先鋭夢想家の上杉みなもは一人遊びに余念がない -ラジカルロマンチスト 1 -

椰子草 奈那史

シーン1 上杉みなもは挙動不審

 それは、高校二年になって初めての登校日の朝だった。

 クラス替えがあり馴染みのない顔が多く混じった教室に入ると、一年の時から引き続いて同じクラスになった知り合い達が声をかけてくる。

 僕は黒板に貼られた席次表で、自分の席を確認した。

(窓側の……四番目か)


 その時、知り合いのひとりが僕の背後で囁いた。

「おい、カナメ。お前ヤバい奴の前になったぞ」

「ヤバい奴?」

 さりげなく窓際の席に視線を走らせる。

(……二、三、四が僕で、その次……)


「……何あれ?」


 その机の上には、まるで城壁のように三方に本が積み上げられ、本の間からは背中を丸めた何者かの頭が少しだけのぞいていた。

 黒板の席次表を見直すと、その席のところには「上杉みなも」と書かれている。

「女子、かな?」

「一年の時に同じクラスだった奴に聞いたら、とにかくヤバいらしいんだよ」

「それってどういうふうにヤバいの?」

「詳しいことはよくわからないけど、ヤバいらしいんだ」

「……具体的で有用な情報をありがとう」


 確かに、既に普通とは違う片鱗を漂わせているけど、僕はあまり先入観で人を見るのはよくないと思っている。

「ヤバいかどうかは自分で確認してみるよ」

 僕は自分の席に着くと、後ろの席に椅子を向け直した。

 上杉さんの机の上は、三方が40センチくらいの高さに積み上げられた本で囲われていた。積まれた本のうち半分くらいがこちら側に背表紙が向いているが、それを見る限りでは、哲学、エッセー、小説、マンガ……とジャンルは多岐にわたっているようだった。

 ただ、その内容は全て「恋愛」に関するものであることが共通していた。

 そして、本よりも気になるのが、さっきからその「本の城壁」の裏側から聞こえてくる奇妙な音だ。


 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ……。


(なにしてるんだろう……)


 カリカリカリカリカリカリカリ……。

 一瞬、音が止んだところで「ぶふっ」とくぐもった吐息のようなものが聞こえた。


(笑った……のか?)


 僕は思いきって声をかけてみることにした。

「はじめまして、上杉さん。僕は島津しまづかなめ。皆からは『カナメ』って呼ばれてる。前の席になったからよろしくね」


 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ……。


 上杉さんからはなんの反応もない。

「あの、上杉さん?」

 カリ……。

 音が止まった。

「あの、僕は島津要――」

 その時、本の城壁からニュッと頭が顔半分ほど持ち上がった。

「ヒッ!?」

 現れた顔を見て思わず声をあげてしまう。

 そこには、ジョークアプリで加工したかのような有り得ない大きさの目がこちらを見ていた。

「……えと、ああ、それは……メガネ?」

 上杉さんが小さく頷く。

 牛乳瓶の底のような――という例えは聞いたことがあるけれど、上杉さんのそれはまるで防弾ガラスを思わせる厚いメガネだった。

 僕が次の言葉に詰まっていると、上杉さんは再び本の城壁に引っ込んでしまった。


 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ……。


 再びあの謎の音が鳴り始める。


「ええと、上杉さんは何をしてるのかな? ヒマワリの種でも食べてる?」


 カリ……。

 再び上杉さんがニュッと顔を出し小さく首を横に振った。

 そして、鉛筆を握った右手を城壁の上まで持ち上げる。


(今時珍しい鉛筆派なんだ)


「ああ、勉強してたんだ。ゴメンね、邪魔して」

 上杉さんがまた首を横に振った。

「ん? 違うの?」

 上杉さんは小さく頷く。

「へぇ、それじゃ何を――」

「待って」

 僕の言葉を制止すると、上杉さんは下を向いて防弾メガネを外した。

「このメガネ、近くの文字以外はかえって見にくい」

 そのまま僕に背を向けると、鞄から小さなケースを取り出してケースの中身を顔のあたりに持っていく仕草をする。


(……コンタクトレンズに代えてるのか)


 そして僕のほうに向き直ると、小さく頭を下げた。

「……私は、上杉みなも。よろしく……島津君」

 改めて見る上杉さんは、寝グセなのか長い黒髪が所々で跳ねている。顔立ちは派手さはないが、わりと大きくて眠たげな眼差しはほのかにエキゾチックな雰囲気で、僕にはけっこう可愛いと思える女の子だった。

「僕のことはカナメでいいよ。上杉さんのことはなんて呼べばいいかな?」

「……フルネームか『みなも』で」

「フルネームはさすがになぁ……それじゃ『みなもちゃん』でいい?」

「『ちゃん』をつけられるのはイヤ」

「そうなんだ、じゃあ『みなも』で」

「それでいい。……カナメ」


 その後、さっきの知り合い達のところに戻ってくると、みんなは好奇心いっぱいの顔で僕を取り囲む。

「カナメ、どうだった? ヤバかった?」

「いや、たぶん人見知りなだけで別に普通だったよ。それに、けっこう可愛い感じの子だと思ったけど」

「え? マジで? ウソだろ」

 知り合い達は僕を盾にするように遠巻きにのぞき込むも、その時には既にみなもは再び本の城壁の裏に籠もっていた。


 そう、僕もこの時はまだみなもをただの内気な女子くらいにしか思っていなかった――。


 ※※※


 みなもの机の本の城壁はさすがに朝のホームルームが始まる頃には片付けられ、その後の授業の間もそれは続いた。

 しかし昼休みになり、僕が購買でパンを買って教室に戻ってきた時にはいつの間にか復活していた。


 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ……。


 本の城壁の向こうからは、相変わらずあの音が続いている。

 みなもは昼食も摂らずに一心不乱に何かを書き続けているようだ。

 僕は購買で買ったパンをかじりながらそれを見ていた。


 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ……ぐう。


(ん? 気のせいか、今なんか変な音が聞こえたような……)


 カリカリカリカリカリぐうカリカリカリカリカリ……ぐぐうぅ。


(やっぱり、間違いないよな)


「ねぇ、みなも」

 カリ……。

「……なに?」

 みなもがこちらを窺うように少しだけ顔をあげる。

「もしかしてお腹空いてるの?」

「減ってない」

 そう言うと再び本の城壁に身を潜める。

「今日は調子に乗ってパンを一個多く買っちゃったんだ。開けてないからよかったら食べる?」

 城壁からはみ出た頭頂部が、ピクッと動く。

「……いら、ない」

「遠慮しなくていいよ。ほら、ハムチーズ嫌い?」

「……好き」

 僕は穴ぐらに籠もる小動物を誘い出すようにパンをゆっくりとみなもの眼前へと近づけていく。

 それに釣られるように本の城壁からみなもの手がにゅっと伸びてパンを掴んだ。


「――今日、寝坊して慌ててたから、お弁当もお財布も忘れた」

 両手でパンを持って頬張りながらみなもが呟く。

「そうだったんだ。早く言ってくれればみなもの分も買ってきたのに」

「ううん、これでいい。……ありがと、カナメ」


 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ……。


 みなもはパンを食べ終えると再び何かを書き始めた。

「みなも、それ、スゴく気になるんだけど何書いてるの?」

「……教えたくない」

「うーん、まぁ、ダメならしょうがないけど」

 その時、教室の出入口のあたりから「おい、カナメー」と僕を呼ぶ声がした。

 それは、今は別のクラスになってしまったが、一年の時に同じクラスで仲のよかったクラスメイト達だった。

 僕は、口を「あとで」と動かしながら手を合わせるポーズをする。


「……カナメ、けっこうトモダチ多いの?」

 城壁の向こうから、ボソッと声がした。

「え? どうかな、……うーん、まぁそこそこはいるかもね」

「私なんかに構わないであっちに行けばいいのに」

「いやいや、アイツらとはもう十分に友達だから、少しくらい話さなくたって友達であることに変わりないよ。それに今は新しくできた友達のことをもっと知りたいし」

「……トモダチって私のこと?」

「もちろん……って思ってるの僕のほうだけ?」


 みなもは黙ったまま再び鉛筆を走らせ始める。


 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ……。


 なんだろう、今まで僕の周りにはいなかったタイプだ。

 でも、思うような反応が返ってこないこの感覚は新鮮であり、とても興味深い。


(もう少し仲良くなってみたいな……)


 僕の思いをよそに、鉛筆の音は昼休みの間止むことはなかった。

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