第19話

 母が帰って来るまでのあいだ、わたしはご飯の支度をしていた。普段は何もやらない裕佳の尻をひっぱたき、無理矢理に野菜炒めを作らせた。

「広斗くんは苦手な食べ物とかあるの?」普段から外食やコンビニ食の多い広斗くんと、あまり食べ物に関して話をしたことがなかった。唯一、わたしが玉子を一日に半分しか食べられないことを話したくらいだ。玉ねぎをみじん切りにしながら改めて広斗くんに訊ねた。

「特にないもないよ」リビングに一人でいるのが居心地悪いのか、広斗くんもキッチンに入っていわたしたちのようすを見守っていた。

「どうよ、美人姉妹の料理する後ろ姿は」裕佳が茶化してくる。

「口動かしてないで手を動かしなさい。早くしないとお母さん帰ってきちゃうから」

「どうせコンビニでも寄ってビール買いだめしてる頃だよ。おにーさんもお酒飲むでしょ?」

「僕は、少しだけ」遠慮がちに広斗くんが答えた。

「無理に飲ませるのはパワハラなんだからね、ダメだよ」

「それはかーさんに言っといてよ。あたしは強くは勧めないけど、美少女からの酌を断るようなら今後の付き合いかたについては慎重に判断をせざるをえないわね」

「あんたとの付き合いかたなんて、どうだっていいわよ」わたしはぞんざいに言い放った。本当にこれだから、妹と引き合わせたくなかったのだ。広斗くんもさっきからそわそわとした感じで落ち着きがみられない。こんなのでは初対面が大失敗で終わるのが目に見えて分かる。

「二人とも仲良しなんだね」

「全然仲良くない」わたしは否定した。そう思われることはひどく心外だった。

「そうはいっても仲が悪いわけでもないんだよね。あたしがおねーちゃんをからかい過ぎるからウザがられてるだけだから」

「それが元凶だってば、理解しなさいよ」わたしはフライパンを熱して油をひいた。玉ねぎを飴色になるまで炒める。

「にぎやかで羨ましいよ」その言葉は小学生の頃に、友達の親に散々言われた言葉と同じだった。古川姉妹はにぎやかで良いわね、と。

 わたしは妹と違い、物静かな性格だった。派手な遊びは好きじゃない、休み時間は校庭へ駆けていくことよりも、図書館へ向かうことの方が多い、そんな子供だった。読書好きならば国語や作文が得意だろうと思われがちだったけど、夏休みの読書感想文ほど嫌なものはなかった。要領を得ないその書きぶりに自分自身で唖然とした。運動神経もとくに秀でていたわけでもないわたしは、物静かと言われやすい性格になっていた。

 代わって四つはなれた妹といえば、「おてんば」「やんちゃ」が代名詞で、大人を前にしても自分のスタイルを変えず、スカートでもあぐらをかき、木によじ登り、大人の目のやり場を困らせていた。どういうわけか男子は活発な女子が好きらしく、わたしよりも妹のほうがモテていたことも事実だ。

 いつだったか、バレンタインの時に、「お前の妹、可愛いよな」とわたしのチョコを受け取った男子がいた。そのことを裕佳に話したら、「そいつ最低だね」と汚いものでも見るような目つきで喋っていたのを思い出す。自分が好かれていることを浮かれるでもなく、人としての言動を重視する妹に、わたしは感服した。姉想いというか、曲がったことは許せないタイプなんだと、妹を認識するようになっていた。

「もうちょっと人の心を理解できるようになったら、良いんだけどね」わたしは裕佳に目をやる。そう、もうちょっと素直に人と喋れるようになったら、裕佳は可愛い女の子だ。

「あたしはあたし、曲げるつもりはないからね」

「はいはい」わたしは大きく頷いてみせた。その意地っ張りも可愛いから、いいか。フライパンに散りばめられた玉ねぎも飴色にいろづき、甘い香りを放っていた。

「ただいまぁ」ドアが開き、母が帰宅した。両手はコンビニ袋にふさがれ、それが指に食い込んでいるのか苦痛な表情を浮かべていた。何をそんなに買い込んだのかと袋を覗きこもうかとしたが、ビニールの表面に一番搾りとい文字が浮んでいたので、わたしは覗いて確認するまでもなかった。

「お邪魔してます」身体をくの字に曲げて広斗くんは母に挨拶をした。

「いらっしゃい」床に袋を置き、丸めた背中を矯正するように母は背伸びをした。横からその光景を見ていると、つつしみ深いとはとても言えない光景だった。初対面でそれでいいのか、母よ。もっと娘を立ててくれたら助かるのに、そう思わずにはいれなかった。

「ハンバーグ、もう少しで焼き上がるから、二人とも座って待ってて」

「えー、あたしは」不服そうな声を裕佳が上げた。

「裕佳はわたしとハンバーグを盛り付けるの」

「あたしはあっちで盛り上がりたい」リビングを指さし懇願する。わたしはこれ以上の邪魔者を広斗くんに近づけさせまいと必死だった。母もどちらかといえば裕佳に近い、正確に言うと裕佳が母の性格に近い。

「あとはサラダとスープだけだから」

「野菜炒めあるのにサラダとかいらんでしょ」

「野菜はたくさんあっても良いの」

「おにーさんのため」裕佳はにやけた顔で人の心を詮索する。鋭いというべきか目ざといというべきか。

「誰の為でもいいでしょ。食は人の健康を一番に左右するんだから」

「はいはいはーい」面倒くさそうだと思ったのか裕佳は適当に相づちをうった。

 食器用トレイにご飯をよそったお茶碗を四つ乗せ、裕佳がリビングにやってきた。一番やる気のなかった妹が、今は乗り気だ。そのまま機嫌を損ねないようにわたしは敢えて何も言わない。

「こちら古川家特性の早炊き白米でございます。時間がないときはこれにかぎります」

「ほんと余計なこと言わなくて良いから運んできて!」我慢できなかった。我が家の知られたくない情報を、恥ずかしげもなく晒そうとする妹の神経をわたしは疑う。

「せっかく盛り上げようとしてるのにー」

「裕佳ちゃんって面白いね」裕佳からお茶碗を受け取ると広斗くんがいった。

「でしょー、おにーさんも理解早いねっ」

「あーっもうイライラする」わたしはやり場のない苛立ちを太ももにぶつけた。

「そんなイライラしてるとシワが増えるよ」と母がボソッとつぶやく。すでにビールに口をつけ晩酌は始まっていた。空になったグラスを見ると広斗くんはすかさずビールを注いだ。「若い男の子に注いでもらえるなんていつ振りだろうね」

「あれ以来でしょ、居酒屋で酔って高校生の男の子に無理やり注がせたとき。あの子あたしの後輩だったからよかったけど、犯罪だからねマジで」

「あんたには苦労かけて申し訳ない」母が裕佳にうやうやしくお辞儀をした。

「わたしは? わたしには苦労かけてないの?」

「かなえは手の掛からない子供だったからね。何でも一人でやれるし、自分で解決もできるでしょ。まぁ一度は間違った選択をしてこっちに迷惑を掛けたこともあったけどさ」

 ぐうの音もでない。それを言われては、わたしにはなにも言い返すことができないじゃない。

「過去の過ちをタブー視しない、家族間でちゃんと共有できているって凄いことだと思いますよ。嫌なこと、恥ずかしいことって誰もが隠したがるし、目をそむけたくなるから」広斗くんは伏見がちに言った。彼の両親の話しを聞いたとき、お母様が小説家の夢にあまり寛容ではなかったときいた。高校を卒業してからずっとフリーターとして働いている広斗くんを、お母様は社会の爪はじきのように捉えていると、広斗くん自身がいっていた。

「目の前の問題から逃げる人は、人生で困難な場面に出くわしても必ず逃げる人だ」裕佳が柄にもなく硬い言葉を口にした。

「なにそれ、誰かの格言?」わたしは訊ねる。

「なんかの映画で聞いたセリフ」

「映画のタイトルは覚えてないのに、セリフはしっかりと覚えているのね」

「芸術家肌ってやつぅ? 何はともあれさ、おねーちゃんは過去から逃げちゃダメなんだって」裕佳はふくみ笑いし、お盆をもってリビングに引き返した。

「大切なことなんだよね、目の前の問題を直視することは」広斗くんは裕佳の言葉に感化されたのか、深く考え込んでいるようすだった。昨日のことを気にしているのかも知れない。わたしは広斗くんと目が合い、苦笑した。

「直視できなくてもちょっとずつ進むこともできるんだよ、きっと。朝の太陽みたいに眩しくても、手で日傘を作ってね、太陽に向かって歩くこと、わたしにだって出来るから」

「あんたたちには何か重大な問題でもあるのかい」母の身体にいい感じでアルコールが回ってきたのか、舌も滑らかになり遠慮なくモノを聞いてくる。

「僕の夢は小説家になる事なんです。それだけを追い続けて、定職にも就かずに小説だけを書いてきました。その分、親にも迷惑を掛けたし、いや、いまでも迷惑を掛けて生活してますね。お金の苦労とかじゃなく、いつになったら独り立ちしてくれるんだっていう心配事ですね」

「そりゃコンビニのバイトだけじゃご両親だって心配だろうね」

「『いつまで俺たちに自転車の補助輪をさせるんだ』って親父に言われました。『お前が小説家になるっていうもんだからやらせてみたけど、いつまで経ってもなれやしない、俺たちはふらふら走ってるお前の自転車を必死で支えて走ってるんだぞ』って。そんな親父も今じゃ病気で入院中です。本気で小説家にならないと、いままで支えてくれた恩義に報えない」膝の上でギュッと手を握りしめる広斗くんに、わたしは安心した。これでもう大丈夫、彼はもう投げ出さない。

「泣けるねぇ。こんな息子が私も欲しかったんだよ」母のその言葉は冗談のように聞こえて、顔つきは真剣そのものだから広斗くんは困惑した。

「冗談だから気にしないでね、広斗くん」わたしはすかさずフォローする。「言ったでしょ、お酒飲むと変わる人だからって」

「なんなら孫でもいいから、息子をお願いね」母は空いたグラスを掲げ、乾杯をした。それは亡き父に向ってのお願いだったのかも、知れないな。


「あー、わたしの家族には品性の欠片もない」夜道、広斗くんと付き合う前は、深夜のコンビニにひとりでここを歩いていた。秋も終わりが近づき、背後から冬の気配が感じられ、夜空の星たちがぐっと身近に感じられるようになってきた。首元は寒かったけど、広斗くんが羽織ってきたコートをわたしに貸してくれたので身体は温かい。

 当時、この道をひとりで歩くことを寂しかったかと聞かれると、そうでもなかったと答えられるのに、もしも、今ひとりで歩いていたらと聞かれると、寂しいと答えてしまう不思議な現象を、なんと例えればいいかな。

「でも二人ともユニークで楽しかった。かなえちゃんの家族は温かくて賑やかだ」その言葉にお世辞もへつらいもなく、素直な感想のようだった。

「ちょっと盛ってたけどね、普段はもっと大人しいんだから。二人とも自分を偽っていたわ」

「かなえちゃんはどっちだった?」

「え?」

「今日のかなえちゃんは、普段通りだった?」

「べつに隠してるとかそういうんじゃないけど、悪ふざけされると叱る立場になっちゃうんだよね、どうしても」

「今日のかなえちゃんはお姉さんっぽかった。しっかりしてるしちゃんと周りを見てるって感じがした。こうして二人でいるときは甘えられるのが当たり前だったんだけど、家族の前では誰にも甘えず、しっかり者のかなえちゃんの姿を見てたら、恥ずかしけど、二人だけの時間がもっと愛おしくおもえたんだ」鼻をこすり照れくさそうに広斗くんは笑った。

「コート借りちゃってごめんなさい。あとでたくさん温めてあげるね」

「うわ、大胆な発言。そういうギャップも好き」

「そういう意味じゃないってば、広斗くんお母さんたちに影響されすぎっ」

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