第2話 異世界の夜
とんでもないことになった……
大浴場で湯につかりながら、良二はあまりにも激動過ぎる一日を思い返していた。
本来この館はフィリア王女の居城で、この20人ほどは一度に入れそうな浴場も彼女一人のためのものらしい。
そんな王族専用浴場に、絵に描いたような庶民で平民風情の自分が浸かるなど不敬この上なく、反対する侍女らも当然いた。
だが、王女はそれらを一蹴し、王族並みの待遇を指示したのである。
と、言うわけで最初にJK2人組が入浴し、今は男湯タイム。
……まあ勇者じゃないなら不要、とばかりに始末されるバッドエンドじゃないだけでも感謝だよなあ……と、湯に浸かりながら自分を慰めてみる。
――フィリア王女か……今回の召喚儀式の責任者とは言え、仮にも王族の方が俺みたいな庶民に深々と頭下げて……スゲー人生大転換だな……
今でこそ(前世界では)良二の生活は穏やかな変化の少ない毎日だった。
だが、それまでずっと平凡な暮らしをしてきたわけではない。
高校入試を突破した3月、祝いを兼ねて家族で旅行に行った時に遭遇した交通事故で、良二は両親と死別した。
良二は事故直前から記憶が飛び、再び繋がったのは、意識を取り戻して目が覚めた病室内でだった。
激しい事故であったことを物語るように、胸元にはかなりの裂傷があったが、何とか一命を取り留めた。親類から聞いた話によると、相手の車は良二らの乗った車の横から衝突し、前席からエンジン部にかけてを抉り取るほど激しくぶつかったらしい。車の前席に乗っていた両親、後席の良二で生死が分かれたのだ。
その後、良二は母方の伯父の世話になり、大学進学と共に伯父の家を出て自活を始めた。
伯父に不満があったわけでもなく、伯父も変わらぬ支援を申し出てくれていたのだが、何故だろう、1人の空間が欲しかった。
そのせいだろうか? 始めは戸惑ったものの、1日も経たずに自分がこの現状を受け入れ始めているのは。
自分の向かいに天井を仰ぎながら湯に浸かっているおっさんも取り乱すこともせず、不安がる素振りも見せず、のんびりしているように見える。
それなりに力のいる仕事でもしているのか、身体はがっしりしていて、腕、肩、胸筋辺りはそこそこ筋肉質だ。だが、腹は歳相応に……
「これだけの湯を沸かす燃料って何かなぁ? やっぱ魔法の類かなぁ」
おっさんが誰ともなく呻くように喋った。
「この世界に魔法があると?」
「そりゃそう思うんじゃないか? あんな魔法陣で呼ばれた上に、天界の神々さまに、果ては魔界の魔王様と来たもんだ。まだ見てはいないが、身近な範囲でも魔法はあると思っていいんじゃないかな?」
「確かにそうですね」
我ながら愚問だったが、まあ話が続かないので。大体、何世代離れてんだか。
2人は、ほぼ同時に浴場から出て自室に向かった。部屋は1人に一室ずつ充てられている。
向かっていく途中の廊下、ある一室の扉の前で、おっさんが不意に足を止めた。
ここは確か美月の部屋のはずだが、耳を澄ますと、すすり泣きのような声が聞こえて来ていた。
良二と誠一は思わずお互いの目線を合わせた。泣き声の主の心中は察するに余りある、と言った目で。
無理もない、まだまだ親の庇護下にあって当然の未熟な子が、こんな未知の異世界に放り出されたのだ。
とは言え、自分とて大したことは言えない。自分のケツさえ、まともに拭けるかどうか……
と、思っていると、良二は背中に人の気配を感じて後ろを振り返った。
そこには、いつの間にかもう一人のJK、容子が立っていた。良二ちょっとドッキリ。
「少し……よろしいですか?」
か細い声だった。不安げな表情と相まって、いたたまれなくなってくるほどに。
「……話、しようか?」
答えたのはおっさんだった。容子は力無さげにコクリと頷いた。
「ここ、松本さんだっけ? 誘ってみる? 男が話しかけるより君の方がいいだろうから……お願いできるかな?」
誠一の提案に、ハイと答えると容子はドアをノックして美月に声をかけた。少しの間があってドアが開き、そこそこ目を腫らした美月が顔を出してきた。
容子が事情を話すと、ちょっとの間、沈黙があったが、彼女も了承した。
会場はおっさんの部屋になった。まずは改めての自己紹介からだ。
良二は独り暮らしの大学生、美月と容子は同じ高校のクラスメート、因みに勇者君も同じクラスだそうだ。
美月も容子も親は健在、美月は一人っ子だが容子には姉がいるらしい。
おっさん――黒田誠一は工場持ちだが一人親方の鉄工職人。主に内作仕事が多いが現場に出向くことも珍しくは無いという仕事内容。その、偶さか受けた看板修理の現場で、この事件に巻き込まれたと言う訳だ。奥さんと2人の息子がいるとのこと。
「定年まで秒読み開始って歳で、こんなコトになるとはなあ」
ため息交じりに誠一が言った。
「自営業なんでしょ? 定年は関係ないんじゃ?」
と良二。
「まあ区切りの一つだよ、仕事があれば身体が動く限り、やりてぇさ。ま、無事に帰れればの話だがな」
誠一の「無事に帰れれば」に反応して、美月・容子の顔が暗くなる。
沈黙はヤバい、そう感じた良二が別の話題を振る。
「こういうの、ラノベとかアニメとかでは、ありきたりの話ではありますよね。言葉までしっかり通じてるし、ホントそのまんまで」
「魔法陣の術式で言語能力を付加する、なんて設定も多いな」
――あれ? おっさんに話通じてる?
ちょっと意外。反応は薄いかも? 良二はそう思ってはいたが、やはり年齢的にもJKの方が通じると思っていたのだが……まあ、通じるならそれはそれで。
「だ、大体はチート能力とか貰えるんですよね。どうも今の俺には、そう言うの感じないですけど」
「その点は残念だな。まあ勇者じゃないなら用は無い、つーて殺されかけて復讐人生の始まり、とかよりマシだと言えるな。今のところお姫様も性格良さそうな人だし」
「やっぱそう思います?」
「『異世界で始める復讐三昧』とか最悪のスタートだったからなぁ」
「あ、俺もそれ読みました! 結局、最後はハーレムになっちゃうんですよね!」
「なんじゃこりゃ? だったよなぁ!」
などと、一番縁遠いかと思っていた人物が応えてくれて、世代ギャップをものともせずに話が盛り上がってしまった良二たちを見てJK2人は、
「なんで……?」
不安を飛び越して、怒りにも似た感情が湧きだしてきていた。
あ、やべ! 良二は容子の声に、空気も読まずに盛り上がった自分を諫めた。
が、時すでに、
「なんでそんな笑えるんですか!」
遅し。
「どうしてそんな話で盛り上がれるんですか! 怖くないんですか? 不安になりませんか!? この状況どう思ってるんですか! 小説やアニメなんかじゃない、現実に起こっている事なんですよ!」
最後は、ほぼ涙声である。黙っている美月の目にも再び涙がにじんできた。
――うわぁ……どうすんだ? どうすりゃいいのかな……
ろくに女の子と付き合ったことの無い良二には大変荷の重い状況である。
縋るように誠一の方を見る。
誠一は口をへの字に曲げ、自分で額をペチン! と叩くと立ち上がり、戸棚からタオルを取り出して二人にそれぞれ持たせた。二人はそんな誠一の気配りに一瞬戸惑ったが、やがてタオルを受け取ると、目の周りを擦るように拭いた。
容子も美月も涙を拭くたび、少しずつ落ち着いていくみたいにも見える。
「ごめんなさい、つい……」
「いや、声を上げたければ上げるといい。泣きたくなったら泣けばいい。
良二には、このおっさんの言葉が2人を包み込んでいるように聞こえた。
――うう、年長の貫禄と言う奴か。俺には決定的に足りてねぇ……
「……黒田さんは……言っちゃなんだけど、お歳を召してらっしゃるし、それでかな……落ち着いていられるみたいな……」
「どうかな?」
「でも…木島さんもそうですよね? その……あたしたちと2~3年しか変わらないと思うんですけど……」
「え? ああ、うん……」
「ホントのところ、どう思ってます? フィリアさんは帰れると言ってたけど、何かのトラブルでダメになるとか、こんな世情も治安もわからないところで襲われたりとか殺されちゃうかも? とか、そんな風には考えないんですか?」
う~ん、どう答えたもんか……いや、ここは小細工無しに素で行くべきか……
「それは……考えないわけじゃないんだけど、もし何かトラブルとか問題とか出て、それで負傷するとか最悪死んでしまったとしてもそれは……運が無かったとか運命だったとか思うんじゃないかなぁ?」
「え?」
2人は良二の返答に、意外な答え……というか「そんな答え?」と言うような顔をしだした。
――あまりにも素で言い過ぎたか?
容子らの、そんな
「あ、その、言い方はアレだけど……ほら、コンビニで買い物してたら暴走車が突っ込んで来て、とか前の世界でもあるじゃない? だから……」
うまくは言えないが、しかしこれは良二の率直な気持ちだった。
両親を亡くした事故でも2人は即死、自分はケガはしたが生きている。
あと1秒2秒の差、ぶつかったのが前か後か、それだけで、ほんのちょっとの差で生死が分かれる、そういった状況を経験しているのだ。
あの時、即死したのは自分だったとしても何らおかしくはなかった。ほんのちょっとの差……ホントに運としか言いようが……
「そんな……運なんて言葉だけで……か、軽すぎませんか……」
美月が呻く様に言った。もっともである、良二自身も言葉は軽いと思う。
良二の事故、もしくはそれに類似した命の危機に関わるくらいの経験が無くば、納得できるものでもあるまい。
不安に駆られる今は特にそうだ。だから自然と美月の声も荒ぶってくる。
「人の命を……人の生き死にを運があるとか無いとかで済ますなんて、そんなの納得いきません! 納得できません!」
容子と同じく涙声だが……この反応は当然であろう。自分の命が、そんな程度の軽いものと言われた気がした、と捉えられても已むを得ぬところ。
しかし良二は誤魔化すとか飾るとかは、すべきでは無いと考えていた。
この先、この3人とずっと一緒なのか、訣別するのかは今の段階では分からない。
だが、ここで変に飾れば、右も左も分からないこの世界で、ずっと飾り続ける事にもなりかねない。それは避けたかった。
「でも今回だって『運悪く』召喚に巻き込まれたんじゃないのかな? あと1秒ズレてたら仕事していた黒田さんはこの召喚から免れたわけだし、君たちだって沢田君とあと1m距離を取ってたら、渡った横断歩道の信号がいつもより赤が多かったら、青が多かったら? 日直や部活で、もっと早く登校してたなら……」
そこまで話したところで良二は改めて2人を見た。やはり先程から変わらずどうしても納得できない、いや納得したくない……自分に運が無かった、自分は貧乏クジを引いただけ、ただそれだけの事……と諭されて今の不安や恐怖が吹っ飛ぶはずも無く、納得など出来ようはずもない。
良二としても譲れない思いはあるが、とは言っても火に油を注ぐが如しでもあったわけで、どう纏めりゃいいんだか……男相手なら、先程の誠一とのラノベ談義よろしく、慣れ合いで和ますことも出来ようが、女の子相手ではどうにも勝手が分からない。言葉が詰まってくる。
「俺はね、昔、自衛隊にいたんだ」
突然誠一が会話を遮った。
いきなりの昔語りで、良二を始め3人は困惑した。
だが誠一は、そんな3人を尻目に、淡々と話し出した。
「除隊前の演習の時の事なんだが……朝まで降ってた雨のおかげで周りは
状況を想像したのか、容子が首を竦めた。
「俺は、あ、これは逝ったな……と感じた。そう、死んだと思った。そりゃ自分の体重に銃と装着してた装備で10数キロプラスの重量が首にかかったんだしね、走馬灯が見えたよ、マジで。ビデオの早送りみたいな速さで思い出が駆け抜けた後、コールタールのような闇に自分の身体が
今度は美月の喉がゴクリと鳴る。
「不思議と恐怖は無かったよ。それどころかその漆黒の闇はあたたかで安らかだった。この世の苦からも楽からも解放されるんだと意識がスーッと薄らいで行った。でも次の瞬間首にズキッて痛みが走ってね、俺はハッと目を開けた。上官が俺を穴から引っ張り出して手当てしてくれてたんだ。そのまま俺は病院に送り込まれて、捻挫だかムチウチだかで首にギプスはめられたよ」
救出されたと言うオチで、部屋の中の空気がちょっと安堵した様だ。
「今、こうやって生きてるわけだからね、そんなものは事故のショックで見た妄想・幻の類じゃないかと言われれば、そうかもしれない。でも俺は死を受け入れた。これが死か? と、ホント何の抵抗も無く受け入れちゃったんだよ、自分の死を。そのせいかな? 木島君の言う、運で決まるみたいな事も、なんとなーく分かる気がするんだよ」
そう言いながら誠一は良二に目線をくれながら、うっすらと笑みを浮かべた。
薄情に見えるけど、その気持ちは理解できるよ? 良二にはそんな表情に感じられた。
「あとちょっと首の角度が変わっていれば、あの時そのまま逝ってたわけだしね。でもな、例えば俺の息子がそんな事故で死んだりしたら……運が悪かったで済ませられるほど俺は人間出来ちゃいねぇし、そりゃ半狂乱だろうな。その点では松本君らの言う通り、運が悪いで済むかー! と思うだろうしね、ハハハ……」
力のない、ある意味、自嘲じみた笑いを最後に、誠一の昔語りは終わった。
「なんか……すごい事聞いちゃったような……」
容子が囁くように言う。
「あたしも初めて。臨死体験なんて……大変な経験してるんですね」
と、美月も同意する。
ここで良二も自分の事故の事を話そうかとも思った。
自分の言った事に更に信憑性が増すかもと……などと考えたが、あまり立て続けに重い話をしてはかえって逆効果かな? とも思い、躊躇したところへ、
「もしかしたら木島君にも、そんな思いが巡るような経験があるのかもしれないね」
と、誠一が自分の考えを代弁してくれた。
良二はタイミングの良さに、え? と、ちょっと驚きながら誠一を見たが、誠一は良二を見ながら指で自分の胸を横になぞり、風呂で見たのであろう、良二の胸に残る裂傷痕をトレースする仕草を見せた。
良二は自分に対する誠一の気遣いに感謝した。なので、これ以上はその話を深める必要もなくなったわけで、話題を他の話に振った方が良さそうだと判断した。
「大変な話と言えばさ、沢田君だよね。前線には出ないと言っても、大きな任務を背負わされるらしいし」
「うん、フィリアさんの話だと軍や神さまや魔族が絶対守るって言ってくれてたけど」
やっぱり心配だな、と美月。
「そういや君たちはあの通りで、よく3人一緒に登校してたよね? どちらかと付き合ってるとか?」
「え? あー、ないない、そういうのじゃないなぁ。中学が一緒で高校も同じだから、まあ、腐れ縁て言うかぁ」
「他の子と混じって映画行ったりカラオケ行ったり程度?」
「でも彼はどう思ってるかな? ちゃんと君たちの前に立ち塞がってる姿は、けっこう決まってたし。もしや『俺、元の世界戻ったら告白するんだ』とか?」
「あ、黒田さん! それダメ! ヤバいよ、絶対ヤバい!」
「え? フラグってやつ? ベタすぎない?」
「わはは、言っちゃいけない定番だよな~。んじゃお詫びに」
誠一はバーナーと同様、こちらに転送されてしまった背負いの作業バッグから保冷材に包まれたペットボトルを取り出した。
「わぁ、コーラだ」
「作業の休憩の時に飲もうと思ってバッグに入れてたんだ。冷たい内に飲んだ方がいいしね、みんなで飲もうか」
誠一に促され、良二が棚から人数分のカップを取り出し、テーブルの上に並べた。
そこへ誠一が順番にコーラを注ぎ入れていく。
「なんかうれしい。もう、こういうの飲めないと思ってたし」
「こちらにも元の世界じゃ味わえないものもあるかもだよ? どうせならそういうのも楽しむのもいいよね」
「木島さん、前向き~」
「黒田さん、乾杯の発声よろしく!」
「え? 俺?」
「こういう時はやっぱ年長でしょ?」
いたずらっぽく言う容子。そうそうと相槌を打つ美月。2人とも先程よりは表情がやわらかくなっていることに、良二も胸をなでおろした。
「じゃあ僭越ながら……え~、お互い、とんでもない事に巻き込まれました。とんでもない世界に来てしまいました。当然ですが、不安もあるでしょう。恐れもあるでしょう。でも、幸いなことに思いを同じくできる人が、ここに集まってます」
誠一がみんなを見回す。そして良二たちも、それぞれがお互い見回す。
「お互い泣きたい時は一緒に泣き、愚痴りたい時は愚痴を一緒に言い合い、それと同じくらい、一緒に笑えることも探しましょう。俺たちは生きてます。明日も生きてます! 毎日それを続けて1年後、5人で家に帰りましょう。では、全員の無事を祈願して乾杯!」
「「「かんぱーい」」」
こうして良二たちの異世界生活初日が終わろうとしていた。
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