第5話

 ゴウという名前に嫉妬したままの一晩はとても苦しかった。何度溜め息を吐いた所で胸はざわざわと苦しいまま。

 どうすれば僕の方を振り向いてくれるだろう。

いや、五年も待ってるくらいだから望みは薄いのかもしれない。


「はあ」


 僕の恋はいつだって苦しい事ばかりで叶わない。

 だけどこの恋ばかりはどうにか手に入れたい。

月見里さんの隣にいるのは僕でいたい。


「はあ〜〜、どうすればいいんだ」


 今彼女はこんなにも近く、手に届く距離にいるというのに……。心の距離だけはどうあがいても近付く事はないのだろうか。

 嘘の関係を本物の関係にしたい。

 恋人ごっこではなく、恋人同士になりたい。

 彼女に触れたい、手に入れたい。

 でも彼女は好きな男をずっと待っている。ああ、僕はどうすればいいのだろうか。それに答えの出ないまま夜が明けた。



 縁結びの神社に行きたいという友梨に対して何故か月見里さんは行くのを渋っている。


「友梨が行きたいなら行けばいいじゃん」


 言ったあとで、今の言い方は悪かったと思ったのだが悪い言葉は止まらない。


「元彼との縁を願えばいいじゃん」


 そんな事言っておいてなんだけど、願わないよ、って言って欲しかっただけなんだ。元彼なんて待ってないよって。

 だけど月見里さんは言ってくれない。僕なんかに言う訳ないか――と卑屈になっていく。

 だからお守りを買うってなった時、元彼との縁を願っている月見里さんに選んでもらいたくなくて、友梨に「僕のも選んで」と言ってしまっていた。

 違う。……本当は月見里さんに僕のを選んで欲しいと思っていた。想いと言葉が逆になって出てくる。


 神社を後に石段を下りる時も、湊くんが友梨に手を差し伸べたのを見て羨ましいと思った。

 僕だって月見里さんに手を差し伸べてあげたい。

 素直にそうするべきだったんだ。だからこれは僕のせい。ごめんなさい月見里さん。

 貴女に怪我をさせたのは僕が素直にならなかったせいなんだ。僕が素直に手を差し伸べてさえいれば、貴女は石段を滑り落ちたりなんてしなかったのに。

 ごめんなさい。

 だから今度は素直になるよ。



 八月。

 最初の日曜は友梨と湊くんがアメリカに行く日。


『その日、見送りに空港まで行きませんか?』


 僕がそう言うと月見里さんは嬉しそうに笑ってくれた。


『じゃあ月見里さん家の最寄り駅まで迎えに行きますから』


 きっと恋人ごっこはこれが最後だろう。友梨と湊くんの前で演じ終えれば嘘の関係は解消されてしまう。

 だから決めた。素直になる。素直にぶつかってみようと。

 見送りが終わったら、月見里さんと食事に行こう。そこで告白するんだ。

 貴女が好きです――と伝える。恋人ごっこの嘘の彼女じゃなくて、僕の本当の彼女になってください。そう想いを伝えよう。

 それなら、どこの店がいいだろうか。あまり肩肘張ってなくて、でも雰囲気がよくて、お洒落な店……。

 ああ、そうだ。あそこがいいんじゃないかな。

電話して、予約して……、それだけで胸がいっぱいになる。

 怖いし、緊張するけど、でも彼女を想ってする事に不思議と満たされるような気持ちになる。

 あの魔法の手のように心地よく温かいぬくもりが胸の中を満たしていた。

 月見里さん、貴女を手に入れたいという欲望は日増しに大きくなります。五年待っても帰って来ない想い人の事なんて忘れるくらい僕が幸せにしてみせるから、だから、どうか振り向いて欲しい。

 そんな想いを胸に抱いて、彼女を迎えに行くべく僕は自宅を出た。



 だけど、なんで?

 よりによってこのタイミング……。


 やっぱり僕の恋はどうしたって叶わないのだと思い知らされた。


「やめてよ、ゴウ。ここは日本なんだから」


 抱き合う二人。


「ごめんって、こんな所で彩葉に会えて嬉しくて、つい……」


 ゴウと言う名前はやはり元彼の名前だった。


「良かったですね、恋人が戻ってきてくれて。僕は邪魔みたいなので帰ります」


 つんと鼻の奥が痛くなる。こんな所で涙なんて見せれる訳ない。瞬きをしながら後ろを向く。

 悔しい。

 僕たちの嘘の関係が解消した途端、それを待っていたとばかりに登場する元恋人。そんなものに僕が勝てる訳がない。

 僕と月見里さんを繋ぐものは、他になかっただろうかと考える。友梨もいない今、残っているのは仕事上の付き合いだけ。そうか、仕事かと切なくなる。


 だが僕を呼ぶ愛しい声が聞こえて慌てて涙を拭った。


「待って、待ってよ、松岡くん」

「なんで? 彼はどうしたんですか?」

「ああ、いいの、いいの。……それより」


 いいの、なんて言われたら僕は期待してしまう。だって月見里さんの綺麗な瞳が僕を映しているから。


「あのね」


 そう言いながら月見里さんは鞄の中から何かを出して僕に渡そうとする。


「これ、もらってくれる?」


 だけどそれには見覚えがあって……。


「は? これ、だって結城さん」

「そうなの。結城さんのい――」


 血の気が引いて、体温が下がる感覚。そして結城さんの手作りクッキーをここで渡される意味を瞬時に理解した。


「何考えてんのか分かんない!!」


 あの蕎麦屋でも『結城さんとお似合い』『付き合えばいいのに』と言ったのは月見里さんだった。

 そうなのか。月見里さんはずっとずっと結城さんの恋を応援していて、僕の事なんて全然何とも思ってなかったと言う事だ。


「意味分からない。は、嫌がらせかよ」


 頭の中がぐちゃぐちゃだ。元恋人が現れたよりタチが悪い。


「そうだよな、友梨も行ったし、もうフリなんてする必要ないし。……そうかよ……」


 一緒にいて楽しかったと思っていたのは僕だけ。月見里さんはずっと無理して付き合ってくれていただけ。

 もう終わりだ。

 望みなんて、これっぽっちもなかった。最初からどこにもなかったんだ。




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