第2話

「いらっしゃいませ」自動ドアが開き、お客が無表情で入ってくる。誰もかれもが同じような表情でなんのために生きているのかと、疑問がわき起こる。


 深夜の二時にコンビニに来るお客のほとんどが世間とは少しズレた生活をしていて、そしていつしか人生の道をもズラす。僕のように。


 コンビニで働き始めて五年が経つ、深夜のバイトは時給が良く仕事は忙しいが自発的に仕事をこなしていけるので自分の性格に合っていた。お客が来ない間は品出しをしながら物思いにふけり、定職に就くべき年齢を過ぎたいまでも重たい腰が上がらずにいた。


 高校を卒業し一度は就職をしたもののサービス残業に休日出勤といった、いわばブラック企業に、このままでは自分が壊されてしまうと思い一年を待たず、辞表を社長のデスクに置いて二度と会社へ顔を出さなかった。それからバイトを転々とし、その日暮らしの生活を送りならが、小さな夢を追いかけ始めた。


 夢をまだ捨てられない、諦めずに挑戦し続けていればいつか叶うんじゃないかと、女々しいのか思い上がりなのか、自分でも分からないほど未練が残っていた。このままずっと続けていくことももちろん悪くはない、悪くはなかったはずだ、父が倒れるまでは。


 自動ドアがまた開き若い女性がひとり、入店してきた。


「いらっしゃいませ」とぼんやりとしながら対応する。


入店のチャイムが鳴ると条件反射でつい口に出る、「いらっしゃいませ」の言葉にも、いまは覇気がない。まだ五十代の父が病に伏せ、母一人にさせておくのは忍びないと今更ながらに罪悪感が芽生えてきた。親孝行もろくにできないダメな息子に父は、お前がやりたいようにやったらええ、と言葉をかけてくれた。その言葉に甘えすぎたせいで、なに一つ達成できないまま夢から覚めようとしていた。


 深夜の二時ともなれば眠くなってくる時間で、昨日は昼間にも別のバイトが入っていたためあまり睡眠がとれていなかった。したがって頭があまり働かない状況下で入店してきたお客がいつもの女性だったことにいまさら気づき、今日は木曜日か、と改めて認識する。日をまたぐ仕事は曜日の感覚を狂わせる。


 レジ台の下から割りばしを一本取り出して脇に退ける。あの若い女性客は飲み物とポテトチップスだけを買いに来る常連さんだ、夜中の間食物、しかも若い女性が堂々とコンビニに買い物に来ることに抵抗感はないのだろうか。彼女よりも先に入店していた男性客は本を立ち読みしているので、僕の予想では彼女は目当ての物だけを両手に抱えて先にレジにやって来るはずだ。




「いらっしゃいませ」とお辞儀をする。僕の予想通りに彼女がレジへとやってきた。彼女は意図的にバーコードの面が上向きになるように商品を置いてくれる。これが優しさなのか、または僕と関わる時間を削減するためなのか判然としない。「ありがとうございます」と僕は素早くバーコードを読み取りコンビニ袋に割り箸と一緒に商品を詰める。今日で五回目。


 初めて彼女の存在に気付いたのは今から三か月前、僕はお店のシフトの都合で深夜勤の曜日の移動を余儀なくされた。移ったばかりの初日に彼女は来店してきた、眼鏡をかけているにも関わらずその目元にも前髪が掛かった状態で、暗鬱とした湿度の高い梅雨のようなイメージしかなかった。ジーパンに雨の日以外は素足にクロックスといった、いかにも部屋着といった服装で年頃なのにファッションに無頓着な人だなと思っていた。両手に持ったポテトチップスの袋と午後の紅茶はそのころから彼女の定番だった。会計時に、「すみません、お箸をつけてもらっても良いですか?」と言われたのがとても印象に残っていたし、それから何度か同じ曜日に隔週で彼女は来ていた。


 今日もいつもと同じ商品を買っていた。ここ最近になり、僕が言われるまでもなく割り箸を入れるようになってから、彼女も気を利かせてバーコードが見えるように商品を置くようになった。暗黙の了解なのか、信頼関係なのか、言葉を交わさないやり取りに僕は少しだけ親近感を覚えていた。


 いつものガマ口の財布から小銭を取り出す彼女の指先に、僕の視線は集中した。人差し指に猫のイラストの入った絆創膏が巻かれていたからだ。地味な服装、地味な財布、ポテトチップに午後の紅茶、列挙すれば可愛らしいという言葉からほど遠いような存在の彼女に、ワンポイントで強調される猫の絆創膏は、まぎれもなく可愛らしい存在だった。


「308円ちょうど頂戴いたします」僕はレシートを取り手渡す。


「ありがとうございます」と彼女は小さくお辞儀をして店を出ていった。まだ幼さがのこるような甘酸っぱい声がどこか耳に馴染んでいて、幻でも見たような気がして閉じたままの自動ドアずっと眺めていた。


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