第194話 愛の奇跡

 その時、ティリアリアの精神は<オーベロン>の中で暗い闇に飲まれまいと必死にもがいていた。

 <オーベロン>と竜機兵チームの戦いでティリアリアに向けられた声は彼女に確かに届いていた。

 しかし今のティリアリアには自分の存在を維持するのが精一杯であり、意識を取り戻すのは不可能に近い状況であった。


(皆が……ハルトが必死に私を呼んでる……でも……まぶたが重い……身体が動かない……寒い……怖いよ……ハルト……会いたいよ……)


 寒く暗い底なし沼の中を永遠に沈んでいくような感覚。何も感じない孤独の恐怖と独りで戦ってきた彼女に限界が訪れようとしていた。

 

(もうこれ以上自分を保っていられない……クリス……フレイア……お母さま……お父さま……お爺さま……ハルト……助……けて……)


 彼女の精神が闇の中に飲み込まれようとしていた時にそれは聞こえてきた。


(ティリアリア……目を開けて……自分をしっかり保ちなさい……)


(大丈夫……私たちが一緒にいる……勇気を出して目を開けてごらん)


 その声にティリアリアは聞き覚えがあった。それは物心ついた時から毎日のように聞いていた両親の声であった。


(この声は……お母さま……それにお父さま……)


 かつて彼女を抱きしめてくれた両親の温もりを感じティリアリアの目から涙がこぼれていく。

 暗闇の寒さで凍えていた彼女の心に熱が戻っていき、今度は別の男性の声が聞こえてきた。

 

(さあ、もう大丈夫だ。我々が傍にいるよ……ティリアリア……)


 彼女の頭をそっと撫でながら聞こえて来たその声は厳格さと優しさを感じさせるものであった。

 その声とこの手の感触をティリアリアはよく覚えていた。


(この声と手は……お爺さま……)


 鉛のように重い瞼を必死の思いで少しずつ開けていく。今、目を開ければ家族の姿を見られるかもしれないという希望が弱っていた彼女に力を与えていく。

 ティリアリアが全身の力を振り絞り瞼を持ち上げるとそこには花畑が広がっていた。

 見渡す限り地平線の向こうまで無限に広がる花園の中、彼女の目の前に三人の男女の姿があった。

 その三人を見たティリアリアの目から大粒の涙がこぼれていく。そこにいたのは彼女の祖父クラウス、母セレスティア、父カーティスであった。

 ティリアリアを残し亡くなった家族との再会に彼女の心は切なさと喜びでいっぱいになる。

 泣きじゃくるティリアリアを優しく抱きしめたのは母セレスティアであった。


「大きくなったわね、ティリアリア。でも泣き虫なのは相変わらずみたい」


「お、お母さま……ああ……うわあああん……!!」


 涙を流しむせび泣くティリアリアの目元をハンカチで優しく拭いながらセレスティアは少し困ったような笑顔で娘を見る。

 ティリアリアがそんな母親の顔をまじまじと眺めているとカーティスとクラウスが傍まで来て穏やかな眼差しを向けていた。


「よく頑張ったね、ティリアリア。さすがお父さんの自慢の娘だ。本当に立派に育ってくれた」


「お父さま……」


 カーティスに頭を撫でられティリアリアは目を腫らしながらも父の姿をしっかりと視界に収める。

 父にこのように頭を撫でられるのが好きだったと彼女は当時を思い出していた。

 二人に続いてティリアリアの目の前に来たのは祖父のクラウスであった。彼は手をティリアリアの両肩において申し訳なさそうな表情を見せる。


「すまなかったな、ティリアリア。私はお前に酷いことをしてしまった。私が造った<オーベロン>がお前を不幸にしてしまった。……本当にすまない」


「お爺さまが造った……?」


「うむ。そもそもは王都に危機が訪れた際に皆を守れるようにと開発したものだったのだが、心無い者たちの手でその使命は歪められた。結果、お前に辛い思いをさせてしまった」


「あのような装機兵を造れるなんて、お爺さまはいったい――?」


 ティリアリアの問いにどのように答えようかと逡巡し真剣な眼差しを孫娘に向ける。


「私が何者なのかについては間もなく知ることになるだろう。ティリアリア、今お前がしなければならないのはここから出て仲間の所へ戻ることだ。――ほら、お前を呼ぶ声が聞こえるだろう?」


『ティアーーーーーーー!! 聞こえてるか……いや、例え聞こえていなかったとしても今だからこそ言うよ……戦いの中で俺が挫けそうな時、逃げ出したくて堪らない時、そんな時はいつもお前が俺の背中を支えてくれたんだ。お前がいてくれたから俺は今まで戦ってこれたんだよ。お前がいてくれなくちゃ俺はしゃんと立つことも出来ない。だから……頼むから声を聞かせてくれよ。俺のところに帰って来て、これからも俺の傍にいてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!』


 それはハルト・シュガーバインという男のなりふり構わない心の奥底からの叫びだった。その声は確かにティリアリア・グランバッハという少女の魂に届いていた。

 その結果――。


「はわ……はわわわわわわわわわわわわわわ!!」


 ティリアリアは顔を真っ赤にしながら気恥ずかしさで声にならない声を上げていた。心が熱暴走を起こし目も熱くなって涙が溢れてくる。

 オーバーヒートを起こすティリアリアを三人は温かい目で見守っていた。

 家族の視線に気が付いたティリアリアは、羞恥心のあまり上ずった声で弁明をしようとするが、家族の温かさを感じて敢えてそれはしなかった。

 代わりに会話を切り出したのは母のセレスティアだ。


「ふふ……あれだけあなたの事を大切に想ってくれている人がいるのなら心配はなさそうね。ティリアリア、あなたも彼に負けないくらいの愛情を彼に注いであげなさい。母さんから最後にあなたに伝えられることはそれぐらいかしらね」


 ティリアリアをそっと抱きしめながら、そう伝える母の姿が段々と透明になっていく。それを見て別れの時が近いのだと彼女は理解した。

 母と同様に父と祖父の姿も半透明になっていた。二人もまた穏やかな顔でティリアリアを見つめている。


「私は悪い男に気をつけろと言おうと思っていたんだけどね、あれだけの事を言う男性ならきっと大丈夫だろう。――君の幸せだけを祈っているよ、ティリアリア」


「ティリアリア……これからお前はグランバッハの血を受け継ぐ者として様々な困難に直面するだろう。そのような過酷な運命を背負わせてしまったことを本当に申し訳ないと思っている。けれど、お前の周りには頼もしい者たちが沢山いるようだ。――彼らと共に歩みなさい。そして、もしも……いや、やめておこう。これは私の我儘だからね」


「お爺さま?」


 少しだけ寂しそうな表情をするクラウスを不思議に思う中、花畑に強風が吹き花びらが舞い上がる。

 家族がティリアリアの後ろの方を指さすと、そこには<サイフィード>に似た白い装機兵が立っていた。

 その巨人は片膝をついて手をティリアリアへ向けて地面に置くと動きを止める。


「迎えが来たようだね。ティリアリア、私たちはずっとお前を見守っている。愛しているよ」

 

 母と父と祖父と抱擁を交わすとティリアリアは白い巨人の手に乗り彼等に振り向いた。


「お母さま、お父さま、お爺さま! 私を育ててくれて……愛してくれて……ありがとうございました。私はハルトや皆と一緒にこれからも頑張ります! だから……見守っていてください。私も……愛しています……もう会えなくても……ずっと……!!」


 家族に見守られながら白い装機兵はゆっくり浮上を開始する。どんどん小さくなっていく彼らをティリアリアは最後まで見つめていた。

 そして花が嵐のように舞い散る中、ティリアリアは徐々に意識が遠のいていくのを感じた。

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