第3話

 どちら様? という松岡くんの訝し気な視線を余所に、その人は私の前までやって来ると私の名前を呼びながら、抱き着いてきた。


「彩葉〜〜〜、ひっさしぶり!」

「えっ、なんで? って言うか離してっ」


 松岡くんの前で抱き締めたりしないでよ嫌だな、と感じてその人の逞しい腕を叩く。


「悪い、悪い。つい向こうのノリでさ」


 挨拶みたいなもんだよ――と軽く言ってのける。


「やめてよゴウ。ここは日本なんだから」

「ごめんって。こんな所で彩葉に会えて嬉しくて、つい……」


 満面の笑みを浮かべるゴウに対して、松岡くんの雰囲気が冷めている事に気付く。


「あ、松岡くんごめんね、この人は」

「良かったですね、恋人が戻ってきてくれて。僕は邪魔みたいなので帰ります」


 え!? ――と驚く私を置いて松岡くんは一人踵を返す。

 私、ゴウを元カレだって紹介したっけ? なんで分かったんだろう、と考えている内に松岡くんがどんどん離れていく。


「あいつ誰?」


 誰かなんてゴウには関係ないと思う一方で、会社の後輩、と答えていた。


「じゃあ仕事中? いや、違うか?」


 私の格好を上から下まで見たゴウが首を傾げる。だが私にはゴウに構う時間はない。早く松岡くんを追い掛けないと見えなくなってしまう。


「あのゴウ、会えて嬉しいんだけど今日はちょっと……。私、カレを追い掛けなきゃ」

「え、彩葉?」

「ごめん、ゴウ。また会えたらその時に!」


 言いながら私は足を動かす。ゴウに再開しても恋は再燃しようとしない。それどころか松岡くんの後ろ姿を見失うと思っただけで胸がぎゅっと痛み始めた。


「待って、待ってよ、松岡くん」


 人の間を縫いながら松岡くんの背中を追い掛け、走ってやっと追い付いた。


「なんで? 彼はどうしたんですか?」

「ああ、いいの、いいの。……それより」


 松岡くんの目を見上げるとしっかりと視線がまじわる。あのね、と言って私は鞄の中からラッピングしたクッキーを松岡くんの前に出した。


「これ、もらってくれる?」

「は? これ、だって結城さん」

「そうなの。結城さんのい――」


 家で一緒に作ったの、と言う言葉は口に出す前に松岡くんの鋭い声に遮られた。


「何考えてんのか分かんない」


眉を釣り上げた松岡くんが私の手ごとクッキーを押す。そのままクッキーは私の手と胸の間で嫌な音を立てた。


「意味分かんない。は、嫌がらせかよ」

「違っ」

「そうだよな、友梨も行ったし。もうフリなんてする必要ないし。……そうかよ……」


 待って、と伸ばす手は松岡くんに届かなくて、松岡くんは立ち尽くす私を置いて去ってしまった。膝が震える。


 違う? 

 ……違わない。確かに嫌がらせだ。愛情の押し売りは受け入れられない、って言ってたのに。

 少しは信頼されてるなんてどうして思えたのだろう。私が馬鹿だった。どうしてクッキーなんて作ろうと思ったんだろう。

 クッキーが一番の最難関なのに……。

 克服どころか、更に苦手にしてしまったんじゃないだろうか……。

 そう、後悔が後から後から押し寄せてくる。


「彩葉?」


 追い掛けてきたのだろうか、ゴウが私の横に立って肩を抱く。






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