第25話

「かなえちゃん二十五歳、広斗くん二十九歳の誕生日おめでとー」と盛大な声が上がり、鋭い破裂音にわたしの身体が飛び跳ねた。少し焦げた匂いと、夏摘くんの悲鳴とも雄叫びともいえぬキャーという声が部屋に響いた。

「ちょっとー、かなえちゃんがビックリするじゃない。クラッカーは禁止!」と洋子さんがわたしの肩を掴んで周りを注意してくれた。さしずめ相沢さん辺りだろう。

「洋子さんありがとう。皆さんもありがとうございます」わたしはとりあえず頭を下げた。

「ありがとうございます」隣で広斗もお礼を言っている。

「いいっていいって、今日は心置きなく盛り上がろうぜ」手を叩いて拍手をしてくれているのは、相沢さんだろうか。この場にいる誰よりも陽気な声をしてる。

「お前は人の家に来て、勝手に盛り上がれる天才だな」こちらは和夫さんだ。二人は同期入社で十年来の付き合いだった。気を張らないやり取りに、わたしの緊張もほぐれた。

「おめでたい場なんだから、盛り上がらなきゃ意味がないだろ」

「今日の主役は二人なんだから、相沢君は大人しくしてて」と洋子さんは釘をさす。

「ママ、フライドチキンとって!」こちらは夏摘くんがさっそく食客として動き始めた。

 今日は相沢さんの奥さん、翠さんの都合がつかずこの場にはいなかった。ストッパー役の翠さんがいない分、相沢さんを止めるのは、洋子さんと和夫さんの役目となる。

「かなえも、何か取ってあげようか? ポテトサラダ、フライドチキン、ピザ、パスタ、カレーライス、おにぎり、おにぎりの具はいくらと昆布と鮭がある」広斗はテーブルの上に乗せられている料理をわたしに説明してくれた。

「じゃあ、サラダとフライドチキンと鮭おにぎりがいい」

「オッケー、プレート借りるね」と広斗はわたしのプレートに希望した料理を小分けにして取ってくれた。「フライドチキンは持ち手にアルミホイルが巻いてある」

「さすが洋子さん」とわたしは感動した。パーティーなのにおにぎりが並ぶのも不釣り合いだけど、目の見えないわたしには手に持って食べられる料理は、とてもありがたい。まだ食事に慣れてなくて粗相をみんなの前でしてしまうんじゃないかと不安があった。その不安を先回りして、食べやすい料理をわざわざ用意してくれたんだ。

「しっかし、やっぱり誕生日が一緒ってのも運命的だよな」と相沢さんが話題をふった。

「お前の口から、運命なんて言葉が出てくるなんて、気持ち悪いな」

「いいか和夫、俺たちみたいな友人の紹介なんてありふれた出会いよりも、何倍も胸が躍るじゃねーか。面識はあったにせよ、後からあれもこれも趣味が合う、しかも誕生日まで同じとなったら、運命の人かもぉ。っておもって当然だ」

「俺もお前も女性に縁遠い生き方していたからな。運命を信じるなんて、宝くじの一等があたるくらいに、信じてなかったな」

「柔道部と野鳥愛好会には、運命的な出会いなんて起こらねーんだよ」相沢さんが笑った。

「野鳥の会だ、翠ちゃんに叱られるぞ」と和夫さんが苦言をていした。たかがサークルの話しなのに和夫さんと翠さんは野鳥に関して愛情深いのかもしれない。

「出会いってタイミングでしょ、運命だとか偶然だけで未来を切り開いていこうなんて、無理よ。お互いの信頼関係がないと続かないものだから」と洋子さんも意味ありげに話すものだから、きっと洋子さんと和夫さんも結婚前になにか信頼を築く大きな出来事があったんだと、わたしは考えた。

「切り開いてみせますよ。この手で」広斗がなにやら宣言をしていた。この手で、と言いながらわたしの手を握ってきたことに驚いた。

「え、わたしも?」

「二人の未来なんだから当然だろ」広斗がこちらを向いて喋っているのが分かった。声は自信がみなぎっているようでも、彼の手には汗がにじんでいた。緊張と不安に押しつぶされないように、声を張り上げている、そう感じた。

「足手まといにならないように頑張るね」わたしなんかで広斗の役に立つのなら、手を繋ぐくらいお安い御用だ。

「私たちに出来ることがあるなら、いくらでも相談にのるわよ」洋子さんが穏やかに言った。

「わたしが仕事に行けなくなって、一番負担が掛かってるのは洋子さんです。もうじゅうぶんお世話になっちゃってるしなぁ」わたしは頬を掻いた。図書館で働けなくなってから洋子さんの仕事量は増えた、館長は在籍したままでいいと言ってくれたが、何一つ仕事もできない自分よりは、本好きな人を新しく雇って欲しいと伝え断った。それでも、いつでも来てください、かなえさんは家族ですから。と最後までわたしのことを案じてくれた。

 本当にいい職場に勤めていたんだなとしみじみ思った。職場を離れても繋がりはなくならない、むしろ強くなっているような気さえする。初めて家族以外の人に誕生日を祝って貰えたし、何よりもその喜びを分かち合える人が隣にいることに、わたしは感謝している。それは神様じゃない、お父さんとお母さんそれに広斗のご両親に、だ。脈々と受け継がれてきた生命の営みが思いもかけないところで繋がった。生まれた年は違(たが)えど、月日が同じことは余りない。同じ日だから好きになったとか、そんな話も聞いたことはない。わたしたち二人には必然だったんだ。知り合う前から知っていて、会話を交わす前から言葉を交わしていた。二人の両親、その祖先から続く血脈も、どこか小説と似ている。言葉をつむいで物語を完成させることは正に人間そのものだと、わたしは思える。だから運命という言葉はわたしにとっては軽くはない。重くて、深い、大樹のようにしっかりと根を生やしてわたし達を見守っていてくれている。

「これからのことだって、あるでしょ。盲導犬の申請は下りたの?」

「はい。それはたぶん、来月からでも協会の方から派遣されるとおもいます。まずはかなえが施設に泊まり込みで訓練を受けてくる取り決めになっていて」

「来週から行ってきます」わたしは広斗から言葉を引き継いだ。「広斗に色々助けてもらって、でもこれからは一人で行動できるように頑張らなきゃ」

「じゃあ今日は景気づけに、パーっとやろうぜ」と相沢さんがはしゃいだ、目が見えなくとも相沢さんがビールジョッキを掲げている絵が、目に浮かんだ。

「おい、そんなに勢いよく持ち上げたらビールがこぼれるだろう」たしなめるような和夫さんの声に、わたしは思った通りで笑ってしまう。

「おいおいかなえちゃん、なんで笑うんだい」

「だって、相沢さんの行動が目に浮かんで、なんかおかしくなっちゃって」

「それだけお前の行動が幼稚ってことだな」つられて和夫さんも笑っていた。

「よし、こうなったらゲームだ。ゲームやるぞ」相沢さんのテンションが上がっていく。ビールの飲みすぎなのか、翠さんがいないためなのか、分からない。

「わたし、目が見えないですけど、そのゲームに参加できますか」

「このゲームはかなえちゃんが主役だ」

「かなえちゃんに変なことさせたら、許さないからね」洋子さんの声はやけに落ち着いていて、怖かった。たぶん優しく微笑んでても目が笑ってない感じだ。

「大丈夫だって、危険な遊びでもない。名付けて広斗当てゲームだ」

「僕ですか?」

「そうだ、ここに居る男性諸君とかなえちゃんが握手して、どの手が広斗なのかをかなえちゃんに当ててもらうゲームだ」

「お前、ただ単にかなえちゃんと手を繋ぎたいだけじゃないのか」と和夫さん。

「翠ちゃんに言いつけるわよ」と洋子さんがたたみ掛ける。

「いいじゃないですか、やってみましょうよ」わたしはむしろ試してみたかった。誰よりも広斗と手を繋いでいた自負もある。ここでやらずに退くのは、なんだかいやだ。

「ほら本人も乗り気だし、やろうぜ。ただしかなえちゃんは選んだ相手のほっぺにチューするんだぞ」

「えっ」わたしは一瞬硬直した。そんなことを広斗の前ではしたくない。いや、広斗がいなくてもしたくない。

「お前マジキモいな」と和夫さん。

「ちょっと翠ちゃんに電話する」と洋子さんがたたみ掛ける。

「冗談だって、君たち遊び心ってもんがないよな」調子の外れるような声で、相沢さんが釈明している。確かにわたしが広斗の手を当てればいいだけなんだけれど、いろんなところからプレッシャーがかかるような気がする。

「お前は自分の立場をわきまえているのか? もし自分が選ばれてみろ、お前は翠ちゃんに殺される」殺されるという物騒なワードも、脅し文句じゃなく本当にそうなりそうな予感が含まれていて、わたしの背筋がぞくぞくとする。

「和夫も洋子ちゃんに殺されるんだろ、いいじゃないかスリリングで」あっけらかんと相沢さんがいう。やはりこの二人の恐妻は怖い。

「広斗くんにも断る権利はあるわよ、既婚者が話を勝手に進めないの」

「僕は選んでもらえる自信がありますけど、やる意味ありますかね」広斗は自信ありげにそう答えた。

「ほら決まった。やるぞ」乾いた拍手がなり、広斗当てゲーム! と高らかに相沢さんが宣言した。

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