第3話 仕事を寄こしなさいよ

 ディレット王国の王都ミレアを出て、一番最初に着く町――シェルジン。

 町の中心部にシェルジンのギルドは建っている。ギルドは町の住民が持ち込んだ依頼を管理し、立ち寄った冒険者に紹介する施設だ。


 スカーレットは建てつけの悪い扉を開く。蝶番の軋んだ音が、スカーレットを出迎えた。

 木造の二階建ての店内はバーのような空間だ。テーブルが六席と立ち飲み用の樽が並び、バーカウンターには酒が並ぶ。


 カウンターの隣は壁一面が掲示板になっていた。初心者から中級者向けの依頼を記載したカードが、所狭しに貼り出されている。

 畑を荒らしている猪の駆除や、街道にスライムが出没しているから倒してほしいといった討伐、薬草や鉱石のおつかい依頼まで幅広い内容だ。


 テーブル席には冒険者たちが肩を並べ、次はどの町へ行くか相談している。スカーレットはその会話をうらやましげに聞いていた。


(――本当なら)


 隣に立っていたはずの人を思い出す。

 スカーレットがギルドに足を運んだのは四回。その内の二回はアシュレイとリハビリを目的に訪れた。

 キノコ採取の依頼を受注し、ピクニックがてら森を散策した日を思い出す。間違えて毒キノコを食べかけたスカーレットを、アシュレイが慌てて止める表情が懐かしい。


 ブルブルと頭を振って、頭の中からアシュレイを追い出す。彼のことは忘れると決めたのだ。どうせ彼が回復すれば、自由にしてあげるつもりだったのだ。最悪の別れにはなってしまったが結果に変わりはない。

 スカーレットは拳を握りしめながら、カウンターに腰かけた。


「勇者ちゃんじゃねえか」


 カウンターに立ったギルドマスター――ヴィルは白い歯を見せる。スキンヘッドに盛り上がった筋肉がトレードマークの彼は、ミレア国内でも有名な冒険者だった。

 数多くの功績が認められ、引退後はシェルジンのギルドマスターを務めている。


「今日は兄ちゃん、一緒じゃねえのか」


 アシュレイの正体は、ヴィルほどの実力者でも気づかなかったようだ。魔力制御装置をもってしても溢れ出す魔力は、高度の感知スキルがないとわからないらしい。

 見た目も人間と変わらないため、魔族と認識するが難しい。


 高度な知能と擬態能力を持つ魔族は、このように惑わして人間を食らうのか。スカーレットはひとつ知恵を増やした。


「ちょっと色々あって」


 触れられたくない部分に疑問のナイフを刺されたスカーレットは、誤魔化すように笑顔を作る。

 それ以上、言葉に出せなかった。と、言えるわけがない。

 スカーレットの反応を勘違いしたヴィルは、ニヤニヤと笑みを浮かべた。


「色々ねえ。ところで、今日はどんな依頼にするんだ」

「討伐系でお願いします」


 騙されていた怒りをぶつける宛が欲しかった。魔族から受けた恨みは、魔族で晴らす。完全な八つ当たりだ。


 愚かな勇者スカーレット自身への怒りをぶつけるように、テーブルにグラスの底を打ち付けた。縁から溢れた紅茶が池を作る。

 『不機嫌』を主張したスカーレットに、ヴィルは目を瞬かせた。


「……よっぽど怒らせるようなことしたんだな。そういう奴には思えなかったけど」


 ヴィルがどんな妄想をしたのかはわからないが、それ以上彼が追及してくることもなかった。

 濡れたタオルをスカーレットに差し出す。スカーレットが受け取ると、ヴィルはクロスでカウンターを拭いながら問いかけた。


「希望はあるか?」

「できれば経験になりそうなもので、報酬もそこそこもらえるとありがたいです」

「……なんでまた」


 ヴィルが聞き返したのも無理はない。勇者を初めて数日のスカーレットは安全第一で、確実に達成できるミッションを選択していた。危険を冒す必要性を感じなかったからだ。

 まずは基礎的なスキルを身につける。地道にレベルをあげて安全に旅ができると判断してから、最初のシェルジンを出立しようと思っていた。


 しかし、早々に魔王の刺客が送り込まれたとなれば、話は別だ。

 一日も早く対抗できる力を身につけなくてはならない。その日が来るまで、アシュレイから身を隠す必要もあるだろう。


 唯一の救いは『契約書』の存在だ。これがある限り、アシュレイがスカーレットを襲うことはない。

 彼が軽々と契約の詳細を話した以上、何か裏があるのだろう。アシュレイを倒せるだけの勇者になることは、スカーレットの最優先事項だ。


 ――と素直に話せれればよかったのだが。

 『大まぬけな勇者です』と公言する真似は、スカーレットに残されたわずかな自尊心が許さなかった。


「今日でこの町を出ていくつもりなので」


 勇者である以上、一つの町に留まることはない。

 元冒険者のヴィルは、で受け取ったらしい。


「寂しくなるなぁ」


 特に不信感を抱くこともなく、社交辞令を呟いて、ヴィルは掲示板に向かった。真新しく貼られた一番手前のカードを掴んで、半分に減ったグラスの左にすっと差し出す。


「森にゴブリンが出没しているらしい。その討伐をお願いしようかな」


 ヴィルが持ってきたカードを受け取り、詳細に目を通した。経験値も報酬額も悪くない。

 この程度の依頼なら、スカーレット一人でもこなせるだろう。


「あんたには頑張ってもらいたいんだよ」


 ヴィルは声のトーンを落とすと、しみじみとした口調で続ける。


「前の勇者様が魔王を倒せていれば、こんな時代にはならなかったのに」


 ――前の勇者様。


 彼女が死んだのは百年以上前、伝説として語り継がれる逸話は、勇者としても一人の女としても、スカーレットの憧れだった。


 強く聡明で、歴代で最も民に好かれた勇者。

 しかし、魔王の城に辿り着く直前、彼女は魔王に食われてしまった。


 彼女の死後、魔族の襲撃は活発化した。

 王族は魔族への対策費と銘打って税をあげ、民衆の生活を圧迫した。この増税が影響し、冒険者のような危険で金が稼げる仕事に人気が高まった。スカーレットもその道を選んだ一人だった。


 人間と魔族の確執は百年をかけて深まる一方だ。

 ついには人間による魔族の奴隷化まで進んでいる。混沌の時代と呼ばれ、いつ戦争になってもおかしくはない。


「私が魔王を倒して、平和にしてみせます」


 スカーレットは即答した。


 先代の勇者のような功績を遺す自信はなかったが、彼女が果たせなかった魔王の討伐だけは成し遂げたい――いや、成し遂げなければならない。

 強い誓いを胸に抱く。今や家族や地元の民だけでなく、国民全ての期待を背負っているのだ。


「あと、喧嘩するほど仲がいいって言うからな。兄ちゃんと早く仲直りしろよ」


 ギルドを出ようとしたスカーレットの背中に、野暮な声援が投げかけられる。


 魔王の息子に食われかけた経験を『ただの喧嘩』と呼べたなら、どれだけ良かったか。

 スカーレットは上の空で返事し、ギルドを立ち去った。

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