階段から落ちた女の子を助けたら、塩対応で有名な高嶺の花で、僕にだけデレるようになるんだが……
下蒼銀杏
焼け石に涙
第1話 プロローグ――いずれ来る未来
恋人が石になった。もう治らないそうだ。
布団からはみ出ている華奢な手を、下からすくい上げるように握ることしか僕にはできない。石になってしまった彼女は、僕の手を握り返すことすら許されていないのだ。
石になったといっても、本当に石になったわけではない。石のように動けなくなったのである。植物人間とはまた違う。なにしろ彼女を構成するすべての細胞が機能を停止しているのだから。それなのに彼女の身体は腐らない。腐食しない死体と形容するのが最も適切だろう。
けれど、そんなことはどうでもよかった。
僕にとって重要なのは、これからも彼女と幸せな思い出を築いていける、その保障だけ。
石のように冷たく、固くなった彼女の指は、またいつか僕の指と絡み合うのだろうか。
一文字に引き結ばれた唇は、またいつか愛を紡ぐのだろうか。
僕と余すところなく重ね合った肌は、またいつか温もりを共有してくれるのだろうか。
――否。
おとぎ話みたいな都合の良い展開なんて用意されているわけないと、僕のすすり泣く声がそう語りかけてくる。
――うるさい。黙れ。うるさい、うるさい、うるさい、うるさい。
僕は彼女に触れていない方の手で、ぐしゃり、とベッドのシーツを掴んだ。激情を込めたわりには収穫がなく、ただしわが寄っただけであった。
「……
彼女の名前だけが、真っ白い病室に響いた。僕の名前は返ってこなかった。あの夏の夜には沈黙すらも僕と彼女の視線を繋いだというのに、今は素知らぬふりを決め込んでくる。
もう彼女の大きな瞳に僕の笑顔は映らない。
――シュウ、私も好き。
彼女とのキスを欲した過去の言葉がリフレイン。記憶の中だからか、言葉をくれたあの時の何倍も甘美で、何十倍も切なかった。
別れが悲しいのは、幸せとは何なのかに気づき、そして未来永劫その幸福を享受できないと悟るからなのだと、僕は雨漏りのように涙を落としながら知った。
無機質と遜色なくなった彼女の白い手を、涙がすっと滑っていく。シーツに染みを作る。
僕は彼女の手を強く握り直した。きっと意味はないのだろう。それでも握りたかったのだ。
これは僕――
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