第21話
わたしは夢を見てる、ということを自覚しながら、夢を見ていた。
もはやそれが夢といえるか疑問なところだった。空想や妄想に近いんじゃないかとわたしは夢の中で冷静に考えた。
広斗くんの家で、わたしは彼の背中を見つめていた。彼は机の前に座り、開いたノートパソコンに向かってキーボードを叩いていた。不規則になるボタンの音は、彼がつむぎ生み出す言の葉たちだ。小説を書いてる。わたしそっちのけでパソコンに向かうその姿に安堵をおぼえた。やっとやる気になったか、などとわたしは保護者のような気持ちで、それを見守っていた。もしかしたら、ここではわたし達は夫婦なのかもしれない、いや、わたしの夢なんだから好きなように解釈できるはずだ。「広斗くん」と背中越しに呼びかけるのも代り映えしない、なんならいつもと違う呼び方をしてみよう。どんな反応をみせるのか楽しみだし、といってもその反応はわたしが今見てる夢で作り出されるのだから、広斗くん本人の反応とはいえないか。何はともあれわたしは、「ひろとー」と呼んでみた。どんな反応になるか楽しみだ。
昨日、裕佳に云われてむっとしたことでもあった。「いつまでお互いに、『くんちゃん』づけで呼び合ってるわけ? ちょっとキモいんですけど」とからかわれた。
気にすることでもなかったけど、夢にまでそれを持ち込んだわたしはやっぱり気にしているに違いない。
「ひろとー」と呼びかけても反応がない。カタカタというキーボードを叩く音だけが聞こえてくる。
「ひ、ろ、と」今度は一音一句に分けて呼んでみる。それでもやっぱり反応はない。わたしがここには存在してないような、寂しい気持ちになる。だがしかしこれは夢、卑屈になるようなことでもない、今度は後ろからワッと驚かせてみよう。
わたしは物音を立てぬようにこっそりと近づき、背中ごしにパソコンのモニターを覗きこんだ。当然のように文字は読めない、なんて書いてあるのか理解できずにいた。辛うじてタイトルの一部だけは読める。『君の……』とかいてあるもののこれがどういった内容の小説なのかも分からなかった。わたしは本来の目的を思い出す。広斗くんの背中をドンと叩きワッと声を出す。その感触がとてもリアルで、わたしは目を覚ました。
真っ白な世界だった。夢から覚めたとおもったら、まだわたしは夢の世界にいた。
「ひろとー」と声に出してみる。返事はない。
ここは自宅だっけ? 広斗くんのお家にお泊りに来たんだっけ? と記憶が
「広斗」とまた声に出してみる。身体の空洞に声が響き、じんわりと指先に広がっていく。確かにこれは夢じゃない、わたしは起きているはずなのに、真白な世界から一向に抜け出せないのは何故だろう。
わたしは手を伸ばし動かしてみる。いつもとは違う布団の感触に、ここが広斗くんの家なのだと認識する。その在るべき人が隣にはいない、目を開いた、つもりだった。布団を押しのけて上体を起こす。意識はハッキリしているはずなのに、何か変だ。夢から覚めてると自覚しているのに、目の前に広がる風景は、白く濁った真白い世界だけだった。あまりの気持ちの悪さに
これは夢じゃない? 現実なの? いったいわたしに、なにが起きたのか、両腕で身体を抱きしめる、身体は実在する。顔も髪も感触はあるのに、視界だけが存在しない。
「広斗!」わたしは叫んでいた。怖かった、自分の身に起きていることが、半ば確信に近いかたちで頭に思い浮かんだことで、頭の中までも真っ白になっていた。
「かなえ、どうした」広斗くんの声がした。声の方へ振り向いた。目は開いているはずなのに、何も見えない。目に映る風景は、変わらない。
「どうした、何かあったのか」さらに声は近づいていた。
わたしは声のする方へ腕を伸ばした。必死で、届けと、めいっぱい腕を伸ばした。
「なにがあったんだよ」不安に押しつぶされそうな震えた声で、広斗くんがわたしの手を握った。
彼の手には温もりがあった。冬の凍るような冷たさから守ってくれる、焚火に手をあてているような、そんな温もりを感じた。と同時に、これはやっぱり夢じゃないんだという絶望がわたしを襲った。
「広斗くん、広斗くん」わたしはすがり付くように、彼を引き寄せた。強引に服の袖を引っ張り広斗くんの胸に顔を埋めた。「ごめんなさい」を何度もその胸の中で繰り返した。
重大な過ちを犯した
「なんで謝るんだよ! 謝ることなんか一つもないだろ」と言いながら、触れあった頬に涙がじんわりと広がった。広斗くん、泣いてる?「なんで、泣いてるんだよ。かなえ」
泣いているのは、わたしだったんだ。言われてようやく気が付いた。目が見えなくても、涙はこぼれるんだと、わたしは知った。目を背けようのない現実が、日の出のように迫って来る。何も変えられない、変わらないのと同じで、わたしの人生が終わりを迎えるまで、この現状は変わらないと思った。
「ごめんね広斗くん」とわたしは覚悟を決めた。この告白は、彼にどんな影響を与えるのか、わたしは不安の中に、それと同じくらいの期待が交じり合っていた。この辛さを共有してくれるのが広斗くんだったらどれほど幸せなことだろう、と。
「わたしね、目が見えなくなっちゃったみたい」
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