第8話 対策を考えなきゃいけないのよ

 花畑からほど近い場所に、ゴブリンの集落はあった。


 大きい家の周りを、五つの小屋がぐるりと囲んでいる。木を組んだ構造はファルミニア家のおんぼろ住居と変わらない見た目をしていた。

 人間の家と違う点を挙げるなら、屋根がアシュレイの身長と同じ高さであることだ。ゴブリンサイズで快適な家と言えるだろう。


 スカーレットは静閑な小景に足を踏み入れる。

 日常生活に支障が出る程度には、どこへ行く時もスカーレットの傍を離れないアシュレイの姿も隣にあった。


「ごめんくださ~い」


 集落の入口でスカーレットは声をあげた。


 しばらく様子をうかがっていると、小屋の扉や窓から緑の双眸が浮かび上がる。中央の扉が開くと、ゴブリンが顔を覗かせた。


「あなた……」


 あの日、スカーレットに花を差し出したゴブリンだった。

 駆け寄ってきたゴブリンは、スカーレットの細い腰に腕を回すと、掠れた鳴き声を零した。


 言葉の意味を理解することはできないが、スカーレットが生きている事実を噛みしめるようであり、スカーレットの邪魔になったことを謝罪するかのような声だった。

 小さな体を受け止めたスカーレットは、背中を優しく撫でる。


「あなたたちは私の命の恩人よ」


 目線をゴブリンにあわせたスカーレットは、ラッピングされたスコーンを取り出す。

 五回作り直した努力の結晶。コンクールに出せば佳作どころか、努力賞不可避の出来栄えだが、最初の黒い塊よりは進歩が見える。見た目も味も急成長した力作だ。


 紙袋は歪な形をしており、ラッピングのリボンもよれていて、何度も結び直したのがわかる。スカーレットの努力が余すことなく伝わるプレゼントだった。


「ちょっと不恰好だけれど、味はおいしくできたから」


 恥ずかしそうに告げたスカーレットから紙袋を受け取ったゴブリンは、壊れ物を扱うように優しく抱く。宝箱に封印してしまいそうな反応にスカーレットはうろたえた。


「ちゃんと食べるのよ。せっかく作ったんだから」


 スカーレットにしては珍しく、まごついた言い回しだった。せっかく作ったのに、食べてもらえなければ本末転倒――喜んでもらえるのは嬉しいが、それはそれで釈然としない。


 キュキュ


 ゴブリンは鳴き声をあげて、スカーレットの裾を引っ張った。出てきた扉を開くと、中を指さす。


「ついてきてって」

「ゴブリンたちの言葉がわかるの?」

「魔族の言語ならだいたいね」

(同じ魔物なんだし、そういうものなのかしら)


 いちいち突っ込んでいると話が進まない。胸中で無理矢理納得したスカーレットは屋敷に向かって歩を進める。


「勇者なのに魔物に歓迎されてるのって変な感じよね」

「スカーレットは命の恩人だから」


 アシュレイはかがみながら、戸口を潜る。スカーレットも後に続いた。

 天井の低い廊下は圧迫感がある。スカーレットの身長でぎりぎりの高さを、アシュレイが普通に歩けるわけもなく、腰を屈めてゆっくりと前を進んでいく。


「囲まれて、めった刺しにされる覚悟はしていたんだけど。恰好の餌いいカモの自覚はあるし」

「そんなことしようものなら――」

「それ以上言わないで」


 物々しい発言にも慣れたスカーレットは、アシュレイが言い切る前に一刀両断した。続きはおおかた予想がつく。

 アシュレイは小さなゴブリンの背中を追いかけながら言い放った。


「そもそもホブゴブリンは好戦的な性質じゃないよ」


 妖精に近い魔物。悪意を持ち人間を襲う――これは一般的なゴブリンの性質だ。

 一方、ホブゴブリンは人間に好意的な種族で、人間に近い温厚な性格を持つ。受けた恩は必ず返すと言われており、守護的な一面のある魔物だ。


「ゴブリンにも種類があるのね」

「人間から見れば魔族は魔族だからね」


 案内された部屋の中には、ローブを纏ったゴブリンが鎮座していた。

 促されるまま、二人は正面に腰を下ろす。


「殿下と勇者殿に会えて光栄です」


 スカーレットは目は丸くする。彼女が驚くのも無理はない。

 人型で知能の高いアシュレイのような魔族が人語を扱うのは理解できる。逆に言えば、知能の低い魔物が人語を介することはほぼないのだ。

 つまり、ゴブリンと会話ができること自体が稀――奇跡と言っても決しておおげさな表現ではない。


 二人の前で座るゴブリンは集落の長だった。

 二百年の歳月を生きている。長い生の中では人間と魔物が交流していた時代があり、儚く短い平和な時代を生きたゴブリンは人語が話せた。

 そんな背景を――対魔物の権化ともいえる士官学校の教官から――教わる機会を与えられなかったスカーレットが知すはずもない。


「急な来訪で、時間を取らせてすまない」

「うちの若い衆を助けていただいたようで。こちらからお礼に向かうべきところを、ご足労おかけしました」

「わざわざ危険を冒すわけにいかないだろう。こちらも用があったから、気にしないでくれ」


 威厳のある口調を用いるアシュレイの横顔を、スカーレットは呆けて見つめていた。


(冗談じゃなかったのね)


 半信半疑だった魔王の息子という言葉が、ここで確信に変わってしまった。自分でもわけのわからない寂しさが襲う。

 最初からアシュレイは『冗談』を言っている様子はなかった。おまけにアシュレイが『冗談』と言うのは、スカーレットの顔色を窺う時だけだ。


「春になりあの魔獣がこの森に居つくようになって、困っておったのです」

「ペットが牙を向いたって感じじゃなかったものな」


 アシュレイは皮肉気に吐き捨てると、話を切り替える。


「さて、本題に入ろうか。ギルドにゴブリンの討伐任務がでている」


 長は驚いた様子もなく、ゆっくりと頷いた。


「ええ、知っています。討伐目当ての冒険者が徘徊していますから。まだ集落の場所までは掴まれていませんが、時間の問題でしょう」

「私たちはギルドの依頼を取り下げさせたいの」


 スカーレットはきっぱりと言い切った。

 そのために知恵を借りたい。今日の集落を赴いたもう一つの理由は、これだった。


「てっとり早いのはギルドを壊滅させることだけど……」

「却下よ。却下」


 人間側に立たなければならないスカーレットは、できる最善手を講じるためにゴブリンたちの意見を伺いに来たはずだ。

 元も子も血も涙もないアシュレイの案を一蹴する。


「ゴブリンを見逃してもらうために、人間側に被害がでたら元も子もないじゃない」


 熟慮して言えと暗に含めた発言だが、典型的な発言でもある。


 スカーレットが逆の立場だった場合――ゴブリンの集落を壊滅させれば解決じゃない――と言い切ることはわかりきっていた。

 幸か不幸か、スカーレット本人に自覚はなく、それを言及する人物もこの場にはいない。


「根本的な問題の解決は必須だろうね。人間が薬を取りに来る限り衝突は避けられないし」


 シェルジンの薬草畑を豊作にする。アシュレイの提案は単純明快な策だ。

 一時的に薬草が不足しているのであれば、供給量を増やせばいい。薬草の栽培自体は簡単だ。種を撒くだけで天候に左右されず放置しても育つ。

 質が良いものを育てるにはもちろん丁寧な栽培が必要だが――それは後々の話だ。


「我々も全面的に協力させていただきます。やっと手に入った平穏な生活ですから」


 一拍置いて、アシュレイははっきりと告げた。


「ただ、ここを離れる覚悟はしておいた方がいい」


 色のない忠告だ。長は言葉を失う。

 沈黙を切ったのはスカーレットのあっけらかんとした声だった。


「大丈夫よ。絶対私がなんとかするわ!」


 スカーレット自身がゴブリンたちと交流を持ったからこそうやってきた自信だった。


「ゴブリンたちが人間を襲わないってわかれば、きっと解除してもらえるわ」


 スカーレットは迷いなく述べる。


 薬草の需要を確保して、彼らが脅威の対象ではないことを伝えれば、全てが解決する。

 希望的観測だ。


 ところが、本気で大真面目に平和ボケした思考のスカーレットは確信していた。全て丸く収まると。

 世間知らずだったと言っても過言ではない。鳥かご士官学校の外では魔族と人間の対立が、どれだけ根深いか。彼女はまだ知らなかったのだ――

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