第4話 ソラーラの糸
気がつくと、ロッドはダンジョンの中にいた。
混乱して、記憶の糸を辿る。皿の手形に掌を合わせ、水晶が光りだし、モガールが喚きだして……。
記憶はそのあたりから曖昧になっている。
「どうなってんだこりゃ」
すぐそばで、困惑するモガールの声が響いた。
他の二人も手の届く範囲にいる。全員、呆けた顔で辺りを見渡している。
「空間転移? それにしては、妙な感じだったけど……」
足元を見ながらイゾルテが呟く。石造りの床には、血で描いたような赤黒い魔術陣が広がっている。
「なにか分かるか」
ロッドが問う。
イゾルテは眉を寄せて首を振った。
「全然。この魔術陣も、それっぽく描いただけの出鱈目に見えるけど……。高度過ぎてそう見えるだけかも……。タレットちゃん、なにかわかる――って、タレットちゃん!?」
イゾルテが驚くのも無理はない。タレットは、真顔で涙を零していた。
「え、ぇ? どうしたんですか?」
気づいていないのか、困惑してタレットが尋ねる。
「どうしたって、それはこっちの台詞だぜ」
モガールが身振りで目元を示す。
顔に手をやり、ようやく泣いている事に気づいたのだろう。
「ぁ、あれ? なんでわたし、泣いてるの?」
奇妙な様子に、冒険者達は顔を見合わせた。
お互いの顔に浮かぶ憐みの表情を確認する。
「まぁ、なんだ。ここは爺さんの遺した最後のダンジョンだしな。涙くらい出るって」
誤魔化すようにモガールが言う。
言われたタレットは、釈然としない様子で生返事をした。
「とりあえず、状況を確認しよう。ここはもう、ダンジョンの中だ。なにが起こるか分かったものじゃない」
気を引き締める意味で、ロッドは言った。
ダンジョンマスターの遺した最後のダンジョンだ。
油断していると、命を落とす事にもなりかねない。
「なんつーか、絵に描いたようなダンジョンだわな」
改めて辺りを見渡し、モガールが言った。
ロッドも同じ感想だった。
四方は全て、灰色の石ブロックで出来ている。そこは通路の途中で、幅は人が二人並んで歩ける程度だ。
「てかあれ、さっきの入口じゃね?」
振り返って、モガールが言った。少し先に、さきほど見た扉と同じものが見える。
「なにそれ。だったらわざわざ空間転移する意味なくない?」
「俺に言うなよ!」とモガール。
尋ねる意味で、ロッドはタレットに視線を向けた。
「……えーと。ドミナス様はお茶目な方なので。そういう事も、なくはないかと」
「だそうだ」
二人に向けて、ロッドは言う。
「なんでぇ。ただのかっこつけかよ」
「呆れた。空間転移って簡単じゃないのよ? こんな事に使うなんて、信じられない!」
「だから俺に言うなって!」
「ともあれ、帰り道はハッキリした。危険だと思ったら、ここから帰ればいい」
「開くのか?」
「開くんじゃない? じゃなきゃ帰れないし。親族に雇われた冒険者は、ちゃんと戻ってきてるのよね?」
イゾルテがタレットに尋ねる。
「わたしは親族の方に邪険にされていたので、詳しい事は分からないんですが。多分、そうだと思います」
申し訳なさそうにタレットは言う。
「大丈夫かよ……」心配そうにモガール。
「すみません……」
謝るタレットに。
「いや、嬢ちゃんを責めてるわけじゃねぇけどさ」
バツが悪そうにモガールは言う。
「噂では、ドミナスの隠しダンジョンに潜って命を落としたり、帰ってこなかった冒険者というのは聞いた事がない」
庇うわけではないが、ロッドは言った。冒険者は横の繋がりを大事にする。名のある冒険者が亡くなれば、噂くらいは耳に入る。絶対とは言えないが。
「怖気づいたというのなら、俺は止めない。金を貰っているわけではないからな」
すみません……。ぼそりとタレットが謝るが、聞かない事にした。ロッドも、その事で彼女を責めているわけではない。
「誰にモノ言ってんだよ。駆け出しじゃねぇんだ。この程度でビビるか!」
ムキになってモガールが言う。
「なら行くぞ。タレット。ダンジョンのマッピングを頼めるか」
「勿論、そのつもりです」
「書くもの持ってる?」
イゾルテが尋ねた。ほとんど文無しのタレットだ。そんな物を持っているとは思えない。
「ないですけど、大丈夫です。一度見たダンジョンの形は、絶対に忘れませんから」
珍しく、自信をもってタレットは言った。
「でも……」
イゾルテが食い下がる。ダンジョンで迷子になれば生死に関わる。はいそうですかと納得出来る物ではない。
「タレットを信じよう。彼女だって、ダンジョンマスターの弟子だ。ダンジョンに関しては、私達など足元にも及ぶまい」
「……そうね。疑って悪かったわ」
納得したわけではなそうだったが、こちらの顔を立てて、イゾルテは言った。
「っしゃぁ! そうと決まれば、冒険のはじまりだぜ!」
腰の手斧を手の中で器用に回し、モガールが景気づける。
言葉には出さないが、ロッドも血が滾っていた。
こんな時、ロッドは自分が、根っからの冒険者なのだと自覚する。
先頭をロッド、しんがりにモガール、間に女性陣を挟む形でダンジョンを探索する。
「しっかし、商店街の地下に、こんな立派なダンジョンが広がってたとはな」
皮の厚くなった指先で壁面を撫でながら、モガールが呟く。
「言われてみれば。よく今まで気づかれなかったわね」
「確かにな。どれ程の規模なのか知らないが、相当な金がかかっているはずだ。これが道楽なら、恐れ入る」
「道楽だからこそだと思います。ドミナス様は、ダンジョン作りが生き甲斐のような人でしたから。仕事になると、どうしても色々と制約があって、好きなようにダンジョンを作れないとよくボヤいていました。もしかすると、わたしを拾うずっと前から、このダンジョンを拡張してストレスを発散していたんじゃないでしょうか」
「だとしたら、こいつは爺さんの人生そのものって感じか。まさしく、ダンジョンマスターの遺産だな」
「気楽に言わないでよ。それって、ドミナスが生涯をかけて作った、最強最悪のダンジョンって事でしょ。あたし達で攻略出来るわけ?」
「私達は別に、このダンジョンを攻略しに来たわけじゃない。勿論、出来る物ならそうしたいが、無理だと思ったらすぐに引き返す。そういう約束だ」
「それはそうだけど……」
ドミナスがタレットの為に用意した遺産があるかもしれない。そんな話をしてしまったからだろう、手ぶらでは帰れないという雰囲気があった。
ロッドもそれは感じていたが、それはそれ、これはこれだ。
面倒に巻き込んでしまったからこそ、仲間達には怪我のないよう、一線は引いておきたい。
「わたしの事は気にしないで下さい。こうして、ドミナス様の遺してくれたダンジョンを歩けるだけで、充分幸せですから。危ないと思ったら、いつでも引き返して貰って大丈夫です」
「ま、行ける所までは行ってみるさ。そうだろ、ロッド」
「あぁ。タレットも、よく注意してくれ。隠し部屋か何か、ドミナスが君の為に残した物があるかもしれない」
そうであって欲しいと、ロッドは願った。
ドミナスが、ただ一人自分の為に作ったのか、一欠けらでも、弟子の事を想って作ったのかでは、このダンジョンの持つ意味合いはまるで違ってくる。
もし前者であるなら、そんな物を相続させられたタレットは、あまりにも哀れではないだろうか。このダンジョンは、家族と信じた男の冷酷を表す証になってしまう。
そんな物を抱えて生きるくらいなら、いっそ手放してしまった方がマシだと思うが、タレットはきっとそうはしないだろう。
そこになんの絆もなかったとしても、彼女にとっては、ドミナスは親も同然なのだ。
「止まって下さい!」
物思いにふけるロッドを、タレットが現実に引き戻した。
「どうした」
油断していた自分を諫めつつ、足を止めて辺りを伺う。
直線の通路には、見た感じ、怪しい所はない。
「罠があります。その辺りに、糸が渡してあるのが見えますか」
数歩先、脛の高さを指さしてタレットは言う。
「……」
目を凝らしても、すぐには分からなかった。
「本当か? 俺には何もみえねぇぞ」
「あたしも……。待って! 見えた! すごい。こんなの、よく気づいたわね!」
遅れて、ロッドも気づいた。
それは、糸と言うにはあまりにもか細い、透明な線だった。
「……ダメだ。全然わからん」
遠いせいだろう。モガールが目を擦る。
「まるで蜘蛛の糸だな」
それも、ノミのように小さな蜘蛛の糸だ。間近にあって、日の光があたればなんとか見えるという程度の糸である。
「よくわかりましたね」
ロッドの言葉に、感心するようにタレットは言った。
「これはソラーラの糸と言って、蜘蛛の魔物の糸を加工した、特別な糸なんです。これだけ細くても、罠に使える程度の強度があるので、ドミナス様がよく使っていました」
楽しそうに解説すると、タレットは周囲の壁に目を凝らした。
「……そうですね。多分、この糸が切れると、ここのブロックが飛び出すんだと思います」
糸の真下辺りのブロックを指さして、タレットは言う。用心して覗いてみるが、別段他のブロックと違いがあるようには見えない。
「切ってみても大丈夫か」
「平気だと思います」
口ぶりとは裏腹に、タレットの言葉は確信に満ちていた。
腰のなまくらを抜き、糸を断つ。
髪の毛にも満たない細さの糸は、刃の潰れた剣では容易に切れない程度の強度があった。
とは言え、少し力を込めれば、苦もなく千切れたが。
途端に、こん! と竹を叩いたような音と共に、タレットの示したブロックが勢いよく腰の高さまでせりあがった。
呆気に取られていると、ブロックを模した石柱は、僅かに擦れる音を残しながら、ゆっくりと床に戻っていく。
「危なかったなロッド。もう少しで玉を潰される所だったぜ」
にやつきながらモガールが言う。
「ちょっと、モガール!」
デリカシーに欠ける言葉に、イゾルテが眉を潜める。
「あぁ。モガールの言う通りだ」
肩をすくめると、タレットに向き直る。
「どうやら、君の事を随分と見くびっていたようだ。君が協力してくれれば、このダンジョンを攻略する事も夢ではないのかもしれないな」
率直に、ロッドは言った。
ダンジョンの危険は二つある。
一つは罠、もう一つは番人である魔物の類だ。
後者なら、普段からよく相手をしている。
自分は勿論、モガールやイゾルテも、戦闘力なら結構な物だ。
一方で、罠に関しては、素人という程酷くはないが、それでも、こんな仕掛けを見せつけられたら、無力な赤子と変わらない。
恐らく、タレットがいなければ、一層すら攻略出来なかったろう。
逆に言えば、戦闘にだけ集中出来るのなら、自分達にも望みはありそうだ。
「そんな、このくらい、全然大した事ないですよ!」
タレットは真っ赤になって否定するが。
「その大した事のない罠を、私達は誰一人気づけなかった」
「そうよ。あたしなんか、言われたって分からなかったし」
「頼りにしてるぜ! ダンジョンマスターのお弟子さんよぉ!」
口々に言うと、タレットの顔から、卑屈さや自信のなさが、洗い流されるように消えていく。それらは元々、本来の彼女の姿ではないのだろう。きっと、この一か月の間に、心無い親族達から受けた数々の辱めによって植え付けられたものに違いない。
まだ、完全にとは言えないが、それでも、彼女は自分を取り戻しつつあるようだった。
「……そう、ですね。もしも、誰かがこのダンジョンを攻略するのなら。それはわたしでありたいと……。恐れ多いですが、思います」
ロッドは微笑むと、握りこぶしを少女の前に突き出した。
「頼りにしている」
一瞬呆けると、タレットはその意味を理解し、ぎこちなく握った拳を重ねて答えた。
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