シーン2 部室でみだりにみだらな行為をするのは禁止です

 午後は委員の分担等を決める短めのホームルームだけで終わり、放課後の教室は喧騒に包まれていた。

 クラスメイト達と話をしながら、何となくみなもの机のほうを見るといつの間にかみなもの姿は消えていた。


(あれ、もしかしてもう帰っちゃった?)


 廊下を覗くと、生徒達でごった返す廊下の先のほうにみなもらしき後ろ姿が見えた。

「ゴメン、ちょっと先に帰るよ」

 僕は荷物をかき集めると急いでみなもの後を追った。


「みなも!」

 僕が声をかけると、みなもは背中をビクンと震わせて振り返る。

「カナメ……」

「帰るなら一言言ってくれればいいのに」

「帰らない……これから部活」

「へぇ、みなもは部活やってたんだ。どこの部?」

 少しの間考えるように沈黙した後、みなもが呟く。

「……文芸部」

「文芸部……なるほどね、だからあんなに本がたくさんあったんだね」

「…………」

 みなもは黙ったまま小刻みにプルプルと震えている。

「どうかしたの?」

「止まってると、重い……」

 よく見ると、みなもの両肩には大きめのトードバッグがかかり、その口からは大量の本が覗いていた。

「あ、ごめんっ。僕が持つよ」

 みなもの肩からバッグを外すと腕にズシリと負荷がかかった。


(城壁の材料か……スゴいな、なんでこんなの運んでたんだ)


「……ありがと、カナメ」

 伏し目がちにみなもが頭を下げる。

「気にしないでいいよ。文芸部の部室って……」

「二号棟のほう」


 渡り廊下を抜けて、僕とみなもは文芸部の部室としても使われている書道準備室の前までやってきた。

「たぶんまだ誰もいないから、入って」

 書道準備室の中に入ると、古い紙と墨汁の入り混じった独特な匂いがした。

 部屋の片側の壁には年季の入った木製の4つの机が並んでいて、その前には教室の椅子とは違い、首のあたりまで背もたれのある上質な椅子が置かれている。

 もう片方の壁は一面が天井まで届く書棚になっていて、半分位が蔵書で埋まり、残りは書道の道具や原稿用紙といったものが収められていた。


「荷物はそこの空いてる机に置いてもらっていい」

 僕が大量の本の入ったトードバッグを机に乗せると、みなもは隣の机の前に座り、鞄からノートとペンケースを取り出した。

「壁は作らなくていいの?」

「あれは人に見られるのがイヤだからしてるだけ。ここではいらない」

「なるほどね、じゃあここでならみなもが書いてるものを見せてもらえたりするのかな?」

 僕の言葉にみなもは慌ててノートを押さえる。

「いや、大丈夫だから。無理に見たりしないよ。ただ、なんのジャンルを書いてるのかぐらいは教えてくれたらうれしいな」

 ノートから手を離して、みなもは覚悟を決めたようにつぶやく。

「……シナリオ」

「シナリオって、舞台とかドラマとかの?」

 みなもは首を横に振った。

「これは私の……私だけのシナリオ」

「みなものシナリオ?」

「そう…………私の理想の恋愛のシナリオ」

「へえ……」


(まぁ、みなもだって女の子なんだから当然そういうものに憧れたりするんだろうな)


「……見る?」

「え、いいの?」

「カナメなら、いい」

 そう言うとみなもはノートをめくってあるページを差し出した、

「ここ以外はまだダメ」

「わかった、じゃあ読ませてもらうね」

 僕は鉛筆でいっぱいに書き込まれたノートに視線を落とした。


※※※


 #1428 タイトル「ラブ イン ザ クライシス」


【人物一覧】

 マスター・ミナモ(15)…北東真拳の継承者

 マスター・ジェイ(17)…南東正拳の継承者、ミナモの幼なじみ


 N「文明が崩壊して50年、荒廃した地上で、人類は北東、南東2つの大きな勢力に分かれて戦っていた」


(ん? これってみなもの恋愛話なんだよな。いきなり現代じゃなくなってるけど……)


 ○砂漠の廃墟・夜

   向かい合うミナモとジェイ。


 ミナモ「どうしても、北東と和睦するつもりはないの?」

 ジェイ「俺も南東を継ぐもの。もはや後戻りはできない」

 ミナモ「ならば、私達で決着をつけましょう。それが幼なじみである私達のせめてものけじめ」

 ジェイ「そうだな。南東と北東に生まれたのも宿命。ゆくぞミナモ!」


   マントを脱ぎ捨て構える二人。雲間から月が出た瞬間激しい攻防が始まる。

   ミナモの手刀が炸裂。

   ブシャアアアアアッーと血が吹き出し、ジェイの右腕が宙に舞う。

 ジェイ「うわああああ、俺の腕があぁっ」


(継承者の割に悲鳴がザコっぽいな、ジェイ)


   苦し紛れにジェイがミナモの足に手刀を放つ。

   ズバッシュババババババンッと血が飛び散り、ミナモの右足が宙に舞う。


 ミナモ「いやああああああ、私の足がああっ」


(だからなんで継承者のくせにザコっぽいの? そして擬音やかましいな)


   ミナモ、印を結ぶ。手刀が青い光を放つ。


 ミナモ「奥義、北東北西斬!」


(ややこしいわ、どっち向きなんだよ)


 ジェイ「なんの。奥義、南東南中波!」


   二人の技が交錯。ズガッシャブシイイイイイイッと血が飛び散る。

 ミナモの左腕とジェイの右足が宙を舞う。


(なにこの通販番組の包丁みたいな切れ味)


   血を滴らせながら立ち上がる二人。

   再度向かい合って構えをとる。


(んん? 二人とも片手片足なのに器用だな)


 ミナモ「ジェイ! これで最後よ」

 ジェイ「ミナモ! さらばだ!」


   二人の身体から立ち上るオーラ。

   互いに向けた手のひらからまばゆい光が放たれる。

   光に包まれる二人。


 ミナモ「ジェイ、小さい頃からあなたのことが好きだった」

 ジェイ「ああ、俺もだ。ミナモ、愛して――」


 光の中で部位ごとに分かれていく二人。


(肉屋みたいに言うな。そして結局結ばれてないんだけどこの二人)


 ○白で覆い尽くされた神聖界


 N「そのころ遥か上空の神聖界では、地上の様子を嘆く聖大天使ガラマリエルの姿があった」


(あれ? 続きがあるのか)


 ガラマリエル「おお、なんと嘆かわしい。あのように純粋な若き男女が愛を成就せずに命を散らすとは……。かくなるうえは、あの者達の肉体と魂を神聖界へ呼び寄せるのじゃ。そして、この地で甦らせ、あとは思う存分まぐわらせようぞ――」


※※※


 ぱたん。

 僕は耐えきれずにノートを閉じた。


「……みなも、念のために聞くけど、これはみなもの恋愛のシナリオなんだよね?」

「何かおかしいところ、あった?」


(おかしいところ……。いや、むしろおかしくないところはどこだ?)


「えーと、まず基本的なところで言うとね、ト書きにはふつう擬音はいらないな。しかも無駄にうるさいし」

「先輩にもよく言われる。でも、つい書いちゃう」

「まぁ、人に見せるのが目的じゃないなら、そこまで気にする必要はないかもしれないけどね。あと、この手足がスパスパ取れるのは何か意図が?」

「闘ってはいけない二人が闘ってしまう悲劇を入れてみたかったの」

「確かに、近くにいたら危ない人達だけど……。それと、突然最後に現れて下ネタに走る大天使にいたっては……」

「どうかした?」

「あ、いや……ごめん。あんまり頭ごなしに否定ばっかりしちゃダメだよね。みなもの作品なんだから本来は好きに書いていいものなのに」

「気にしない。それに、カナメが読むの上手いから、本当にドラマでも聞いてるみたいだった」

「え!? 僕、声に出して読んでた?」

「読んでた」


(しまった。ついクセでセリフがあるものを読むと声に出してしまうんだ)


「あー、ええとね、実は僕、演劇部なんだ」

「そうだったの、だから上手なんだ。本当にミナモとジェイが闘ってるみたいだった」

「いや、僕なんか全然凄くないよ。……ところで、みなもはどうしてこういうシナリオを書き始めたの?」


 気恥ずかしくなって、僕は話題をみなものことに変えた。

 演劇部の部活の話は、訳あって今の僕にはあまり触れられたくない話題だった。


「私のうちは、小さい頃からお父さんとお母さんが仲が悪くてケンカばかりしてた」

 みなもは少し考えるような仕草をして語り始める。

「私が小学五年生の時にはとうとう離婚して、私はお父さんに引き取られた。生活には不自由はなかったけど、お父さんは忙しくていつも帰りが遅かったから、私は楽しくて素敵なことを想像して遊んでいた」

 みなもがノートを手にとって胸にそっと抱きしめる。

「いつからか、それをシナリオという形でノートに書いて楽しむのが、私の一人遊びになっていったの」


(みなもの身にそんなことがあったんだ。それなのに僕は否定ばっかりしようとして……)


 僕は少し気まずくなって、意味もなく書棚のほうを見たりしながら次の言葉を考えていた。

「ねえ、みなも。もう書いてあることを否定したりしないから、他のページも見せてくれないかな」

「……」

 みなもからは返事がない。

「ねぇ、だめかな、みなも……って、みなもおおおお!?」


 振り返ると、みなもは執筆机の椅子に深く身を沈めていた。

 隣の椅子に脚を投げ出し、足の付け根のあたりまでスカートをめくり上げ、わずかに覗く下着の上に指を這わせている。

 指先は下着を縦になぞるようにゆっくりと上下し、そのたびにみなもの口からは切なげな吐息が漏れる。

「みなも!? ……なにしてるの?」

「なにって、一人遊び。いつも、こうして想像しながら……」


(そっちのことお?)


 狼狽する僕の前で、みなもは股間の指を動かしながら、あんっ、あん、と悩ましげな声を上げる。やがて、空いていた左の手を制服の隙間から潜り込ませ、胸のあたりでゴソゴソと動かし始めた。


「はん、あっ、あっ、あん……いけませんっ、こんなこと!」


(ん? なんかのストーリーに入り込んでるのか)


「ああ、このような場所でこのような姿をあの人に見られてしまっては、あっ、んん、はぁっ」


(えらく背徳的な話っぽいけど……)


 その時、佳境に入ってきたのか、みなもの指先が下着の中に潜り込んでいき、直接的に触れて刺激を得ようと動き始める。

 さすがにそのまま見ているのが怖くなって僕はみなもに背を向けた。

 それでも、背後からは悩ましく甲高いみなもの嬌声が聞こえてくる。


「ん、ああっ、このような事、神様がお許しになりません、はぁっ、いい、あん!」


 みなもが発してるとは思えない扇情的な声に、僕の鼓動も速くなっていた。

 そもそも、女の人が「そういう時」に上げる声を直接聞くのも初めてのことで、僕は硬直して動くこともできず、背中でみなもの声を聞き続けた。


「あ、あんっ、もう、私、い、いいっ、ああっ、あああっ」


 昇りつめたみなもがひときわ高い声を放つ。


「ラスプーチンさまぁぁぁ!」


(どういう設定?)


 動きを止めたみなもからは、乱れた呼吸の音だけが聞こえてくる。

 僕はみなもの呼吸が治まった頃を見計らって、ゆっくりと振り返った。

 みなもは乱れた制服を直すこともなく、ぼうっとした表情で椅子の背もたれに身を預けていた。


「みなもは、いつもこんなことしてるの?」

「……人が居るところではしない。今日はカナメの朗読を聞いてたら……ついしたくなっちやった」


(どうしよう、ホントにヤバい奴だったよ)


「まあ、その……人の趣味、嗜好はいろいろあっていいと思うけど、あまりこういうことは人前でしちゃよくないと思うよ」

「わかった、これからはカナメの前だけにする」

「いや、それもダメだって」

「ノートの番号の数だけまだシナリオがあるから、いっぱい読んでもらえるの嬉しい」


(シナリオの番号? さっきのは確か……せんよんひゃくにじゅうはち!?)


「みなも、一旦落ち着こう」

「カナメがトモダチになってくれてよかった」


(待って! 僕を置き去りにしないで)


「頑張ってもっと書かなきゃ」


(増やさなくていいからっ)


 さすがに怖くなってこの場を逃げ出したくなったその時、部室の扉が勢いよく開いた。


「ん?」


 そこに立っていたのは、二人の女子生徒だった。

 校章の線の数から三年生の先輩であることがわかる。

 二人ともまるで揃えたかのように同じようなポニーテールとメガネという出で立ちだが、一人は身長が低く制服の下にはちきれんばかりの筋肉を秘め、砲丸を20メートルは投擲しそうな太ましい身体の持ち主だった。

 反対にもう一人は180センチ近くありそうな長身で細身の人だった。


「貴様ァ、何をしとるかあ!」


 太ましいほうの先輩が、憤怒の表情で咆哮する。


(あっ!?)


 僕は反射的に後ろのみなもを振り返った。

 みなもは、乱れた制服もそのままに椅子に身を沈めたままだ。

 誰もいない部室で、着衣が乱れた女子と男子が二人――。


「あ、あの、違うんです! これは決してやましいことは……」


 僕の言葉など聞こえないように、太ましい先輩はドシドシと部室に踏み込んでくる。

「ごめんなさい、誤解なんですっ!」

 思わず頭を庇う僕を無視して、太ましい先輩はみなもの方へ一直線に歩いていく。

「上杉っ、貴様ァ、あれほど部室で自慰をするなと言ってあったろうがぁ」

 太ましい先輩はみなもの首根っこを掴むと、一気に引きずりあげて空中で半回転させて、自ら突き出した膝の上に叩きつける。

「はぅっ」

 みなもの口から変な音が漏れた。

 みなもは、太ましい先輩の太ももの上にお腹を乗せるような格好になっていた。

「このバカチンがぁっ」

 太ましい先輩の右手が高々と掲げられ、猛烈な勢いで振り下ろされる。


 バアンッ!


「あうっ」

 お尻にキャッチャーミットのような手による折檻を受けて、みなもが悲鳴を上げた。

「なんべん言ったらわかるか、このっ!、このっ!」


 手が振り下ろされるたびに、バアンッ、バアンッ、バアンッと激しい殴打音が響き、それに合わせてみなもの声が上がる。


「はぁ、痛い! はん、ああっ、ごめん、なさいっ、はあん、あん」

「反省しとるかあっ」

 バアンッ、バアンッ、バアンッ。

「してますっ、はんっ、ヒッ、あん、ああん!」

 みなもの絶叫に、ようやく激しい折檻は止まった。


「……ふう、これだけ身体に叩き込んでおけば三日ぐらいは保つだろう」


(え? それしか保たないの?)


 呆気にとられる僕に、みなもを抱えたまま太ましい先輩が振り返った。

「ところで少年、君は何者かね」


 ※※※


「……なるほど、だいたいの事情はわかった」

 太ましい先輩は腕組みをしたまま頷いた。

「成り行きとはいえ我が部内の恥部を見せたこと、謝罪する。私は文芸部部長の大原たいげん雪子せつこ。こっちが――」

「副部長の立花たちばな道子みちこだ」

 長身痩躯の女子生徒が言葉を引き継ぐ。

「はぁ、お二人はみなもの先輩だったんですね」

 大原先輩がピクリと眉を動かす。

「事実としてはそうだが、我々をこの変態の同類だと思うのはやめてもらいたい。……部として存続するにはどうしても三人の部員が必要だったのだ」

「君は上杉の書いたものを読んだそうだが、率直なところどう思う?」

 立花先輩が上方から僕を覗き込むように尋ねる。

「ええと……個性的だと思います」

「なかなか世慣れした回答だ」

 僕達の会話の横で、みなもは他人事のようにノートに書き込みをしている。

「……まあ正直、文才はないし変態だが、それでも一応は部員であるし、可愛げもなくはない。島津君といったか、どうかこのアホをこれからも面倒みてやってはくれまいか」

 二人に頼まれ、僕は困惑しながらも思わず「わかりました」と答えてしまった。


 僕は文芸部の部室を後にして渡り廊下のところまで戻ってきた。


「カナメ!」


 背後からの声にふりかえると、みなもが息を切らしながら追いついてくる。

「みなも? どうかしたの」

「カナメ……まだ、私をトモダチだと思ってくれる?」

「ああ、もちろん」

「私、自分がちょっとおかしいことはわかってる」


(ちょっと? うん、ちょっとね)


「それで……カナメにお願いがあるの」

「お願い?」

「私、ずっと恋愛とかそういうものに憧れていて、そのことばっかり考えていた。だから、それが叶えば少し普通になれる気がする」

「ああ、そういうことはあるかもね」


「――だから、カナメに私の処女をあげる」


(うん……んんんん!?)

 

「いや待った。みなも、いったい何を言ってるのかな?」

「カナメには私の理想の恋愛が叶うように手伝って欲しい。それが叶ったらカナメに私の処女をあげる」

「……えーと、ちょっと待ってね。みなもの理想の恋愛が叶ったら、処女は当然その相手にあげるべきであって、それを僕がもらうということは、僕がみなもの理想の恋愛の相手になるってこと?」

「…………カナメ、頭いい。そう、その通り」

「いや、その通りって……。じゃあ僕がみなもに告白したらそれで成就じゃないの?」

 みなもが首を横に振る。

「ちょっと違う。あくまで私の理想のシナリオに沿う形でむすばれなきゃだめ」


(それって、南東ナントカ拳の継承者になって身体をバラし合うってことか?)


「うーん、難易度はかなり高そうだね」

「私のシナリオ、イメージが先行してるから現実離れしてるところがあるのは自分でもわかってる」


(あ、一応自覚はしてるんだ)


「でも、中には普通ぽいものもある……」

 ノートをめくりながら、みなもが何かを見つけたように顔を上げた。

「これ」


 そのページにはこう書かれていた。


「#925 タイトル『好きです! 伊達先輩』」

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