第9話 種を撒かなきゃいけないのよ

 町のはずれにある薬草畑は悲惨な状態だった。緑は全て引き抜かれ、禿げた地表が見えている。

 惨状を目の当たりにしたスカーレットは、思わず息を呑んだ。


「本当にここなのよね……?」


 迷子になっていないか。もしくは宿の主人が場所を間違えたのか――二つの意味を込めた問いかけだ。


「スカーレットならわかるだろ」


 アシュレイは断定的に答えた。

 薬草の栽培に最適な、日光の当たる涼しい環境。手入れが行き届いておらず固く踏みしめられているが、地面に敷かれた土は培養土だ。

 幼い頃から畑仕事を手伝っていたスカーレットが気づかないはずがない。


 最初から不思議な話ではあった。成長が著しい薬草が不足していること自体がおかしい。

 伝聞した情報を、当然のように違和感なく受け入れていたスカーレットは、やっとことの重大さに気づいたようだ。比喩表現と捉えたとしても、『一本も生えていない』は予想を大きく外れている。


「俺が土を耕すから、スカーレットは肥料を撒いてくれる?」


 スカーレットに肥料の入ったバケツを手渡すと、アシュレイは鍬を持ちあげた。


「ゴブリンたち本当に親切ね」


 半日かけて二人がバケツ一杯分作ったのは、細かく砕いた野犬の骨と灰、家畜の飼料を混ぜたゴブリン直伝の特製ブレンドだった。育成スピードに特化しており、簡易な薬草なら一日で生える肥料だと説明を受けている。


「自分たちの領域テリトリーを、図々しい人間に踏み荒らされるのが不快なんだよ」

「受けた親切を水に流すようなこと言わないの」


 救いようのない理想家ロマンチストであるスカーレットは、不義理な発言にすぐさま噛みついた。


 実際、集落の長の胸の内は五分五分だろう――スカーレットへの恩義半分、自らの保身半分と言ったところだ。前者のうち二割は『勇者と敵対するリスクヘッジ』も含まれている。

 人間に対して友好的だが、献身的ではない。彼らがその一線を越えることはない。知能が低いとて、バカではないのだ。


 瀕死のスカーレットに薬草を分け与えた時から、アシュレイは独善的な思考の意図に気づいていた。

 スカーレットを救ったのは人間の報復を恐れただけ。おかげで勇者に加え自ら魔物の王族に恩を売れたのだから、質のいい薬草二つでぼろ儲けと思っているだろう。


 全ての意図を組んだ上で、アシュレイは『お願い』ではなく『取引』を持ちかけた。そして、互いの協力という『取引』が成立した以上、拭いようのない真実になった。


 と、全てを話したところでスカーレットが認めないのは想像に容易い。サルでもわかることに時間を割くつもりはなかった。

 もしくはスカーレットの性善思考を、アシュレイが好んでいたからかもしれない。


「そうだね」


 スカーレットの道義心を否定することなく、無難な短い四文字を返すと、アシュレイは鍬の先端を地面に食い込ませた。





 撒いた肥料を掘り返した土と混ぜ合わせる。整地した土に種を埋める。

 淡々とした作業を繰り返すこと、三時間――


 不意に視線をあげたスカーレットの目に、しゃがんで種を撒くアシュレイが映った。


 肌は雪のように白い。白銀の長髪を肩口で結わえるのは、彼の瞳と同じ薄いブルーの瞳。すらっとした長身に、宿の女将を虜にするほどの色男。首の不釣り合いな銀の首輪さえ、彼がつけるとアクセサリーに見える。

 服装が庶民的なことを除けば、貴族の青年と説明されても違和感がない。

 

 アシュレイが畑仕事をする様は、なんとも不釣り合いだった。

 種の入った瓶が半分をきった頃、スカーレットは手を止める。


「今更だと思うんだけど質問してもいい?」

「どうぞ」

「魔法使えば一瞬なんじゃないの?」


 アシュレイの魔力量は桁外れだ。

 魔力量とは――使役できる精霊の数や強制力の強さに関係する。魔力量が多ければ多いほど、事象への干渉が可能だ。


 スカーレットは全てを把握していないが――少なくともアシュレイは風の精霊と契約している。彼なら風魔法ひとつで、十メートル四方の土地を掘り返すくらいは造作もない。


 アシュレイはタオルで汗を拭い、スカーレットの質問に答えた。


「魔法ばかり使っていたら、精霊たちに呆れられてしまうよ」


 精霊はあくまで中立の立場だ。

 彼らは人間や魔族という種族に縛られず、契約したものに力を貸す。魔力と引き換えに『自然そのもの』の力を借りて、ありえない事象を起こす。これが魔法だ。


「調理する時に使ってたじゃない」

をつけての出力調整を兼ねていたから」


 アシュレイは首輪を指さした。

 魔力制御装置をつけた状態で魔法を使うことはできない。それは魔力量が多い魔物であっても。

 それほどの制限がかけられていても魔法が使えるのは特異だ。調整をかける程度には魔力を放出可能ともなると――常識の範疇を越えている。


「ここぞという時だけ頼むことにしてるんだ」

「ないものねだりかもしれないけど、勿体ない気がする」


 やっと精霊と契約を交わしたばかりのスカーレットには、実感のわかない話だった。


「万能の力じゃないからね。精霊との信頼関係が全てだよ」

「そういうものなのかしら」

「じきにわかるさ」


 不器用なスカーレットの魔法は、『零か十』しかコントロールできない力だ。理解できる日が来るとは思えなかった。不確かな力を頼るよりも、鍛えた剣の腕が何倍も信じられる。


 何より炎魔法は攻撃に特化しすぎている。風のように日常生活を含めて応用が利く魔法ではない。少なくとも薬草栽培には全く役に立たない。


「誰に見られているかわからない場所で、魔族ですってアピールするわけにいかないでしょ」

「ちゃっかりしてるんだか、なんなんだか」


 これが一番の理由なのだろう。アシュレイの朗らかな笑顔はいっそ清々しい。


(私にだって正体隠し続けてくれれば、気が楽だったのに)


 未だにアシュレイがスカーレットに正体を明かした理由はわからない。

 読めない思考に踊らされるよりは、騙され続ける生活の方が幾分か気が楽に思う。


「最後の仕上げ。お待ちかねの魔法の時間さ」


 アシュレイは最後の一粒を植えると、地面に手をついた。瞳を閉じると土、風、水、木、この場に集まるありとあらゆる全ての精霊を呼び寄せる。そして意思を持つひとつひとつに協力を願う。


「散々な言われようだな」


 開いた口が塞がらない。立ち上がったアシュレイの第一声そんな口調だった。

 精霊が何かに散々なことを言った。一体誰に――


「ご大層に解説してたけど、やっぱり嫌われてるんじゃない」


 スカーレットが思いついた人物は、目の前の青年――アシュレイだけだった。


「絶対誤解してるだろ」

「じゃあ誰に言うのよ」

「人間に」


 スカーレットは信じられないと眉を寄せる。が、アシュレイの言葉に噓偽りはない。


「ここに生えていた薬草は、人間が全部むしり取ったらしい」


 アシュレイに応えた精霊たちは、人間に対して呆れを通り越し怒りを抱くほどにやつれていた。悪魔に落ちそうなほどの恨み言を吐いて、アシュレイの元を去って行った。

 スカーレットが薬草畑を整えたおかげで、彼らが離反することはなかったが、時間の問題だろう。


「王都出身の冒険者がまず立ち寄る町だから、需要と供給が追い付いていないのね」

「だからって、生えたらすぐ抜き取って更地になるってるのが正常だと思うかい?」


 顎に手をあてて思慮に耽るアシュレイを横目に、半信半疑のスカーレットは片づけを始めた。

 つつがなく順調に進む作戦は、残りギルドに討伐の取り下げをお願いするだけでチェックメイトだった。

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