第309話 紡ぐ命

「とにかく俺は<ヴィシュヌ>戦を想定した訓練をする必要があるな。でも、その前に……」


 皆に囲まれ質問を受けているシェリンドンのもとへ向かう。

 フレイが教えてくれた情報の出所が何処かは知らないがシェリンドンが俺を怒っているという事実には心当たりがある。

 先の戦闘開始前にシェリンドンが教えてくれた。彼女のお腹には俺の……。本来なら戦闘が終わって真っ先に彼女の所へ行くべきだった。


 けれどシリウスの件があって俺は部屋に閉じこもっていた。

 あの時は混乱していていっぱいいっぱいだったとは言え、シェリンドンにして見れば自分とお腹の子をないがしろにされたと思うだろう。

 謝って許されるかどうか分からないが、誠心誠意謝るしかない。

 

「シェリー、今話しても大丈夫かな?」


「どうしたの改まって? あ、そう言えばトイレ大丈夫? さっきはごめんなさい」


 あの時は少し怒っているみたいだったけど、ブリーフィング中や今の様子だと特に怒っている感じはないみたいだ。――しかし、それで良しとしていい問題ではない。


「うん、大丈夫。それよりも謝らせて貰ってもいいでしょうか?」


「……はい?」


 断りを入れると同時に土下座して額を床に擦りつける。シェリンドンの驚きの声や皆が動揺する声が聞こえるが、そんなのお構いなしに謝罪した。


「先の戦闘後にシェリーの所に行かなくてすみませんでした! こんな事をしても許して貰えるかどうか分からないけど、他にどうすれば良いのか分からなくて……本当にすみませんでした!!」


 俺なりに正直な気持ちで謝った。土下座し頭を下げた状態でいるので彼女がどんな顔をしているのかは分からない。

 謝罪してからどれくらい時間が経過したか分からない。数秒かそれとも数分経ったのか……緊張でその辺りの感覚が麻痺している。


「ハルト君、顔を上げて」


 恐る恐る顔を上げるとシェリンドンが微笑んでいた。怒っていないと思う、多分。


「私は別に怒っていないわ。シリウス君の件は私たちにとって驚く事だったし、特にあなたが落ち込んだり悩んだりするのは当然だもの。むしろ、あなたが辛い時に側にいてあげられなくてごめんなさい」


「そんな……君や皆がシステムTGのデータを解析して作戦まで考えてくれていたのに俺は自分の事ばっかりで……なっちゃいなかった。……ごめん」


 シェリンドンが優しすぎて涙が出そう。視界の隅では、ティリアリア、クリスティーナ、フレイアが気まずそうな顔をしていた。

 そう言えば彼女たちは、俺にアイアンクローと軽蔑の眼差しと独りで悶えるという行為を持って側に居てくれた。

 その原因を作ったのは俺自身なので仕方ないと言えば仕方ない。


 謝る俺を見ているシェリンドンの表情が少し寂しそうなものになる。


「でも……そうね。思い返せばやっぱり少し怒っていたかもしれないわ。我がままを言わせて貰えば、やっぱりあなたに会いたかった……。それに、せっかくブリーフィングで会えると思っていたのに皆と何やらイチャイチャしていたみたいだし……それでちょっと意地悪になっちゃった……」


「うぐ……!!」


 罪悪感の三文字が俺の心臓を貫く。客観的に見てみると本当に酷い事をしているな……。

 それに俺を見る周囲の目が痛い。軽蔑の眼差しをひしひしと感じる。ブリーフィング中に感じた羨望の眼差しが遠い過去のように感じる。


「でも、元気になったみたいで良かったわ。……ハルト君、お腹……触ってみる?」


「……え? いいの?」


「ふふ、当然でしょ。三ヶ月だからまだ目立った反応は無いけど、あなたに触って欲しいの。この子のパパに……」


 「パパ」と言われて不思議な感じがした。俺が人の親になるなんて実感が湧かない。でも……。

 頷くと近くにあった椅子を持ってきてシェリンドンに座って貰い、彼女のお腹に耳を当てた。


「あ……」


「……どう?」


 確かにそこに生命がいると感じた。温かい……まだ小さいけれど力強い命の火をしっかり感じた。――そして自然と涙が溢れてきた。


「うん……感じる。確かにここに……君のお腹の中に力強い命が……俺たちの子がいるよ……」


 まだ会うことが叶わない自分の子供の息吹を感じて愛おしい気持ちが強くなっていく。これが親になっていく過程なのかも知れない。


「……ハルト君、今度の戦いは皆が大変である事に変わらないけれど、先発部隊は援護も受けられないし、とても……危険なの……」


「……うん」


「だから……だから……皆に無責任だと思われるかも知れないけど……本当はあなたに先発部隊に参加して欲しくないの。でも、あなたが言ったように<ヴィシュヌ>と戦えるのは、多分あなただけ……それも分かるのよ……」


「……うん」


「だから……だから……お願い、生きて帰ってきて! 生きて帰ってきてくれたら、もう他に何もいらないから……生きて……帰って……いつか生まれるこの子をあなたに抱いてほしいの……」


 シェリンドンが震える声で俺を優しく抱きしめる。彼女のお腹に耳を当てたままの俺の頬に温かい雫が落ちてきた。


「約束するよ。必ず生きて帰ってくる。だから、シェリーは俺たちが帰ってくる場所で……<ニーズヘッグ>で待っていてくれ」


「……ええ! 待ってるから。ここであなたが帰ってくるのを待ってるから」


 シェリンドンにキスをして彼女の涙を拭き取ると徐々に笑顔が戻っていく。彼女のお腹に触れながら絶対に生きて帰ってくるという強い意志が俺の中に生まれた。

 

「さて、ハルトの順番は終わったみたいじゃの。――では次はわしの番じゃ」


 良い雰囲気に入り込んできたのはマドック爺さんだった。いつもどさくさに紛れてスケベな事をしようとする。

 今回も例に違わずやって来たが、しんみりした雰囲気を明るくしようとする爺さんの気遣いが感じられた。

 俺がシェリンドンの隣に移動すると、爺さんがいやらしい笑みを浮かべて近寄ってくる。


「それじゃ、わしもシェリーのお腹を触らせて貰ってもええかのう?」


 シェリンドンと目配せし俺が頷くと彼女も頷いた。言葉を交わさなくても今、彼女が何をやりたいのかが分かった。


「いいですよ。ただし、エッチな事をしたら本気で怒りますからね」


「いやー、やっぱりダメじゃったかー!」


 シェリンドンが返答したのとほぼ同時、マドック爺さんは笑うと回れ右してこの場から去ろうとする。二、三歩進むと立ち止まりこっちを振り返った。


「……今、何て?」


「ですからお腹を触っても良いですよ。変な所を触ったら怒りますけど」


 シェリンドンからまさかの了承が得られた爺さんは困惑し俺に助けてとアイコンタクトを送ってきた。本当に触って良いのか半信半疑の様子だ。

 俺が笑っているとシェリンドンが再びマドック爺さんに説明した。


「ご自分の孫なのですから当然の権利でしょう?」


「わしの……孫? いや、シェリー何を言うて――」


「マドック爺さんは俺の保護者みたいなもんなんだから、今シェリーのお腹の中にいるのは爺さんの孫って事だよ」


 俺の素直な気持ちを伝えると困惑していた爺さんの顔がくしゃくしゃに歪み始める。目を潤ませゆっくり歩いてくると膝を突いてシェリーのお腹に耳を当てた。


「どうですか、お義父さん?」


「うん……うん……分かる、分かるぞ。温かい……新しい命の温かさを感じる。老い先短いわしにとってこんなに嬉しい事はもう起こらんじゃろう。それくらい、とても幸福じゃ」


 爺さんの目から止めどなく涙があふれ出ていた。愛おしそうにシェリンドンのお腹に手と耳を当ててお腹の子の存在を感じていた。

 シェリンドンは爺さんの髪をそっと撫でて言った。


「長生きして下さい、お義父さん。あの人の分もシオンを可愛がって下さった様に、今度もこの子の成長をお爺ちゃんとして見守って下さい」


「うん……そうじゃな。長生きせんとな……ありがとう、シェリー。ありがとう、ハルト……」


 以前シェリンドンとシオンの三人で話し合ったのだが、二人は今後もエメラルドの姓を名乗る事を希望していた。

 それはマドック爺さんを思っての事だった。息子さんを無くした爺さんの家族はシェリンドンとシオンだけ。

 二人がエメラルドを名乗らなくなってしまったら爺さんが独りになってしまう。そう思ったのだろう。

 二人の考えに俺も賛同し今後もエメラルドを名乗って欲しいと希望した。マドック爺さんは俺が転生者だと打ち明けた最初の人物であり全幅の信頼を置いている。

 何よりこの世界では天涯孤独の俺にとって祖父であり父であり友人だと思える人だ。シェリンドンとシオンを通して俺も爺さんとも家族でいられる。――それが嬉しいと思えた。

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