第14話 棺桶を運ぶわよ

 緑の中に土の丘が出来た。倉庫に眠っていたスコップで掘り返した穴だ。

 ミイラを土に埋めた簡易な墓に、スカーレットとミーシャは手を合わせていた。


(何の意味があるんだ)


 不可解なものを見る目でアシュレイは一連の動作を見守る。


 アシュレイは全てが理解できなかった。

 人間に溶け込むと決めて以来、習慣を取り入れる努力はしてきたが、真似ることは簡単でも、理解することは難しい。頭に放り込むまではできるが、咀嚼ができないといったところか。


 『死』とは魂――人間の精気――が朽ちることを指す。

 いくら体が傷つこうとも魔法で蘇生は可能だが、魂が朽ち果てれば絶対的な死が訪れる。


 魔物は嗜好品として人間を精気を食らう。先のコウモリが吸血を通して精気を食らったように、だ。

 生まれも育ちも魔界のアシュレイにとって、魔物が人間に食われるとは、人間が豚を食らうと同義。特異な出自のせいか、人間の魂に興味を惹かれることはないが、尊ぶ価値を抱くこともない。


 生産性のない習慣――死者を弔う――を理解できない原因は、種族間の絶対的な壁トラディションの違いだった。


(人間の風習は非合理的だな)


 ようやくスカーレットは顔をあげた。


「さて、あとは棺桶をシェルジンの教会に運びましょうか」


 あわせた手のひらを分離させると、ロープで縛られた男と五つの棺桶を見下ろした。地面に並んだ不要物を全てシェルジンに運び込むつもりらしい。


(どうして助けるんだ――?)


 薬草問題に加担している『悪党』は、スカーレットの障害だと判断した。だから、コウモリもろとも殺した。

 棺桶になった後、誰にも見つからずに倉庫で転がり続けようが、どうだっていい。アシュレイには関係のない話だ。尋問する一人だけを運べば、最も効率的と言えるだろう。


「聞いてる?」


 深紅の瞳に覗き込まれて、アシュレイは顔をあげた。

 純粋な疑問は発露できなかった。意志の強い瞳に避難の色が混ざるのは嫌だ。


 ――スカーレットの理想でいたい。スカーレットに嫌われたくない。


 全て同じ個体にしか見えない人間の中で、スカーレットだけは別だった。

 距離を置かれると不安になる。怖がらせたくない。アシュレイだけを見て欲しい。


 子供のような純粋な感情だった。特定の愛着を持たないアシュレイにとって、唯一で最大の感情。


 その黒い感情に飲まれないよう蓋をする。

 隙を見せようものなら、アシュレイの中に棲む悪魔に足元を救われる。アシュレイが堕ちてくるのを手招く声が響いた。


「俺が全部運ぶよ」


 思考を振り払い短く答えると、スカーレットは少し申し訳なさそうな顔をして、「ありがと」と呟く。

 ミーシャと肩を並べて歩き始めたスカーレットを目で追った。


「また怖がらせちゃったかな」


 アシュレイ自身への苛立ちが混ざった吐息が風に溶ける。闇夜の帳にどろりとした魔力の気配が混ざった。





 倉庫から数キロ離れた木立の一本。太い枝の上に影は立っていた。


「勇者と次期魔王ねぇ。珍しい組み合わせ」


 劇詩の感想を述べるように、弧を描いた口からは愉悦が漏れた。


 二つの瞳孔は、墓の前で手を合わせる三人を捉えている。

 眷属の視界を共有する能力スキルは、見えるはずのない三人を鑑賞していた。


 彼の眷属――コウモリは茂みの中から、夜目を光らせている。五十メートルほど近づいても気付く様子はない。


 彼が森に赴いたのは、眷属が殺されたからだ。

 眷属を掻き消した魔力に混じる邪悪な気配。同類の『それ』を感じて物見遊山にやってきたが、収穫は予想以上だった。


「これだから人間で遊ぶのはやめられない」


 コソコソ嗅ぎまわっている騎士を餌にしたら、特上の獲物が食いついた。

 勇者と魔王の息子が一緒に旅をしているなんて、誰が予想できただろうか。


 人間嫌いの魔王が大スキャンダルを聞いたら、どんな反応をするだろうか――愉快痛快とばかりに彼は笑い転げる。


 せっかく握った弱みを無計画に放出するつもりはない。

 サイコロの目がどの数字を出しても、最高のエンターテインメントになる。そんなとびきりの人形遊びを邪魔されてたまるものか。


 五百年はゆうに生きた彼が、眷属を瞬殺されたのは二度目だった。憎き先代の勇者につけられた腹の傷が疼く。


「ああ、憎い。あの女の後継、どうしてやろうか」


 憎悪が微量の魔力を変動させた。

 コウモリの視点越しにアイスブルーの瞳がぶつかる。銀の髪が舞ったのを境に、視界が乱立した樹木に切り替わった。


「あーあ。死んじゃった」


 使い捨ての眷属が死んだところで、彼の心は動かない。面白い玩具が見つかったのだから、彼の気分は最高潮だった。

 風の追手が迫る前に、闇の中にずるりと沈んでいく。けたけたと軽薄な笑いだけが残った。

 




 

 茂みをギロリと睨みつけたアシュレイは、風を一閃薙ぎ払う。


「逃げた……か」


 風は魔力の残滓を掴む。コウモリと同じ残り香と同じものだった。

 禍々しい魔力がこびりついている。高等の魔族、もしくは魔族よりも高位の存在。


 本体には早々に撒かれてしまったようだ。手ぶらで帰ってきた精霊たちに礼を告げる。


(上級の魔族が王都の近くに根を張っている……?)


 虚空を見つめるアシュレイを、心配する声が反響する。


「アシュレイく~ん! 大丈夫?」


 二人は感知していなかったようだ。足を止めたアシュレイを訝しげに見つめている。


「カッコつけないで、重いなら言いなさいよ」


 駆け寄ってきたスカーレットの頓珍漢な気遣いに、アシュレイは頬を緩ませた。

 気絶した男を担ぐと、棺桶に繋がる鎖を掴んだ。金属の冷たさが手のひらに食い込む。


「少しぼうっとしてただけだから」


 アシュレイは何事もなかったように笑顔を張り付け、二人に歩を合わせる。もちろん周囲への警戒も怠らずに――


「帰りましょ。さすがにこたえたわ」

「町につくまでにまた魔物に襲われたらやだな~」


 すでに襲撃を受けていたことは胸の内に留め、アシュレイは夜露で湿った草を踏みしめた。

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