第9話 紅い髪のライラ

 良二らが夜も更けるのをものともせずに魔法談議に華を咲かせているのと同じころ、フィリアは未だ王宮から帰れずにいた。協議は終わっているが時間がかかりすぎ、今夜は宮殿内で泊まることになったのだ。

 あてがわれた王族用の部屋で、フィリアはもう一人の人物と、余人を交えず2人だけで対談していた。

「そなたの言うことはもっともだ。だが言うまでも無く、大きすぎる力はそれを恐れる者、利用しようとする者が現れるのが常、それが人心と言うものだ。彼の四方の行動に制限がかけられるのは致し方あるまい」

 若いが凛とした、それでいて力強い声がフィリアを諭していた。

 話題は当然ではあるが良二らの去就だ。

「……それは重々承知しているつもりでございます。ですが……」

「オクロさまのお見立てで、高い魔力を持ってはいるが三界に影響は無いだろうとの墨付きを頂くことは出来た。とは言え、事はそれだけでは収まらん。今現在、秘密裏に行われてるこの案件も、いつまで隠しきれるかわからぬしな。他の界、引いても魔界大魔王府の信用を損ねては我が王国だけの問題ではなくなる」

「不始末を起こした本儀式の、直接の実行者である私から言えた事ではありませんが、本来責任を取らねばならぬ我らの帳尻を、彼のお方々に負わすのは大変不義理であり、それこそ天界・魔界との信頼を損ねる所業ではないかと! 本案件の我が国での最高責任者であらせられる兄上には、余計なご心労をおかけする事になり、大変心苦しく思いますが……」

「そなたの言う通り、全ての責任を負うのは私の仕事だ。そなたは気に病むでない。だが、だからこそ言わねばならん」

 フィリアの兄、カイエン王太子が続ける。

「軟禁状態とは言え、そなたの屋敷の敷地は広い。その中では自由に過ごせるのだ。それに10日に1回の外出も認められた」

「敷地より500m以内、最長3時間、しかも王室隠密の監視付きで……」

「そうでもせねば納得せん者も居るのだ。報告を聞いたであろう? サワダ卿ほどでは無いにしろ高位の魔素制御力だけでも驚異な上、教官としては王国一と謳われるランボーの攻撃を難なくかわし、そなたの侍女、師団幕僚を平伏せしめた鬼姫をも屈服させたというではないか! そのような者を野放しには出来んのだ、聞き分けよ!」

 早くも尾鰭足鰭が付き始め、誠一株、思いっきりバブルである。だれか空売りしませんか?

「……今は従うのだ。皆が認めれば制限を緩和する事もあり得よう。今はこらえよ」

 自分の立場や思いにも十分配慮してくれている愛すべき兄に、フィリアはこれ以上、何も言う事が出来なかった。


                 ♦


 睡眠不足を絵に描いたような目をしたフィリアを乗せた馬車が屋敷に到着したのは、翌日の昼頃だった。若干の残務と方々へのあいさつ等で時間が潰されたのだ。


 一体、どうやって話したらよいものか……


 こう言ってはなんだが、フィリアは権力者の一族としては優しすぎるきらいがある。

 今は亡き王妃、フィリアの生母もまた博愛の心が強く、国民の心のよりどころであった。

 人々への不義理は母への不義理、母の思いを受け継ぎ、自分が母の代わりに律せねばならない、常にそういう心構えでいたからだ。

 しかし、例え道理であっても、あまり我を押し過ぎては及ばざるが如しである。


 とにかく真実を話そう。言葉に気を付けて、出来るだけ心の負担にならないようにして……

 1年もの間、不便をかけてしまうが、波風立てずに穏便に過ごしていれば、いつか警戒してる方面にも認めてもらえましょう。

 その時は兄、王太子も味方してくれましょう。


 そう……穏便に、穏便に……


 心を決めたフィリアの馬車が庭横を通り、玄関に向かう。

 しかし今現在、庭で行われていた光景がフィリアの目に入るや、彼女の体はまるでブロンズの像の如く、硬直してしまった。


「良さん! 容子! いっくよ~!」

 ブボォーッ!

 美月が声をかけると同時、胸の前で構える彼女の手の間に、バスケットボールくらいの火球が現れた。

 続いて、美月の「はっ!」と言う掛け声とともに、火球は容子のいる方角へ撃ち放たれた。

 容子は手首を合わせて掌を上下に広げ空気の壁を作り、美月の火球を受け止め「やあ!」と叫ぶや、

ボゥン!

火球は45度転進し、その先に設置された藁人形に見事に命中。藁人形は瞬時に炎に包まれた。

「うおお……」と唸る良二は燃える人形の上、5mくらいの高さを狙い両腕を突き出した。

 そこに現れたのは水の球体、水球である。

 数秒の間に水球の直径は1mを越え、良二は「せい!」と声を上げ、両腕を勢いよく振り降ろす。

 バッシャアアァァー!

 その動きに連動して落下し、人形に叩きつけられた水球は、燃え盛る炎を一瞬で鎮火させた。

 続いて良二は全力加速で駆け出し、天属性の魔法だと教わった身体強化魔法で体、特に脚の強度を高め、藁人形の軸の丸太に飛び蹴りを食らわす。

 バキィッ!

 蹴りを食らった直径15cmほどの丸太は、いとも簡単に、ものの見事にへし折れてしまった。

 おおおおー! パチパチパチ。

 見ていたメイスらは拍手喝采である。

 ――これは……マジか?

 これが異世界召喚定番のチート能力なのか? それとも、アデスの人なら辿り着けられる程度のモノなのか? その辺りはまだ不明。

 とは言え、メイスやロゼたちの驚きぶりから見れば、少なくとも人間界としては卓越していると見てもいいだろう。

 良二は水属性が強いので、今朝からはそちらに傾倒していたが、まだ水球や水道の様な放水しか出来ていない。これだけでも並の人間とは比べられない程の習得速度らしいが、美月の火球ほどの攻撃性はまだ無い。しかし、慣れてくれば水から氷を作り出し、矢のように飛ばすことも可能とのこと。

 魔法はイメージ次第。自分の得意属性をどう言うイメージで発展、運用できるかが、上級者への分かれ目と言ったところだろうか。

 乗り越えるべき課題はまだまだあるが地球では有り得ないこの能力に、良二としてはやはり、頬が緩んできてしまうのも止むを得ないと言うものであろう。


 一方、誠一は何と目隠しをしたまま左に構えて立ち、その周りにはロゼ配下の戦闘メイド5~6人が取り囲んで、次々と誠一に襲い掛かっていくと言う組み手を行っていた。

 風魔法による空気の流れの察知を高めると空気の流れないところ、つまり物体の気配を感じる事が出来る。

「…………!」

 メイドが無言で誠一に接近を試みる。やがて間合いに入れば攻撃が加えられる。

 その気配を読み取り、繰り出されるメイドの手刀や拳、蹴りなどの攻撃をあるいは避け、あるいは流し、あるいは受け、相手のスキを感ずるや二本の指を地肌にあて、

バシュッ!

高圧電流をわずかに流す簡易スタンガン攻撃を加える。それを次々繰り返し、誠一はあっという間に全員を、ほぼ無傷で撃退した。

 自衛隊での徒手格闘や銃剣格闘など、飽きるほどの反復練習していた誠一は、今までは体が反応しても反応速度自体は遅く、思い通りの攻撃・防御が出来なかったが、地球との特異差のおかげで反応速度が追いつくのみならず、自分のイメージした動きを思った速度のまま、いや、それ以上の速さで繰り出すことができる事に、誠一自身が驚いていた。

 良二や容子らがやっていた実戦プログラムも、誠一の立案によるものだったが、これで剣や槍を使った場合を想像すると、歳甲斐も無くワクテカが止まらない。

 どうやら株価に実態が追いついたようで空売りは失敗の様だ。

 まあ立ち直ってなにより。

「あ、殿下!」

 ようやくフィリアの到着に気付いたメイスが馬車に駆け寄り、深く頭を下げた。

「お出迎えもせず、申し訳ありません殿下!」

 フィリアはまだ硬直から解けていない。それを知ってか知らずか、メイスは続けた。

「言い訳になりますがキジマ様方の能力の素晴らしさに自失しておりまして……ご覧になりました? もう自分の目が信じられませんよ! 昨晩、少々基本を伝授して差し上げたのですが、数時間でもう、このような!」

「…………」

「そうですよね! 言葉無くなってしまいますよね!」

 まさに、興奮冷めやらぬと言う言葉が、これほどしっくりくる事は無かろうってくらい、メイスはハイになっていた。

「あ、フィリアさんだ!」

「フィリアさーん! お帰りなさーい」

 フィリアに気付いた容子らが良二たちに声をかけフィリアの元へ走る。

「…………」

「お見事でしたわキジマさま、凄まじい蹴りでした」

「魔法ってすごいですね! 自然が自分に味方してくれてるって言うか」

「それが魔導の極意ですわよ?」

 ロゼと良二が語りながらやってくる。

「………………」

「あ~まだ痺れてる……もう、クロダさまったら少しは手加減して下さいよぉ」

 猫耳メイドのメアが、簡易スタンガンを食らったうなじを手でさすりながらブー垂れた。

「いや~、ここまで自分の体が思い通りに動いてくれるなんてなあ。風魔法と格闘の連動は実に面白い!」

 などと感慨深く話す誠一もフィリアの下に駆けつける。

「……な、な、な……」

 そろそろ解けそう……

「……な、な、ななな……」

「いかがですか殿下! 今でこれですから、半月もすれば王宮魔導団も近衛魔導戦闘団も裸足で逃げ出すくらいの魔導士になられるのは間違いありませんわ! そうは思われませんか殿下! ……殿下?」


「何をやってるんですか、あなた方は━━━━━━━━━━━━━━━ !!!」


 おりしも正午、昼休みのサイレンが如く、フィリア殿下の魂の叫びは屋敷中に轟いた。

 


 昼食抜き……フィリアに同行したサラと衛兵・御者以外は、全員そのお仕置きを受けた。

 夕食までのあいだ、間食等も禁止である。破れば夕食も抜きとなる。

 怒りのフィリアが全員を前にして当面の間、この屋敷にとどまる事、外出は10日に1回3時間まで(隠密の件は伝えず)等、通達した。

 全く、心を痛めて気にしていたのがバカみたいである。代わりと言っては何だが、この不自由な待遇を気兼ねなく話せたというのは不幸中の幸いか。

 今までの疲れがどっと出たフィリアは、昼食もそこそこに自室で寝てしまった。

 で、10日に1回の貴重な外出は日用品その他、当面の生活に必要なものを購入するため急遽、本日の午後からになった。

「買い食いとかダメですからね! 王家の情報網ナメちゃダメですからね!」

 と、フィリアから念押しされてしまい、調子こいて朝から動き回ったのを後悔する良二たちだった。


 外出は屋敷から500m以内、とは言うものの、それでも商店街は結構な地域が含まれるので買い物には事かからなさそうだ。

 今回は男女2班に分かれ、JK組はサラが、良二たちにはロゼが引率し、メイスは就寝中のフィリアの名代として職務を代行している。

 商店街は、かなりにぎやかだった。とても活気があり、歩いているだけで楽しくなりそうな、そんな雰囲気だ。

 良二も誠一にも、文字通り異国情緒あふれんばかりの光景に、思わずあちこち見まわしたくなってくる。

 お上りさんと蔑みたければすればいい、しっかり目に焼き付けてやる、てなもんだ。

「人出が多いですから逸れないでくださいね、ってクロダさま! 足止めないで!」

 ロゼが工芸品屋の前で立ち止まった誠一の腕を引っ張る。

「すみません、どうも気になって」

 と、愛想笑いする誠一。

「馬車もそうだったけど、やっぱり鉄工製品とか金属加工品は興味津々かな、黒さん?」

「いやあ、どうしても目が行っちまってなあ、ははは」

「クロダさまは退役後、鍛冶職人をなさっていたんですよね?」

「オヤジが工房を持っていましたもんで。もともとモノ作りは好きだったし」

 屈託なく話す誠一。

 良二には、こういう時の誠一は何だか朗らかで、目も活き活きしている感じに見えていた。

 良二自身も、成人はしてるものの、自分は自分の人生で何をするべきか、どう生きるか、もうそろそろ考えてなきゃいけない時期なのだが……残念ながら、地球での自分は暗中模索以前の状態であった。

「あーあ、お腹すいちゃいました」

 ロゼがぼやく。午前中はティータイムもそこそこに魔法に熱中してたしなぁ、と良二もしみじみと。

「こっそり、何か食べますか?」

「ダ・メ・で・す! 殿下も仰ってましたが王家の情報網はすごいんですよ? 『草』がどこで目を光らせてるか分かったもんじゃありません。今だって唇読まれてるかも……」

「……マジっすか?」

「マジです!」

「壁に耳あり戸板に(障子はわからんだろうしなぁ)目ありってとこですね」

「チキュウの格言ですか? まさにそんな感じです。さて着替え・日用品等は一揃え購入したはずですが……キジマさま、何か他にお入り用の物はございますか?」

「そうですね、大体必要なものは……当面の分は大丈夫だと思いますが……」

「そうですか。じゃあ、クロダさま、クロ、ダ……さま……」

 消えた。とうとう消えた。

「は、はぐれちゃった! どうしよう!」

 あちゃー

「さっき言ってた『草』って人に聞いてみるとか……」

「呼んで出てきてくれるような連中じゃないですよ! そうだわ、あの角に金物屋があったはず。もしかしたらそこに……すみませんキジマさま、こちらへ!」

 良二はロゼに手を引っ張られ、すぐ近くの道路幅が広がった、屋台が数軒並ぶフードコートのようなところに連れてこられた。そこに並べられた、客が軽食を食べるところであろうベンチの一つに座らされる。

「いいですかキジマさま、絶対ここから動かないでくださいね! クロダさまを見つけてすぐ戻りますから絶対動かないでくださいね!!」

 そういうとロゼは雑踏の中に突撃していった。

 やれやれ……と、溜息付いた良二は辺りを見回してみた。

 コート周辺では串焼きだとかパンケーキだとか、色々な軽食を売っている屋台が並んでいた。

 それぞれの店は忙しそうに店員が動き回っている。

 その周りの商店でも同じく皆、商いに勤しみ、誠一を最初に見かけた時みたいに店舗の修理をしている人も居る。

 誠一、と言えば、良二はさっき感じたことを思い出した。


 誠一の、自分はこの仕事が好き、と臆面も無くハッキリ堂々と言えるスタイルは、良二にとってはとても羨ましく思える事だ。尊敬の領域かもしれない。

 自分はと言えば、既に成人を迎え、じきに大学も卒業して、社会人として世に出なければならず、それに向けていろいろと動き始めねばいけない時分だった。

 そんな事はとっくに分かってはいるが、自分が何をしたいだの、こんな目標をもっているだの、そういう事を思える人間には程遠く、そろそろ就活時期だというのに大した目標も希望も無く、なんとなく入れそうな大学を選んだのと同様に、なんとなく入れそうな会社に就職して、流されるように働く毎日を過ごすんじゃないか? 漠然とそう思っていた。

 20年余り生きてて、俺は何をしてきたんだろう。

 子供のころの20歳くらいの人は若いと感じてても、やはり大人に見えた。

 でも自分はどうだ?

 その歳になっても中学生くらいから知識が若干増えただけで、大人の実感なんてまるで無い。

 昼前は、魔法が操れる自分に興奮した。だが、考えればここでは魔法は操れて当然の世界だ。

 そりゃアデスの人よりは上なのかもしれないが、結局自分ではそれを利用した起業をするとか考えられないし、やはりどこかの組織に入って与えらえられた仕事をこなすだけなんじゃないか? いや、組織に入って仕事をする事自体、悪いともイヤとも思わない。ただ、何のためにそこへ入るのか? 何がやりたくて入るのか? そう言うところがまるで無い。

 地球でもアデスでも結局俺は……良二はもう一度、さっきよりも深く溜息をついた。

 その溜息と同じくして、

 グウゥゥー

と、腹の虫が鳴いた。

 ロゼではないが、さすがに自分も腹が減ってきた。

 しかも良い臭いをまき散らす店々の真ん前である。

 これはもう、ほとんど拷問だ。

「腹減ったぁー」

 ついつい言葉にも出てしまった。まあ、無理もない。

「ならこれ食べる? 柔らかいし、おいしいよ~」

 不意に、声を掛けられた。若い、女の声だとすぐにわかる声。

 え? と、声が聞こえて来た自分の隣を見た。

 そこには屋台で売っているパンケーキや串焼きを胸に抱えている女性が、いつの間にか座っていた。

 眼が合った。

 その眼は……そう、深紅の瞳だった。

 ホント、それはそれは見事な吸い込まれるような深い紅色。

 一目で釘付けになってしまう、そんな真っ赤な瞳。そして、これまた燃える様に真っ赤でボリュームのある髪の女性。

 歳の頃は自分と同じくらいか? 身長は自分より若干低いか? 白いシャツにレザーのベスト、同じくレザーパンツルックの快活そうな出で立ちだ。シャツの胸元から見えるお胸の谷間がいささか刺激的。

 それでもって、なぜか良二に向かって肉の串焼きを突き出している。

「え? 俺ですか?」

「他に誰もいないよ?」

 言われてつい周りを見回す良二。なるほど、今ベンチに座っているのは自分達しかいない。でも、先程迄はもうちょっと座っていたような?

「で、でも」

「ほら、遠慮しないでさぁ~。お腹鳴ってたじゃん~」

「あ、いや、実は今、物を食べるわけには、はぐ!」

 口を開けたスキを突かれた。良二は串焼きを口内につっこまれた。

「あが、あご」

「ほらほらぁ~」

 良二は抵抗するも相手は首の動きに合わせて押したり引いたり。

 そうこうしてるうちに串焼きから漂う香辛料の香り、旨み抜群の脂の香りが良二の鼻をくすぐった。ただでさえ空腹なのに、こんな香ばしき匂いにいざなわれてはもはや抗うべくもない。

 ええい、不可抗力で押し切る予定!

「はぐっ!」

 良二は歯に力を込めた。が、肉は彼女の言う通り、歯に全く抵抗しないかのような柔らかさを誇り、肉を引っ張ったつもりが串に1/3ほど残して千切れてしまった。

 口に入った肉は、正にとろけるという言葉以外見つからないほどの柔らかさと旨みを誇った。

 良二はA5肉とか高級な肉など食べたことはないが、とにかく今まで食べた肉の中では最高のうまさだった。思わず彼女を見る良二。

「うまい! こんなうまい串焼き肉、初めてです!」

「ね、そうでしょ~」

 と言いながら彼女は残った1/3を躊躇なくほおばった。

 ――え? 間接キス?

 一瞬そう思ったりもしたが、少なくとも自分は得してない、残念。

 彼女も間接キスと気付いたのか一瞬、ん? と戸惑った顔をしたが、すぐに戻ってもう1本の串焼きを取り出して、

「ど~ぞ!」

と差し出してきた。

 ここまできたら毒を食らわば皿までだ。

 空腹も相まって良二は、いただきます! と、ばかりに串を受取りガブっとパクついた。

 肉汁が口いっぱいにジュワっと広がる。舌に突き刺さる肉汁の旨みが、脳天にまで昇り詰めて行き、脳味噌全体が痺れるほどだ。

「ホントおいしいです。意外だなぁ! 屋台の串焼きがこんなにおいしいなんて」

「でしょ~。高級レストランの上品な肉料理もおいしいけど、別次元のおいしさだよね~!」

 彼女は良二に屈託のない笑顔を見せた。ホント邪気の無い、朗らかな笑顔だ。それ故か、良二は沸いてくる疑問を口にした。

「あ、あのう」

「ん?」

「どうして俺に、ご馳走を?」

「ん~、自分が美味しいと思うものを人に勧めて、美味しい! って言ってもらえると嬉しいじゃない~?」

「それだけ?」

「ん? ダメ、かな?」

「あ、いや、そういうわけじゃ……」

 う、話が途切れる、どうしよう? と思ったと同時に、

「おっと、もう来ちゃったか……」

「?」

女性は何か遠くを見る眼をしながら、残念そうな声で言った。続いて、

「ねえ君、名前は何ていうの~?」

と、問いかけてきた。

「あ、き、木島良二です」

「リョウジ・キジマ……リョウくんか。あたしはライラ。ライラ・サマエルよ、よろしく!」

「あ、こちらこそ……」

「あたし、これから行くところがあるから、今日はこれでね~、リョウくん」

「あ、あの! 串焼きの代金……」

「いいよ、おごりだよおごり!」

「いや、そういうわけには……」

「ん~? じゃあ次、会えた時に何かおごってよ、ね?」

 よくあるやり取り……ではあるが、そう言われた途端、良二はマズいと思った。何せ、良二らの外出は……

「いや、そのう、事情があって俺は10日に1回しか来れなくて……」

「え、そうなの~?」

 ライラと名乗った女性はそう言うと周りをジィっと見渡し、半ば納得したように目を落として小さく鼻で息をついた

「ふ~ん、そうかあ……うん、大丈夫だよ、もう縁が出来たことだし、またきっと会えるよ、じゃあね!」

「あ、ちょっと!」

 そう言うとライラは雑踏の中に消えていった。

 なんなんだろう……アデスの人って、こんな気のいい人たちなんだろうか?

 ロゼにきつく言われている以上、ここから動くわけにもいかず、良二はライラを追いかけるのは諦めざるを得なかった。

 気を取り直してベンチに座るのと同じくらいに、ロゼが良二にもはっきり聞こえるくらいの大きな声でブー垂れながら誠一の腕を引っ張って、こちらへ連れてくるのが見えてきた。

「もう勘弁して下さいよ、4歳5歳の子供じゃあるまいし! て言うか、それくらいのお孫さんがいても良いお歳でしょ!」

「すんません! わかりました! もうしませんて! ……おおお? あの窓枠の加工、すんげぇ複雑! 一体どうやって!?」

「いい加減にしてくださいって! これ以上、殿下のストレスを貯めないでくださいませ!」

「わかった、わありましたよ!」

 やれやれ……

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