第162話 ノルドとシャイーナ
――時を同じくして『アルヴィス城』では、クリスティーナが機体を城に隣接させて建物の中に入っていた。
「さっきのエーテル通信はお父様の執務室からしか出来なかったはず。……お父様、無事でいてください」
クリスティーナが執務室のある通路を走って進んで行くと、その先に見知った人物が立っていた。その二人を見てクリスティーナの顔が笑顔になる。
「お母様、お兄様。良かった、無事だったのですね!」
そこにいたのは王妃のシャイーナ・エイル・アルヴィスと王太子のクレイン・フォン・アルヴィスであった。
「クリス、あなたどうしてここに。戦闘はどうしたのですか!?」
「ハルトさんがお父様たちを助けに行くようにと送り出してくれたのです。それにしても無事でよかった。お父様やティリアリアたちはどうしたのですか?」
クリスティーナの兄であるクレインは難しい顔を見せながらクリスティーナに当時の状況説明を始めた。
「敵の奇襲が始まってからすぐに『第一ドグマ』へ向かおうとしたんだが、避難の第一陣が通っていた時に爆発が起きて通路が崩落した。それによって何人もが瓦礫の下敷きになってしまった。被害を免れた者たちは城外にある特別通路を使用して『第一ドグマ』へと向かったんだ。ティリアリアたちも最後まで残って避難を手伝ってくれていたんだが、ジュダス・ノイエ大臣が先導してくれるということで彼と一緒に避難したはずだ。私たちはここの設備で兵士たちに撤退命令を出していたんだが――」
ここまで話を聞いてクリスティーナは父親の姿が見えないことに嫌な予感を感じていた。
「お兄様、お父様は何処にいらっしゃるのですか!? 早く逃げないと危険です」
「――その声はクリスかい? 無事のようだな。良かったよ」
執務室からノルドの声が聞こえて来る。クリスティーナはドアに駆け寄った。
「お父様、この中にいらっしゃるのですね。今開けますから待っていてください!」
ドアを開けようとドアノブに手を伸ばそうとするがクレインがそれを制止した。
「そこに触れては駄目だ!」
「何故ですか。早くお父様を出して差し上げないと!」
「出せるものなら私がとっくに出している!」
ハッとしたクリスティーナが兄の手を見ると掌は焼け焦げ血が滴り落ちていた。シャイーナも同様にいつもは手入れが行き届いている美しい手が、今や傷だらけでそこから出血している。
よく見ると執務室のドアには血痕がいくつも付着している。ティリアリアが来るまでに二人が必死に開けようとした痕跡が生々しく残っていた。
「ああ……そんな……そんなぁ……!」
震える声でクリスティーナは現状を嘆いた。この一枚のドアをどうすることも出来ない自分の非力さを呪うしかなかったのである。
「っ! そうですわ。<アクアヴェイル>ならこのドア一枚ぐらい……」
「――止めておきなさい」
クリスティーナの案をすぐに止めたのはドアの向こうにいるノルドだった。
「こんな所まで<アクアヴェイル>を進ませれば城全体が倒壊するだろう。そんなことになればどのような結果になるか。分かるね、クリス?」
いつもより弱々しい声のノルドに諭されてクリスティーナは母と兄を見る。二人は顔を俯かせ何も言えなかった。
「いいかいクリス、よく聞いてくれ。間もなく『第一ドグマ』への全ての隔壁は閉じられ完全に行き来が出来なくなる。お前はシャイーナとクレインを<ニーズヘッグ>まで避難させてくれ。今頃シェリンドンたちが発進させているはずだ。――これはお前にしか出来ない。頼んだよ」
「そんな……! それでしたらお父様も一緒に連れて行きます。だから、諦めないでください!!」
「――どのみち私はもう助からん。間もなくここは崩れるだろう。一刻の猶予もない。お前たちは早く<アクアヴェイル>へ急ぐんだ。ここに留まり続ければ、お前たちまで巻き込まれてしまう。――シャイーナ、二人を連れて行ってくれ」
「――分かったわ、ノルド。クレイン、クリス……行きますよ」
シャイーナは傷だらけの手でクリスティーナをドア付近から引き剥がし機体の所までの案内を促す。
父と母の確固たる意思を汲んだクレインは、クリスティーナの肩に手を置き顔を横に振った。
「お母さまとお兄様は、こんな所にお父様を一人置いて行けと言うのですか!? だって、まだ話をしているんですよ。生きているんです。それなのに……それなのに……こんな……!」
パァァァァァァァァァン!!
乾いた音が響く。それはシャイーナがクリスティーナの頬に平手打ちをした音であった。
シャイーナは怒りの形相で娘を睨んでいた。
「あなたはノルドの意思を無視するというのですか! よく聞きなさい、クリス。私たちは何としても生き延びなければなりません。この王都を取り戻すために、例え泥を
「――分かりました、母上。さあクリス、<アクアヴェイル>の所まで案内してくれ」
クレインはさめざめと泣く妹の両肩に手を置いて水の竜機兵へ向けて歩き出す。シャイーナは扉の真正面に立って夫との最後の会話を交わしていた。
「すまなかったね、シャイーナ。憎まれ役をさせてしまって」
「別に気にしていないわよ。それにあなたに迷惑を掛けられるのなんて、子供の頃からでしょ」
「ははは……違いない。ごはっ、ごほっ」
二人の間を阻む扉の向こうから火が燃える音と何かが崩れる音が聞こえ、ノルドの声も段々弱々しく苦しそうになっていく。
シャイーナとノルドはそんなことを気にせず、最後の逢瀬を少しでも長く共有したいと思っていた。
「クレインにクリス……癖は強くなってしまったが、本当に良い子に育ってくれた。君の教育のおかげだ。思い返せば俺の人生も君と出会ってから始まったような気がする。カーティスと一緒にグランバッハ家に遊びに行っていた頃が懐かしいよ。楽しかったなぁ……」
「あの二人の男の子が遊びに来るのを私もお姉さまも毎日楽しみにしていたわ。まさか、その内の一人が王族で自分が王妃になるなんて夢にも思っていなかったけどね」
扉の僅かな隙間から出て来る煙の量が増えていく。それに伴いノルドの声も細々としたものになっていった。
「ここまで……のようだな。君も早くクレインたちの所へ行ってくれ。――愛しているよ、シャイーナ」
「私もよ、ノルド。あの頃も、今も、そしてこれからも……あなただけを愛しているわ。――それじゃ、またね」
「ああ、またな」
それは子供の頃一緒に遊んでいた頃に交わしていた別れの言葉だった。一晩だけの別れと明日また会おうという意味を込めた約束の言葉。
その思いと希望を込めた言葉を最後にノルドのいる執務室から何かが崩れる轟音が響いて来た。
「ノルド? ノル――」
夫の名を言うも反応は無かった。
シャイーナは唇を噛むと
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