第10話 依頼を取り下げなさいよ

「だーかーらー」


 カウンターに店中の視線が集まる。

 熱弁を奮うスカーレットは視線に気づいておらず、ヴィルに詰め寄り鼓膜を割る勢いで声をあげた。


「ゴブリンたちは無害なの! 討伐対象から外して!!」

「そんな大声あげんでも聞こえてるから」


 言わずもがな難航する交渉は、話し合いの粋を越えて『脅し』に片足を突っ込んでいる。スカーレットが勇者でなければ、ギルドを敵に回していただろう。


「いきなりそんなこと言われてもなあ」


 取り囲む視線の全てに、不審と疑心が籠っている。

 ――教会で異端審問にかけるか、騎士団に引き渡すか――これ以上押し問答が続いた場合の対処を小声で相談していたが、沸騰したやかんのように息を荒くしたスカーレットの耳には入っていないようだ。


 周囲の状況を冷静に確認したヴィルは嘆息した。

 短い交流を通して、スカーレットが悪い人間ではないと知っている。そして損得勘定を抜きに感情で動くことも把握していた。

 素面で魔物の味方をしているスカーレットを、教会や騎士団に売り渡すような真似は不本意だ。


「魔族の討伐依頼を引き下げるわけにいかんだろ、なあ」


 当惑したヴィルは語尾をアシュレイに向けた。救難信号を受け取ったアシュレイは、我関せずとばかりにカウンター端でコーヒーを啜る。


 ヴィルが勇者の仲間アシュレイに抱く評価は――良くも悪くも冷静沈着、かつ不人情――だ。様々な境遇を得て、他人を信用できなくなった冒険者は少なくない。


 現実的かつ冷静に物事を見れる人物と評価していたからこそ、アシュレイに助け舟を求めた。

 しかし、更新された評価は――スカーレットには頭が上がらない――だった。

 ヴィルはこれを恋愛感情だと直感した。冒険者のパーティー内で、だ。不必要な感情とは言わないが、判断を鈍らせる要因となり、教会に走り込む者は少なくない。


 アシュレイの正体を知らずに推理できる満点の回答。

 誤算だったのは恋愛感情の有無を取り除いたとしても、アシュレイはスカーレットだけの協力者奴隷であり、主人スカーレットが絶対であるアシュレイが、ただの人間ヴィルに助け舟を出す可能性は一パーセントも存在しない点だ。


「ちょっと冷静になれ。一回落ち着こう」


 ヴィルは助けを求める選択をすぐに諦めた。元冒険者ならではの判断力の速さで、スカーレットの説得に戻る。


「魔物の討伐依頼を取り下げるって意味がわかってるのか」


 人生経験も死線を潜り抜けた数も、圧倒的にヴィルの方が多い。低い声に込められた圧力プレッシャーに、スカーレットは押し黙る他なかった。


「魔物は人間を簡単に騙す。スカーレットはまだ魔物ってものが、どれだけ凶悪な存在かわかっていないんだ」

「……でも」


 スカーレットはアシュレイを盗み見た。真横に座っている『魔族の王子』の顔色を窺っていることなど、露とも知らないヴィルは嘆息を漏らす。

 よそ見している――と認識したヴィルは苛立ちを覚えた。


 魔物討伐に半生を費やしてきた歴戦の冒険者から見れば、小娘が常軌を逸した発言をしていることも、親切心からの助言に上の空の態度を取っていることも『舐めている』としか言いようがない。

 それでも声を荒げないのは、ヴィルが精神的に成熟した大人だったからだ。


「誰のために勇者になったんだ。平和に暮らす人を守るためじゃないのか」

「――っ!」


 十日足らずで失いかけていた覚悟をヴィルが問うと、スカーレットは顔を歪めた。


「魔物の討伐依頼を取り消して、シェルジンの罪なき人が襲われないと断言できるか?」

「それは……ないです…………」


 当然の詰問だった。項垂れたスカーレットに、とどめの一言を突き付ける。


「勇者は人間の味方だろうが。何のために勇者になったのか、今一度思い出しな」


 ヴィルは情の厚さを人間に向けて欲しいとかけた言葉だが、スカーレットは勇者としての矜持を折られた。

 ゴブリンへの義理も果たせなかったスカーレットは、何も言い返せないままギルドを立ち去るしかできなかった。





 肩を落としたスカーレットは表通りをとぼとぼ歩く。アシュレイが慰めをかけることもなく、無言の帰路を辿っていた。


「私どうしたらいいの」


 長い沈黙の果て、救いを求めるような呟きだった。喧騒の行き交う通りで小さな声は埋もれることなく、アシュレイの耳に届く。


「スカーレットの思う通りにすればいいと思うよ」


 残酷な返事だった。迷える子羊を導く気など全くない。

 アシュレイはスカーレットに決断の全てを委ね、道を示すことはしない。スカーレットの障害を取り除き、達成のための助言をするのみだ。


(こういう時くらい相談に乗ってくれたっていいじゃない)


 迷子のようにフラフラと歩く背中に、愛嬌のある丸い声が刺さった。


「スカーレット――!!」


 スカーレットの視界が真っ暗になる。背後の人物が目隠ししているのは間違いなかった。


「だーれだっ」


 鎧の硬い感触から兵士、スカーレットより低い身長から女性とわかる。そんな考察をしなくても、スカーレットは声だけで正体がわかった。


「……ミーシャ」

「あったり~」


 軽快な回答と共に、目隠しが解かれる。振り向くと親友――ミーシャ・シルビアが八重歯を見せて笑っていた。

 薄桃の髪をツインテールに結び、可憐さを絵に描いたようなあどけない雰囲気をしている。容貌と厳めしい甲冑のギャップが目に馴染まない。


 士官学校の数少ない『同姓の同期』だ。入学時に十人ほどいた女子は、一人また一人と減っていき、卒業時には三人しか残っていなかった。過酷な修行を乗り越えた友。自然と親友と呼べる仲になっていた。


「なんか元気なくない?」

「そんなことないわよ」


 同時期に卒業したミーシャは、順当に騎士団の入団を選んだ。準備の兼ね合いでスカーレットより先に巣立ったこともあり、実に二か月ぶりの再会。本来なら躍り上がって再会を喜んだだろう。


 しかし、今のスカーレットが手放しに喜べるわけがない。


「久しぶりにアフタヌーンティー……には遅いかぁ。夕食でも一緒に食べましょ」


 スカーレットの異変にいち早く気づいたのは、さすが親友と言える。

 ミーシャ自身も新天地で悩むことが多かった。勇者として独り歩きを始めたスカーレットにも、悩みがあるのではないか。何か力になれないか――と、彼女なりの気遣いからでた誘いだった。


 スカーレットはアシュレイに首を向ける。アシュレイの存在にようやく気づいたのだろう。品定めする視線を受けて、ミーシャは小さく会釈する。


「もしかして、スカーレットの仲間パーティーの方ですか? よかったらお兄さんも一緒に、ね?」


 ミーシャは二人の腕を掴むと、細腕に見合わぬ怪力で二人を引っ張る――否、引きずった。


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