイヌ商会
日が暮れる頃、宿場のテーブルで話す二人に女将は夕食を出してくれた。
馬車の中でペルラの干し肉しか食べていなかったバズは温かい手料理を吸い込むような勢いで胃の中へと収めると、一日の疲れからか突っ伏して眠ってしまった。
眠る必要のないペルラはその隣で静かに本を読みながら過ごしていた。
しかし夕食の後3時間ほど経っても、そのサナプという者は現れなかった。
居眠りから醒めたバズは寝ぼけ眼で目の前のペルラに話しかける。
「……まだこねぇのか?」
ペルラは本を閉じると心配そうな様子でバズに言った。
「そうなんどす。何かあったんやろか……」
「仕事だと言っていたが、冒険者の仕事ってことだよな?」
「多分そうどす。結構いろんなことをしているらしいんやけど……」
「でも来ないってことは、やっぱりグラスランナーは自由奔放なグラスランナーだったってことか」
からかうように言うバズにペルラは少し怒ったような態度を見せる。
「サナプが約束を忘れることなんてありえへん!うち、探しに行ってきます!」
「そうは言っても、もう夜だぜ。休んだ方がいいんじゃないか?」
日没から3時間程度が経過している。すでに夜は更け、人通りなどほとんどない。いくらユーシズが治安の良い国とはいえ、今から出歩くことは憚られるような時間だった。
「メリアは寝る必要あらへんからなぁ。バズはんはここで待っとってもええで」
しかし、どうにも彼女の決意は固いようだった。
バズは呆れたようにため息をつく。
そんな面倒なことはしたくない、というのがバズの本心ではあった。しかし、彼女を外に放ったままでは寝付きが悪いことは目に見えていた。
「しょうがねぇな。夜遊びの監視をするのも年長者の役割だ。夜なら俺も外に出れるだろ」
「ほんまどすか?馬車も長かったし、もう少し寝ててもええんとちゃいますか?おじいちゃんなんやから」
ペルラは嬉しそうに笑った。バズがついてきてくれることが心強かったのだろう。
「うるせぇ!さっき寝たから十分だ!!」
「あ~あ、最近のご年配の方はキレやすくて嫌やわぁ」
そう言って、メリアの少女は再びバズをからかうのだった。
出会ってからたった数時間だと言うのに、すでにこれくらいの軽口は叩けるほどになっていた。それだけこのペルラという少女とは波長が合うようだった。
「女将さんやったら何か知っとるかもしれへん」
「あぁ、結構長くこの宿に泊まっているみたいだしな」
ペルラは夕食の後片付けをしていた宿の女将に話し掛けた。プライベートなことだから教えてもらえない可能性もあったが、どうやらここまで長く待っていたことから本当の友人であると思ってくれたらしい。
汚れた食器を拭きながら女将は言った。
「最近だと〈グレイヌ商会〉を出入りしていたみたいだけどねぇ。何かそこで仕事してるみたいだよ」
「はぁ?」
その名前を聞き、バズは思わず声を上げてしまった。
それはガーロン以上に高利貸しの悪徳連中。バズがこの国で金を借りた商会そのものであったからだ。
「困ってる連中の足元を見て、馬鹿みたいな金利で金を貸す奴らだぞ?そいつも借金か弱味でも握られてんのか?」
ガメルを借りそれを踏み倒そうとしたのはバズ自身ではあったが、実際相当にあくどい商会であることは確かだった。バズは十日で五割の金利をつけていたことすらあると聞いていた。そもそもその資金源すらもまともそうではない。
「あれ、バズはんがお金借りてたとこもその商会どすか?せやったらちょうどいいかもしれへんなぁ」
「何がだよ」
「もしかしたら濡れ衣を晴らせるかもしれへんやろ?サナプが口利かせてくれるかもしれへんし」
「そうは言っても踏み倒そうとしたことだけは事実だからな……」
「それやったら素直にごめんなさいすればええんとちゃいますか?」
「それで許してくれる連中なら、こんなことになってねぇよ」
バズはぼやいたものの、ペルラは腰を上げてしまっていた。女将さんに礼を言って出発の準備をすでに始めている。
「まぁええやん。ここで待っとっても埒があかへんし、とりあえず行ってみまひょか」
「……」
バズは彼女の勢いと笑顔に押され、その提案を断ることはできなかった。
***
二人は〈グレイヌ商会〉の商館の目の前に立っていた。
バズは再び帽子を深くかぶり直す。昨晩忍び込んで抜け出したばかりの館にこうして相対しているのはどうもバツが悪い。
「大きい建物やなぁ、そうとう儲けてるんやろうなぁ」
大通りに面した2階建ての商館は間口も広い。そして裏の方は倉庫になっており、商品や債務者が質に入れた品を保管しているようだった。
「どうせロクな手段じゃないがな。ほら、見てみろ。お前の好きな聖印だぞ」
バズは館に掛かっている六角形の看板を指差して言った。
そこには3つの円を重ね合わせたような紋章が記されていた。
「あれは【始祖神ライフォス】の?」
ラクシアでもっとも始めに誕生したとされる【始祖神ライフォス】。調和と平和を愛し弱者へと手を差し伸べる最も偉大な神の一柱である。
「そうだ。ここの長のグレイヌはライフォス信者で、富を分配して分け与えることを信条に金貸しをしているそうだぜ」
「せやったら高すぎる金利を付けるのはおかしいやんか……」
「あいつに言わせれば、商会の運営に必要なんだとよ。とんだ守銭奴だぜ」
「……」
ペルラはその看板をじっと見たまま黙ってしまう。
「どうした?ペルラ」
「いや、考えすぎかもしれへんなぁ。何でもないどす」
何か気になるような点はあったようだが、バズもそのことを追求はしなかった。
「とりあえず入ってみるしかないと思います」
「ここまで来て悪いが、俺は嫌だぜ」
流石に中に入ってしまえば、誰かにバレる可能性は高い。ペルラもそのことはわかってくれたようだった。
「じゃあ、うちだけで入ってサナプについて聞いてみます。もうこんな時間やから追い返されるかもしれへんけどな」
「もしかしたら、中にいるかも知れないしな」
バズは少し離れた路地に隠れ、ペルラが中に入っていくのを見守った。
(まあ、神官の格好をしているし危険はないだろう)
背中に担いできた斧の感触を確かめ、心を落ち着ける。
(できればこいつに世話になりたくはないものだが……)
数分後、商館の扉より白い髪の少女が出てきたのを確認し、路地のほうへと手招きする。
「なんかわかったか?」
「いや、こんな時間やったからまともに取り合ってはくれんかったわ」
残念そうな表情を浮かべ彼女は言った。
「奥の方に大きなお腹した偉そうな人が居はったなぁ」
「あぁ、そいつがグレイヌだな。銭ゲバのたぬき野郎だ」
「せやけど、サナプについては何もわからんかったなぁ……」
再び口惜しそうに言う彼女にバズは冗談めかして聞いてみた。
「何かグレイヌの野郎の弱味になりそうなものはなかったかよ?」
「そうやなぁ……そういえばセールだかなんだかで〈グールコイン〉と〈魔神の血〉をぎょうさん売ってはりました」
「はぁ?何でそんなキモいもんばっかり売ってんだよ」
グールと呼ばれるアンデッドはその眼球の裏側に琥珀状の沈殿物が生じるとされる。グールコインと呼ばれるそれはコレクターのために高値で取引されることがあるという。
「〈魔神の血〉はあれ多分インプのやなぁ」
インプは低級魔神の一種である。コウモリに似た翼を持った小さな魔神だ。
どうやらこの少女はキルヒアの信徒なだけあって、魔物についての知識も深いようだった。
「どっちも金になるもんではあるが……」
「……」
ペルラは腕を組み、再び考え出していた。やはり何か引っかかることでもあるのだろうか。
「……深い思索はキルヒア譲りか?」
バズが揶揄したが、ペルラは真剣そうな顔をしてバズへと告げた。
「バズはん、2つ確認したいことができました」
彼女は一つ、とバズの目の前で指を立てる。
「冒険者ギルドでグレイヌ商会が最近依頼した仕事を調べてきてくれへんか?この街はあんたのほうが詳しいやろうし」
冒険者ギルドは冒険者達への仕事の斡旋を行う団体だ。
他にもギルドといえば魔術師ギルドや盗賊ギルドなどもあるが、そういった職業の者たちにとって欠かせない存在である。
「何かわかったのか?」
「キルヒアの天啓……って言いたいところやねんけど、多分まだ妄想の域を出えへんなぁ」
ペルラはクスリと笑うと、もう一本指を立てた。
「もう一つはあの館の周りでうちが調べます。さっきのがわかったら戻ってきてください」
彼女はどうにもまだ推理を教えてくれる様子はないようだが、今日の付き合いで酔狂でこんなことを言う人物とは思えなかった。
「わかった。10分で戻る」
「おおきに、じゃあ頼んます」
バズの頭は疑問符だらけだったが、言われた通りに冒険者ギルドへと向かうことにした。何か後ろ暗いことを調べているはずなのに彼女はやたらと楽しそうな表情を浮かべていたからだった。
***
10分後、バズは商館近くへと戻ってきた。
ペルラは商館の真横、普通だったら入り込まないような狭い路地に立っていた。
バズが姿を隠しながら路地の方へと近づいていくと、彼女は小さく手招きをした。
「こんなところで何してんだ?」
小声でペルラに訊ねると彼女は商館の壁の上の方を指差す。そこには穴の空いた壁を角度が付いた何枚かの板で塞ぐことで空気の通り道を作っている通気孔であった。
「ただの空気の通り道じゃねぇのか?これ」
ペルラは小さく首を横に振った。
「それはそうなんやけど。この臭い、わかりますか?」
通気孔からは生活臭の他に若干の刺激臭が混じっているような気がした。
「……!?」
冒険者になるために、少しだが野伏の心得をかじっていたバズにもそれが何かは理解できた。だが、これに関してはキングスフォール暮らしでの経験の方が活きていたかもしれない。
「こいつは知ってるぞ!キングスフォールの裏路地でたまに嗅ぐことがあったな……」
「それで、バズはん。冒険者ギルドの方はどうやった?」
ペルラに結果を聞かれたため、バズは自分の成果を答えた。冒険者ギルドで依頼のリストを見るまでは、何を調べればいいのかさっぱりわからなかったが、よくよくリストを見るとバズですら気づくほどの符号がそこにはあった。
「……やれるかもしれへん」
ペルラがつぶやいたのをバズは聞き逃さなかった。
「何がだよ?」
「あんたの借金を無くして、全部ちゃらにできるかもしれへん」
「キルヒアの天啓が降りてきたってところか」
ペルラは自分の推理をバズに話した。
それは荒唐無稽ではあったが、筋は通っていた。
「……それなら、俺からも一つ根拠っぽいものがあるな」
「なんやろか?」
「“グレイヌ”ってのは確かどっかの地方語で種って意味だ。おそらくは偽名だが、……そういうことかもしれないな」
ペルラは嬉しそうに頷いた。少しくらいは頼れる相棒らしさを見せることができたかもしれない。
「この秘密をユーシズの自警団には黙っとる代わりに、あんたの借金をなくしてもらいましょう」
「……じゃあ、こいつらは見逃すってわけか?大した神官サマだな」
その問いに対して、ペルラは目を閉じて首を振る。
「それとこれとは話が別や。その後は神殿に報告します。この人達を放っておくことなんてできへんからなぁ」
サラッと言ってのけるペルラを見て、バズは思わず天を仰いだ。
「……全く、大した神官サマだ」
「せやけど最後の証拠が欲しいどすなぁ」
バズは目の前の商館を見上げると、ちょうど昨晩の出来事を思い出した。
「そうだ!倉庫の中に大量に瓶が入った箱があったな……そういうことだったか」
「わかりました。それやったら、忍び込みまひょか!」
「お前、まさか斥候の心得もあるのか?」
ペルラは屈託のない笑みを浮かべてそれに答えた。
「まさか、かくれんぼは大の苦手やで。でも、むしろグレイヌはんに出てきてもらわへんと困りますから」
むしろ見つかることを承知で忍び込むということのようだ。大胆すぎる作戦ではあったが、それはバズの好みでもあった。やはりこの少女とは気が合うらしい。
バズは呆れた表情を見せたあと、不敵に笑った。
「ま、時には正面突破ってのも悪くはないか」
肝の据わった相棒は、その言葉に嬉しそうに頷いた。
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