第7話 お礼しなきゃいけないのよ

 腕を組んだスカーレットは、道具屋の店頭で品物を物色している。


 人間を善悪でわけた時、スカーレットは間違いなく善良の部類に入る人間だ。

 ファルミニア家の教訓と己の信念に基づいて、スカーレットは行動を決める。受けた恩義は返さなければならない。例え勇者としては、間違った判断だったとしても。


「何をお返ししたものか」


 彼女は命の恩人へ贈る『お礼の品』を探していた。


 売っているものは限られており、魔導書や装備品をゴブリンが使うとは思えない。

 鉱石は陳腐な鉄と銅のみ。その辺りの洞窟で取り放題の品が、スカーレットの命一つに見合うとは思えない。


 ゴブリンたちにとって――主君アシュレイ主人大切な人という贔屓目を抜いたとしても――スカーレットは命の恩人である。

 スカーレットに薬草を分け与えたことは、三匹の命に対する対価だ。

 一人と三匹、釣り合わない等価交換だった。


 彼らにこれ以上の見返りを求める意思はないだろうが、それでもスカーレットは彼らに感謝の意を示さなければ気が済まない。

 スカーレットにとって彼らを救ったことは当然で、感謝されるに足る行為ではないのだ。


 つくづく勇者に不向きな性格のスカーレットは、商品を手に取り棚に戻すを繰り返す。堂々巡りの相棒をアシュレイは愛おし気に見つめていた。

 その目障りな視線に気を散らされて、スカーレットは眉を寄せる。


「じっと見てないで、なんか意見があるなら言いなさいよ」

「かわいくて見惚れてた」


 恥ずかしげもなくキザなセリフを言ってのけるアシュレイを、スカーレットは呆れたように見返した。


「ふざけてないで、考えるの手伝いなさいよ」

「そうだな。スカーレットの好きなものをあげればいいんじゃない?」

「好きなもの……」


 スカーレットは自身の好物を思い出す。

 しっとりとした食感。ふんわりと香るバター。素朴な優しい味――


「スコーン食べるかしら」


 至極真面目な問いかけだった。


「スカーレットは魔族のこと誤解してるよね」


 アシュレイはスカーレットの抱く『魔族像』を想像して、小さく笑いを零す。


「魔族だって、人間と変わらない食事を取るよ。毎日見てるだろ」

「でも主食は人間なんじゃないの?」

「まあ、人間を食べる魔族もいるけど。肉を食べるとは限らないし……」


 生き血を食料とする吸血鬼ヴァンパイアや、生気を吸い取る夢魔インキュバスのことを指しているのだろう。


「でも、そんなの特例中の特例」

「アシュレイも?」

「ん~、食べられるなら食べたいけど」


 アシュレイは臆面もなく言い切った。スカーレットの背筋が凍る。


「冗談だよ」


 スカーレットの顔がこわばったのを見て、アシュレイは微笑を浮かべた。

 両腕をさすりながら、スカーレットはじりじりと距離を取る。


(あんたが言うと冗談に聞こえないのよ)


 沈黙に耐えかねたのはアシュレイだった。小さく咳払いを零し、話を戻す。


「スコーンいいんじゃないか。俺が作るよ」

「それじゃあ、アシュレイからのお礼になってしまうでしょ」


 やはりスコーンとスカーレットの命が釣り合うとは思えないが、手間の一つもかけなければ、スカーレットの気が収まらない。


 スカーレットは店主に声をかける。

 しかし、すぐに声を詰まらせて、アシュレイを手招きした。


「その……材料は…………」


 料理の『り』の字も知らないスカーレットが、自身の好物が何で出来ているのか知るわけもなく、おずおずとアシュレイを見上げる。


 助けを求める理由が何か、アシュレイが思い当たるまでに時間はかからなかった。

 早速、お願いを受け取ったアシュレイは店主に材料を淡々と伝える。過不足なく詰め込まれた紙袋をアシュレイが受け取ると、スカーレットは意気揚々と店を出た。


「腕によりをかけて作るんだから!」


 充分だ。


 嬉々として前を歩くスカーレットを眺めながら、アシュレイは思い出した。

 スカーレットが会得している料理スキルが壊滅的――卵焼きが八十パーセントの確率で焦げるレベル――ということを。





 スカーレットは戦闘より気合いを入れて、シャツの腕を捲る。


 母に『包丁を持ってはいけません』と一方的な約束を取り付けられて五年。温かな料理を作ってくれる母も、毎食スタミナ満点の料理を提供してくれる士官学校の食堂もない。

 これから冒険を続けるにあたって、アシュレイに頼り続けるわけにもいかないスカーレットが、自炊のスキルを磨くのは優先事項だ。


 スカーレットは宿のキッチンに向き合うと、小麦粉の袋を掴みあげた。


「小麦粉は――」


 アシュレイが口を挟むより先に、勢いよく傾けられた袋から小麦粉の塊が落下する。


 ぼふっ。


 間抜けな音を立てて、粉塵が爆発する。巻きあがった粉を思いっきり吸い込んだスカーレットは咳込んだ。

 涙を浮かべるスカーレットに、アシュレイは一足遅いアドバイスを伝える。


「ゆっくり入れてね」

「先に言いなさいよ」


 恨みがましい目つきすらも、嬉しそうに受け止めたアシュレイは卵を差し出す。


「これを割ればいいのね」

「違うボウルに――」


 アシュレイの見様見真似で、スカーレットは卵をボウルの端に叩きつける。

 その一撃は殻の耐久値を大幅に超えていた。間抜けな音を立てて、小麦粉の上に黄身白身、粉々の殻が落下する。


「…………」

「…………」


 スカーレットの目尻から涙がこぼれそうになっている。アシュレイは慌てて菜箸を取ると、殻を取り除いた。


「ほら、これで大丈夫だから。ね、泣かないで」

「………………泣いてない」


 長い間を置いたスカーレットは、生地をこねはじめる。

 最初こそ躊躇の色が見えていたが、こればかりは失敗のしようがない。慣れた頃には満足げに鼻歌が零れた。


「料理って楽しいわね」


 初めての料理――と言えるかは置いておいて――に熱中するスカーレットは、スコーンの種を並べていく。それをアシュレイは余熱をかけたオーブンに入れた。


(焼くだけなら魔法で一瞬なのに)


 スカーレットは独りごちたが、彼女が燃やそうものならスコーンどころか宿が全焼する。

 この短絡的思考が、救いようのない料理スキルに繋がっていると、彼女が気づくことはないだろう。


「二十分焼けば完成。楽しみだね」


 スカーレットはオーブンの窓を覗き込む。子供のようなスカーレットを、アシュレイは優しい目で見守っていた。


 長いようで短い二十分。


 取り出したスコーンは焦げていた。

 スカーレットの名誉のために正確に表現するならば、ほとんど焦げていて、焦げていないところがところどころある。


「……上手にできたと思ったのに」


 わかりやすく肩を落としたスカーレットは、地の底まで落ちそうな声で呟く。

 アシュレイはその黒い塊を掴むと、ためらうことなく口に放り込んだ。スカーレットは慌ててアシュレイの腕を掴んだ。


「ちょっとお腹壊すわよ」

「おいしいよ」


 スカーレットは手近なスコーンを一口かじる。

 広がったのは苦いパサパサの生地。毎朝食べているモノと同じ材料、手順で作ったのに、似ても似つかない物質だ。


「無理して食べなくていいわよ」

「スカーレットの愛情が込められているからおいしい」


 アシュレイはそう言って、スコーンを丸々食べきった。


「愛情なんかこもってないから、食べてもおいしくないわよ」


 照れ隠しを言い放って、スカーレットもスコーンをかじる。苦くて甘い味が広がった。

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