1.春ですが恋は始まりません 第一話
私――
そんな優しい彼が私は大好きだった。
きっと五年くらい一生懸命働いて結婚資金を貯めたら結婚するだろうと、ハッピーな未来をいつも想像していた。
社会人一年目の私が仕事を覚え、ようやく失敗も減って仕事が楽しいと思い始めた矢先、彼は新年度から海外赴任となると言う。
彼も付いて来て欲しいとは言わないし、私も付いて行きたいとは言えなかった。
彼が海外に行くと同時に私たちの関係も終わりを迎えた。
お互い好きな気持ちのままに別れた。私はそんな好きの気持ちを他へ向ける事も出来ず、持て余し……。
それから五年。
結婚資金にはならない貯金だけが虚しく貯まっていた。
恋ともご縁がないまま私は今日も家と会社の往復に勤しむ。
春、と言っても朝夕の寒さは未だ残るが木々には春色の芽吹きが感じられる、そんな三月末日のこと。
子ども向けの木製玩具を取り扱う会社であるここは『ムクモク』。木のぬくもりで笑顔を――というコンセプトのもと木製おもちゃ作家である社長が興した小さな会社だ。
その会社の狭いフロアの一画で、私はせっせと手を動かしていた。
年度末の処理や決算をあらかた終わらせた私は荷物や書類がわんさか置かれた右隣の席を綺麗に片付ける。ここは四月から来る新入社員のデスクとなる予定。
どんな子が来るかは名前くらいは教えて貰っているけど、仲良く出来ればいいなあと今からウキウキする。
この時期もしかしたら私は毎年ウキウキしているかもしれない。
昨年だって――と考えながら、ちょうど一年前に入社した目の前の男の子を見る。
片付けている席の向かいに座る営業の
私がそうやって見ていたからだろうか、松岡くんがパソコンから視線を上げたのでばっちり目が合ってしまう。仕事の邪魔をしてしまったなと申し訳なく思っていると、
「あの、お手伝いしましょうか?」
「いいよ、いいよ、私
「でも、そのファイル重いですし、僕が片付けてきますよ」
そんなそんな申し訳ない――なんて思っている内に松岡くんは立ち上がって分厚いファイルを三つ重ねて後ろにある書類棚のそれぞれの場所に返してくれる。
私も残る一つを手に松岡くんの隣に並ぶと、松岡くんは私の手にあるファイルを取って上段に収めてくれた。
「ありがとう、助かった!」
そう言って頭一つ分高い位置にある松岡くんの顔を見上げて微笑むと、松岡くんも爽やかな笑顔で、「いいえ、このくらい任せてください」と言いデスクに戻って行く。
新人、なんて思っていたけどいつの間にか頼り甲斐のある子に育ってくれているのが嬉しい――と、どこか親目線な感じでその背を見ていた。
仕事終わり、同期で総務部主任の
自然な優しさをコンセプトに地場野菜を使うメニューに惚れた私達は毎週金曜日はみやびの日、と決めて一週間の仕事疲れを労い合うのだけど今日はいつもの金曜とは違ってちょっと特別な日。
「お誕生日おめでとう〜」
「ありがとう!」
三月三十一日の今日、陽菜は二十八回目の誕生日を迎えた。
「陽菜ちゃんおめでとう。これは店からお祝いのワインだよ」
そう言ってテーブルにワインを持って来たのは、オレンジ掛かった明るい髪色をした【キッチン みやび】の店長、
「雅さん、ありがとう〜!」
にこにこと人受けのいい笑顔を浮かべる雅くんからワインを受け取り、二人で乾杯をする。
「あー、二十八歳かあ〜。
「分かる! そうなんだよねぇ」
「よし、今年は仕事ばっかじゃなくて絶対彼氏作る! そして三十歳で結婚……したいなあ〜」
陽菜の言葉にうんうんと頷いて共感する。
私も仕事が楽しくて忙しくて恋愛はご無沙汰だった。
だけど、陽菜には三十歳になるまでの猶予があと二年あるのに対して、私はあと一年と二ヶ月。六月には二十九歳になってしまうと考えれば、三十歳なんてあっと言う間に迎えそうな気がしてきた。
「やばいな」
「うん、私たちヤバイよ。
しっかりと頷き返してワインをごくっと飲み干す。
明日から新年度。心新たにスタートさせるには丁度良いかもしれない。
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