第2話 ダンジョンマスターの弟子
「おいロッド。こんな噂を知ってるか」
しばらく経ったある日の事。
ゴロツキ亭の指定席で遅い昼食を食べていると、愉快そうにモガールが聞いてきた。
「どんな噂だ」
「ドミナスの隠しダンジョンだ。遺産の中にダンジョンがあって、そいつを攻略した奴は真の遺産を手に入れられる。ドミナスの親族が金に物を言わせて腕利きの冒険者を雇ってるって話だ」
皮付きの塩漬けブタの煮込みを平らげると、ロッドは脂で艶っぽくなった唇を拭った。
「噂好きのお前にしては耳が遅いな。とっくに廃れた噂だ」
ロッドの言葉に、モガールは悔しそうに舌打ちを鳴らした。
「仕方ねぇだろ。隊商の護衛で遠くに行ってたんだ」
「なっちゃいないな。ドミナスの遺産争いに一枚噛んで、利子をつけて借金を返してくれるんじゃなかったか」
「俺だってそうしたかったが、なんせ相手は昔からのお得意様だ。義理を欠いちゃ冒険者はやっていけねぇ」
悪びれるでもなくモガールは言う。ロッドも、本気で借金を催促しているわけではない。
「で、ドミナスの隠しダンジョンはどうなったんだ」
改めて、モガールが尋ねる。
「さぁな。一時は随分流行ったが、いつの間にか聞かなくなった。宝などなかったか、そもそもガセだったんだろう」
「ガセって事はねぇだろ。俺はドミナスの親族に雇われてダンジョンに潜ったって奴にこの話を聞いたんだぜ」
「そんな奴なら俺も会った」
「ほれみろ! やっぱりガセじゃねぇ」
「会って話を聞いたからガセだと思ったんだ」
そう言うと、ロッドはジョッキの酒を飲み干した。
「そいつが言ってたよ。入る度に形が変わるとか、ダンジョンの中に町があるとか、世界中の魔物が尽きる事なく湧いて出るとか。まるで御伽噺だ」
「分からないぜ! なんてったって、相手はあのダンジョンマスターだ!」
「そうとも。ドミナスはダンジョンマスターで、神様じゃない。そんな夢みたいな話、あるわけがない」
「は! 夢のねぇ野郎だぜ」
「結構。なんにせよ、そいつはもう昔話だ。いつまでも終った夢の話をしていると、夢魔に魅入られるぞ」
モガールはなにかを言い返そうとして、思い返して肩をすくめた。
「違いねぇ。けど、残念だぜ。もし本当なら、俺も潜ってみたかった」
「それについては同意しよう」
そこでふと、ロッドは一人の少女がこちらに近づいて来る事に気づいた。
「……あの。ロッドさん、ですよね」
見た目は十代の半ばぐらいに見えた。背は小さく、地味な身なりと顔立ちをした、大人しそうな娘である。
会話に割って入った事を気にしているのだろう。伏し目がちに、少女はモガールの顔色を伺った。
「客らしいな」
それだけ言うと、モガールは席を外した。
「……ごめんなさい。邪魔するつもりはなかったんです」
申し訳なさそうに少女が言う。
「ただの世間話だ。気にする事はない。ロッドは私だが、なにか用かね」
見るからに幸の薄そうな小娘である。
なんとなく、ロッドは訳ありの気配を感じた。
「その……。冒険者を雇いたくて。ロッドさんは、ドミナス=ウォールウォーカーという人をご存じですか?」
「有名なダンジョン建築家だ。それがどうしたね」
「わたしと一緒に、ドミナス様のダンジョンに潜ってくれる人を探しているんです」
忘れかけた夢が現実となって、ロッドは一瞬言葉に詰まった。
「……確認したいんだが、それはドミナスの遺産という事で間違いないか」
「はい。巷では、ドミナスの隠しダンジョンと呼ばれていると聞いています」
「なら君は、ドミナスの親族という事か」
まさか、今更になって親族の遺産争いに巻き込まれる事になるとは。
そう思って尋ねたのだが、予想に反し、少女は首を横に振った。
「……いえ。私は……ドミナス様の家族ではありません」
答える少女は、どこか辛く、寂し気だ。
「……すみません。先に名乗るべきでした。私はタレット=メイズと言います。ドミナス様の弟子だったと言えば、伝わるでしょうか」
「あぁ。その辺りの事は新聞で読んだ。しかしドミナスは、君に遺産を残さなかったと記憶しているが」
「……はい」
彼女自身、それに関しては思う事があるのだろう。複雑な表情で頷くと、言葉を繋いだ。
「昨日まではそうでした」
「昨日までは?」
「はい。ドミナス様の隠しダンジョンに関しては、親族の中で、最初に踏破した人が相続する事になっていました。ただ、これには期限があって、三十日の間に攻略出来なかった場合、わたしが相続する事になっていたんです」
「なるほど。その期限が昨日までだったと」
「はい」
ふと気になって、ロッドは尋ねた。
「ドミナスの隠しダンジョンについては一時、冒険者の間でも噂になっていた。私自身、親族に雇われてダンジョンに潜ったという奴と話した事がある。だが、最近はさっぱりそんな話も聞かなくなった。昨日が期限なら、おかしな話だと思うのだが、心当たりはあるかね」
「それは多分、親族の方々が途中で攻略を諦めたからだと思います」
「……なるほど。それで噂が途絶えたのか。だが、そうだとすると、相当な難易度のダンジョンという事になる」
「ドミナス様の遺作ですから。きっと、今までで最高のダンジョンなのだと思います」
「なぜ私なんだ」
ロッドは尋ねた。
「私はそれなりに腕の立つ冒険者だ。だが、ダンジョン探索の専門家というわけじゃない。それどころか、得意というわけでもない。ドミナスの隠しダンジョンを攻略するのに、わざわざ指名を受けるような立場ではないと思うが」
冒険者の中には、金さえ貰えれば事情などどうでもいいという者もいるが、ロッドは違った。冒険者は、自分の身は自分で守らなければいけない。事情を知らないせいで、気づかない内に悪事の片棒を担がされる事だってある。彼女はそんな風には見えないが、怪しいと感じた事ははっきりさせておいた方がいい。
「それは、その……。店主さんに依頼のお話をしたら、冒険者を雇うにはお金が足りないと言われて……。どうにかならないか相談したら、ロッドさんを紹介されたんです……」
視線を逸らすと、タレットはいかにも申し訳なさそうに言うのだった。
「…………なるほど。少し待ってくれ。君を誤解させた馬鹿者に文句を言ってくる」
立ち上がると、ロッドはカウンターの向こうでフライパンを振るう太鼓腹の店主の元へと向かった。
「ジャンベル! 忘れているようだから言っておくが、私は冒険者だ! 慈善家じゃあない!」
積まれた皿が揺れる程強くカウンターを叩いても、太鼓腹の店主、ジャンベル=クレッシェンドは涼しい顔をしていた。
「そう怒るな。わしだって、お前さんの事を慈善家だと思った事はない。お人よしの甘ちゃんだとは思ってるがな!」
愉快そうに笑うと、ジャンベルはニンニクの効いたパスタに秘伝のソースを振りかける。
「いいだろう。あんたには世話になったが、この店に顔を出すのも、今日で最後だ」
「まぁ待てロッド。お前さんだって、ドミナスの遺産の記事を見た時は、可哀想な弟子の嬢ちゃんに同情してたじゃないか」
「それとこれとは話が別だ!」
「わしはそうは思わんな。もしわしがあの嬢ちゃんを門前払いにして、後でお前さんがその事を知ったら、お前さんはわしを責めただろう。だから紹介したんだ」
「よしてくれ。確かに私はお人よしかもしれないが、見ず知らずの小娘の為に骨を折ってやる程じゃあない!」
「そうかそうか。だったら、ガキの小遣いみたいな小銭を握って冒険者を雇いに来た世間知らずの嬢ちゃんにそう言ってやんな」
「ジャンベル! 確かにあの子は可哀想だと思う。だが、私になにが出来る!? ドミナスの遺産を相続した親族とやらが、金に物を言わせてダンジョン攻略を得意としている冒険者を片っ端から送り込んで手も足も出なかったんだぞ!」
「そうとも。わしだってお前さんがドミナスの隠しダンジョンを攻略出来るなんて思っとりゃせん。この街の冒険者を全員当たったって、そんな奴が見つかるか怪しい所だ。それでも、出来る事はあるかもしれん。とにかく、話くらい聞いてやれ。どの道お前さんはあの子を見捨てられはせんよ」
「……この貸しは高くつくぞ」
言葉に詰まり、ロッドは言った。
悔しいが、ジャンベルの言う通りである。
「待たせた。話の続きだが――」
「ごめんなさい。迷惑でしたよね……。冒険者を雇うのに、そんなにお金がかかるなんてわたし、知らなくて……」
ロッドの言葉を遮って、タレットは言った。幼さの残る目元には、薄く涙が光っている。
「ドミナス様のダンジョンの事は諦めます。ご迷惑をおかけしました……」
「待ちたまえ」
立ち上がったタレットをロッドは引き留めた。
「でも」
「迷惑と言うのなら、今更席を立たれる方が迷惑だ。店の連中も聞き耳を立てている。ここで君に帰られたら、私はいい笑い者だ」
呆けた顔をすると、タレットは辺りを見回した。興味津々こちらを横目で見ていた冒険者達が、一斉にそっぽを向く。
そんな様子に困惑しながら、タレットはおずおずと椅子に座り直した。
「ありがとうございます。ロッドさんは優しいんですね」
「よしてくれ。この界隈じゃ、マヌケと言われているのと同じだ」
溜息と共に額を揉む。こんな事は一度や二度ではない。断り切れない自分にも非はあるのだが。
「それに、勘違いしないでくれ。私はまだ、君の依頼を受けると決めたわけじゃない」
ロッドの言葉に、野次馬の冒険者達がブーイングを飛ばす。
ロッドは空になった木のジョッキを掴み、野次馬の一人に投げつけた。ジョッキは野次馬の脳天を直撃し、それを見ていた野次馬達は慌てて口を告ぐんだ。
咳ばらいをして仕切り直す。
「出来る範囲で力になろう。私自身、ドミナスの隠しダンジョンには興味がある。一度や二度なら、タダで潜ってもいい。そう考える者は、探せば他にもいるかもしれない。必要なら、知り合いを当たってもいい。だが、君がダンジョンの踏破を目的としているのなら、力にはなれない。お互いに時間の無駄だ」
ロッドの言葉に、少女はぽろぽろと涙を零した。
それを見て、冒険者達が次々に囃し立てる。
「あーあー! ロッドの奴が嬢ちゃんを泣かせちまったぜ!」
「いーけないんだーいけないんだー! フゴッ!?」
手元の食器をぶつけて黙らせると、ロッドは困った様子で言う。
「泣くんじゃない! 君の為を思って言ってるんだ!」
「……わかってます。だから、嬉しくて……。ドミナス様が亡くなってから、良い事なんか一つもなかったから……」
ぐすぐすと鼻を鳴らす少女を困り果てて眺めていると、顔見知りの女冒険者がそれとなくロッドにハンカチを握らせた。ロッドは女に礼を言うと、ハンカチを少女に差し出した。
「使うといい」
「ありがどうごだいばず!」
タレットは詰まったラッパのような音を立てて盛大に鼻をかんだ。持ち主の女冒険者が目を丸くするのを見て、ロッドは弁償を覚悟した。
「ドミナス様が最後に遺した、とっておきのダンジョンです。わたしも、踏破出来るとは思っていません」
落ち着くと、改めてタレットが言う。
「なら、なぜ潜る。危険以外に得られる物は何もないぞ」
既に親族達が何度も冒険者を送り込んでいる。自分達が潜れる範囲は、何も残ってはいまい。
「見てみたいんです。一人のダンジョン建築家として。ドミナス様のただ一人の弟子として。ドミナス様が最後に遺したダンジョンがどんな物か。それに……」
「……それに?」
タレットの詰まった言葉の先を、ロッドが促す。
「なぜ、こんな風にダンジョンを遺したのか、その事になにか意味はあるのか。わたしの事を、どんな風に思っていたのか……。もしかしたら、分かるかもしれないって。だから……」
少女の澄んだ瞳に涙が滲み、ぽつりぽつりと、傷だらけのテーブルを叩いた。
「充分だ」
ロッドは言った。
「その依頼、私が引き受けよう」
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