第6話 命を粗末にするんじゃないわよ

「――――――――」


 スカーレットはパチリと目を覚ました。

 氷のような瞳が覗き込んでいる。


(なんで嬉しそうなのよ)


 スカーレットが死ねば、不安の芽が摘み取れたも同然だ。何より契約も切れる。

 それが失敗して喜ぶのは異常だ。


 考えが丸ごと顔に出ていたスカーレットに、アシュレイは苦笑を返した。


「俺は教会に入れないから」


 魔族であるアシュレイは教会に近寄ることができない。

 つまりスカーレットが息を引き取り棺桶に入った場合、アシュレイに蘇生する術はない。と、言いたいのだろう。


「私を助けてくれたの?」

「君だって俺を助けただろ」

(それは魔族の王子なんて知らなかったからよ。知っていれば助けなかった…………たぶん)


 心の中で言い訳したスカーレットは、ほぼ意味をなさないほど薄い敷布団に手をついた。シェルジンの安宿に戻ってきたらしい。


「――っ、あの魔獣は!? まさか野放しになんてしてないでしょうね!!」


 弾けるように上体を起こし、アシュレイの肩をつかんだスカーレットは、勢いをそのままに問いただす。

 ゴブリンたちが花畑に残されているなら、助けに行かなければならない。


「ちゃんと倒したよ」


 アシュレイは金貨の入った麻袋をスカーレットの膝にのせた。


「ギルドへの報告も完了してる。気にせずゆっくり休んで」


 討伐の報酬金だろう。

 金貨三枚の依頼だったはずが、麻袋は思っていた倍の重量だ。持ち上げても、振っても重さが変わることはない。中身を確認すると、やはり金貨が六枚が入っていた。


「私は依頼を達成できていないわ」

「薬師見習いを襲ったのは魔獣だ。ってギルドには報告した」

「報告しただけで、報酬額が二倍にはならないでしょう」


 依頼の討伐対象はゴブリンだ。元凶が違ったからといって、依頼の達成にはならない。


「まさかゴブリンたちを――」

「大丈夫。生きてるよ」


 平然と返ってきた答えに、スカーレットは訝し気な視線を返す。その視線を躱してアシュレイは事もなげに話を続ける。


「証拠に魔獣が落とした爪を提示したら、買い取ってくれたんだよ。想定よりレベルの高い魔物が出現したから、お詫びも兼ねてるんじゃないかな」


 アシュレイは水差しから並々と水を注いで、グラスを差し出しす。スカーレットは素直に受け取った。

 一口、二口と流し込むと、乾いていた口内に水が染み渡る。気を失っている間に体力を回復されるよりも、生き返った実感が湧いた。


「じゃあゴブリンたちは森を追い出されなくて済むのね」

「それは人間次第だけど、彼らが薬草をわけてくれたおかげで、スカーレットが回復したわけだから、策を講じるくらいは――」


 グラスをサイドテーブルに置いたスカーレットは、嬉しさと情けなさを織り交ぜた表情を浮かべた。

 ゴブリンたちを倒さなくて済んだことは純粋に嬉しかったが、勇者としては彼らを討伐できなかったのは情けない。


 スカーレットの反応が思っていたものと違ったからだろうか。アシュレイの瞳から、慈悲の色がすっと消えた。


「もしかして、全滅させたほうが良かった?」

「……え?」

「それがスカーレットのためになるのなら、すぐに集落を消し炭にしてくるよ」


 穏やかな表情に見合わない殺気を滲み出したアシュレイは、キッチンへ向かうような軽い足取りで扉を目指す。


「しなくていいわよ!!」

「ほんとうに?」

「本当! ほんとのほんと!!」


 どこをどう受け取ったら、そんな不穏な思考に行きつくんだ。スカーレットは冷や汗をかきながら、首をこくこくと縦に振った。

 振り子のように動くスカーレットを見て、アシュレイは少し残念そうな声色で言う。


「ならいいんだけど」


 物騒なやりとり全てが幻聴だったのではないかと錯覚する笑顔を張り付けたアシュレイは、ベッドサイドに戻ってきた。


「そうだ、スカーレット」


 忘れものを思い出した気軽さで、アシュレイは呼びかけた。スカーレットが体を引きずると、背中が壁に当たる。


「はっ、はい」


 上擦った声で返事をすると、一回り大きな手がスカーレットの両手を包んだ。


「俺と一つ約束してほしい」


 真剣なアイスブルーの瞳に吸い込まれ、身動きができなくなる。

 暗示でも魅了チャームでもない――逆に魔法やステータスなら吹っ切れたのだが――不純物の一切ない瞳からは逃れられない。


「いついかなる時も、俺をそばに置いて欲しい」

「どういう意味?」

「君が俺に『ついて来るな』って命令しただろう。そのせいで、俺は君がピンチだってわかっても助けに行けなかった」

「命令……?」


 スカーレットは記憶を掘り起こす。言われてみれば、宿を飛び出す時に叫んだ気もした。命令といえば命令ではあるが、明確な意図を持って口にしたわけではないのだが。


「奴隷である以上、君の言葉は俺の行動を縛るんだ。それはわかるかい?」


 腑に落ちないスカーレットに、アシュレイは説明を続ける。


「例えば、スカーレットに命令する気がなかったとしても、俺に指示した言葉は俺を制限する命令になる」

「つまり、私が何の気なしに言った言葉も、アシュレイは従っちゃうってこと……?」

「気持ちの強さによって強制力は変わるから、何の気なしくらいなら大丈夫だけど。昨日くらい強い言葉になると、俺の意志に反して君に近づけなくなるかな」


 ペットを飼育するのとは比にならない重責が、スカーレットにのしかかった。


 奴隷にする気はなかった、では済まされない。例え仇敵の身内だとしても、文字通り『命』を握っているのだ。

 スカーレットが契約書を握っている間は、アシュレイに食われない――方程式がなければすぐにでも解放しただろう。

 軽率に奴隷契約を交わしてしまった過去の自分を恨んだ。


「君がギリギリのところで助けを求めてくれたから、何とか間に合ったけど」

「返す言葉もありません」


 アシュレイが嫌味なく、スカーレットの身を案じて発した言葉だとわかるからこそ、最適な返す言葉が見つからなかった。


(人間らしいところ、あるのかも)


 不貞腐れたようにむっとしたアシュレイに、親近感を覚えたスカーレットは、やっと肩の荷を下ろす。


「とにかく、これで少しは安心しただろう。俺が本当に危険だと思ったなら、一言『自害しろ』って言えばいいんだから」


 前言撤回だ。

 急投下された魔族思考爆弾にスカーレットは耳を疑う。


「は?」

「だから――」


 スカーレットの凍えた一文字に、さも当たり前だと言うように『言葉ひとつでアシュレイを殺せるメリット』が返ってきた。

 しかし、スカーレットの耳に入ったのは長ったらしいアシュレイのご講説ではなく、堪忍袋の緒が切れた音だ。


「自分の命を粗末にするんじゃないわよ!!」


 アシュレイが思わず耳を塞ぐ。が、スカーレットは耳を覆う両手を引きはがした。


 ――気持ちの強さによって強制力は変わる――


 アシュレイの説明通りならば、これ以上の強制力を持つ命令はないだろう。

 本心からの思いであり、強い説得。抗うことを許さない強い言霊が、アシュレイに刻まれる。


「あんたの命には、私の大事な20ゴールドがかかってんの! 安い命じゃないんだから、簡単に死ぬとか言うんじゃないわよ!!」


 スカーレットは息つく暇もなく捲し上げた。

 不俱戴天の相手に死ぬななんておかしなセリフだが、お人好しのスカーレットが命を粗末に扱う発言を見逃せるはずもない。


 怒気のこもったスカーレットの言葉に甘美な要素は一欠片もなかったが、アシュレイはうっとりとした表情を浮かべた。


「相変わらず、スカーレットは優しいな」

「~~~~~~~~~~」


 声にならない声をあげたスカーレットは、頭から布団を被る。頭を冷やすどころか、こもった熱が羞恥の温度を上げていった。


「やっ、優しくなんかないわよ。そんな勇者っぽくない倒し方じゃ気分悪いし。正々堂々強くなって倒してやるんだから。覚悟してなさいよ」

「うん。頑張ろうね」


 アシュレイは殺人(?)予告を受けたにも関わらず、声を弾ませる。

 大きな手のひらが、布団越しにスカーレットの頭を撫でた。


「でも俺は『命令』されなくたって、どんな『お願い』も聞くよ。だから、ちゃんと頼りにしてね」


 柔らかなテノールが紡ぐ言葉に、スカーレットは深いため息をつく。


(すごい流されちゃった感じがするけど、契約書があるうちはこれでいいんだわ。そう、私が強くなるまで利用するだけなんだから。だって、私は勇者だもん)


 甲羅のように閉じこもった布団が、しびれを切らしたアシュレイに引き剥がされるまで、まだ数十分が必要だった。

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