〝夜〟が明けたら
夕藤さわな
*** 第一章 〝夜〟の始まり ***
第一話 三人のお茶会
この国は古くから〝白夜の国〟と呼ばれていた。
空はいつも薄明るく白んでいる。
青色の昼空も、灰色の雨空も、黒色の夜空も、この国で見ることはない。
暖かい時期でも長そでの上にショールを羽織らないと寒いくらいの気候で、土地も枯れているから農作物が育ちにくい。
白夜の国でしか採れない珍しい鉱物を他の国に売ることで、国民も貴族もなんとか食いつないでいけている。
そんな貧しい国だ。
国王の孫娘であるリアも例外ではない。
小さい頃から十三才になる今の今まで、リアにとっての一番の贅沢はお茶会で出てくるクッキーだ。
お茶会は月に一度、城内のすみっこに建っている温室で開かれる。全面ガラス張りの、貴重な薬草や野菜が育てられている温室だ。
お茶会の参加者はリアと、リアより二つ年上の従兄のジョシュ。それから、ジョシュの
三人きりのお茶会はリアが三才の頃から、もう十年近く続いている習慣だ。
そして、今日はそのお茶会の日――。
バターは高価だからちょっとしか使えない。だから、クッキーはパサパサで、半分に割ろうものならくずがぼろぼろと落ちてしまう。
でも、落ちたくずをもったいないとは思わない。
だって――。
「コケッコー!」
大量のお掃除隊、もといニワトリたちがすぐさま食べてくれるから。
リアがクッキーのくずを落とすのを、今か今かと待ち構えていたニワトリたちが一斉に足元をつつき始めた。
「リア、テーブルのそばで割るなって言ってるだろ!」
足元で騒ぐ数十羽のニワトリたちを見下ろしてエドが怒鳴った。
エドの大声に腹を立てたのか。クッキーのくずがなくなったのか。ニワトリたちが、今度はエドの靴を一斉につつき始めた。
「イテ、イテテテッ! こいつら、凶暴すぎるだろ!」
「エドが嫌われてるだけじゃない?」
つんと澄ました顔で言うリアをエドはじろりとにらみつけた。
「リアと同じようにクッキーのくずを分け与えてやってるのに、何が気に入らないってんだよ!」
リアとエドに背中を向けて紅茶を淹れていたジョシュがくすりと笑った。
「エドは温室内を走り回って、何度かニワトリたちを踏みそうになっていたからね。顔を覚えられちゃったんじゃないかな」
「子供の頃の話だろ。大体、リアだってあちこち走り回ってたじゃんか!」
「大事な薬草や野菜がたくさんあるのよ。エドみたいに温室の中を走り回ったりはしなかったわ!」
「大事な鶏肉たちもいることだしなー。……って、イテテテッ!」
「そういうところだよ、エド」
ニワトリたちにつつかれて悲鳴をあげるエドに、ジョシュは苦笑い混じりの声で言った。
ジョシュはリアと同じ、緩くうねる亜麻色の髪をしている。色白で細身で、十五才にしては幼く見える。
まだまだ少年と呼ばれる容姿だ。
エドはジョシュと真逆。
短く刈った濃い茶色の髪はつんつんとしていて、体付きは鍛えた兵士のようにがっしりとしている。
ジョシュより数か月早く生まれただけなのに、見た目はすっかり大人の男の人だ。
中身は子供のままだけど。
「それで……どこまで話したっけ?」
「西の国の王子様に案内してもらって、街の商人さんに会いに行ったところよ」
ただよい始めた紅茶のいい香りにつられて、リアはジョシュの背中に顔を向けた。
「そうだった。……その商人が連れてきた魔獣っていうのがウサギに似ているんだけど、背中に天使みたいな羽根が生えていてね。ふわふわと飛ぶんだよ。リアに見せたら抱きついて、城に連れて帰るって聞かなかったかも」
「もう子供じゃないもの。ちゃんと聞き分けるわよ」
「本当に?」
そう言ってジョシュはくすくすと笑った。
慣れた手付きで紅茶を淹れながら外交で行った西の国の話を続ける。
「商人の紹介でテイマーにも会ったけど、いろいろな魔獣を連れていたよ」
「テイマー?」
「魔獣の調教師、かな。西の国ではテイマーが手懐けた魔獣に人間の力ではできないことを手伝ってもらっているんだって。農作業とか、大きな荷物を運んだりとか。僕が見せてもらった魔獣は牛みたいに大きなオオカミの魔獣や、尾羽に小さな宝石がたくさんついてる鳥の魔獣とか……」
歓迎パーティで出たという豪華な料理や手の込んだお菓子。
白夜の国では見ることのない色鮮やかなドレス。
商人が見せてくれたという珍しい動物や魔獣たち。
外交から帰ってくるたびにジョシュが聞かせてくれる話は水彩絵の具で描かれた絵本みたいだ。
リアが聞いたことも見たこともない世界が、ジョシュの優しい声と言葉によって色鮮やかに広がる。
いつもは目を輝かせて話を聞くのだけど、残念ながら今日のリアは機嫌が悪い。テーブルにほおづえをついて仏頂面だ。
紅茶を淹れ終えて振り返ったジョシュも、リアの仏頂面に気が付いた。
「リアには面白くない話だったかな?」
眉を八の字に下げた困り顔で尋ねる。
リアは首を横に振った。
「話自体はすっごく面白いよ」
「なら……」
「話自体は、ね」
繰り返してそっぽを向いてしまったリアに、ジョシュはますます困り顔になった。
リアとジョシュの顔を交互に見て、エドはにやにやと笑った。
「最近、ジョシュが構ってくれなくてすねてるのぉ、ばぶばぶぅ……って、イテッ!」
茶化すエドの足をリアは無言で蹴飛ばした。
「こら、リア」
と、優しい声で叱りつけて、ジョシュはリアの隣に腰かけた。
そして――。
「……すねてるの?」
リアの顔をのぞきこんで、真面目な顔で尋ねた。
エドに言われる分には蹴飛ばすことも怒鳴ることもできるけど、ジョシュに……それもそんな真面目な顔で尋ねられたら恥ずかしくなってくる。
リアは顔を真っ赤にして、スカートをぎゅーっと握りしめて、
「だって……西の国に行ったのっていつのこと!?」
やけっぱちで叫んだ。
「三週間くらい前……かな?」
「つまり、ジョシュは三週間も私に会いに来てくれなかったってことでしょ!?」
叫びながら、リアはジョシュの腕にしがみついて足をじたばたさせた。ジョシュは驚いた声をあげたあと、すぐに優しい笑い声をもらした。
「小さい頃は何かあったらすぐに話に来てくれたじゃない! どんなに遅くたって次の日には話に来てくれたじゃない!」
「西の国には一週間、滞在してたんだぞ。次の日に話になんていけませーん」
「うるさい! わかってるし、そういうことじゃないわよ、エド!」
茶化すエドの足をリアは怒鳴りながら蹴飛ばした。
「こら、リア」
と、さっきよりも強い口調でジョシュに叱りつけられて、リアは首をすくめた。
小さい頃はお茶会がなくても毎日のように三人で遊んでいた。でも、最近はお茶会以外で会えることなんてほとんどない。
白夜の国の国王であるリアとジョシュの祖父が病気で倒れてからは特にだ。
二年ほど前からジョシュは王太子――次の国王候補として政務や外交に関わるようになっていた。
白夜の国のしきたりで国王は城から出ることができない。
本当なら国王の二人の息子――リアの父親とジョシュの父親が国王を手助けするのだけど、リアとジョシュが小さい頃に二人とも死んでしまった。
ジョシュが小さい頃は、白夜の国に長く仕えている大臣や貴族たちが国王を手伝って政務や外交を行っていた。
ジョシュが大きくなってからは、大臣や貴族たちに教わりながらジョシュが国王を手伝って政務や外交を行っていた。
国王が病気で倒れてベッドから起き上がれなくなってからは、ジョシュが国王の代理をしながら大臣や貴族たちに手伝ってもらって政務や外交を行っていた。
当然、リアと遊んでいる暇なんてない。
リアだってわがままを言うつもりはない。
ジョシュを手伝いたいと思っているし、それができないなら邪魔をしないようにしようと思っている。
でも、ときどき我慢できなくて口から出てきてしまうのだ。
「そもそも! エドはいっしょに西の国に行けるのに、どうして私はお留守番なのよ!」
リアはジョシュの腕にしがみついたまま、また足をばたつかせた。
ジョシュが外交に行くとき、大体、エドもいっしょについて行く。
外交先の王族や貴族が広くパーティには同席できないらしいけど、移動中や街を見てまわるときにはジョシュといっしょに行動する。
リアもジョシュとエドといっしょに行きたいと何度も言ったのに。何度も国王やジョシュに頼んだのに。
「リアはダメだ」
の、一言で終わってしまうのだ。
「私もジョシュを手伝いたいし、ジョシュといっしょに出掛けたいのに!」
「僕もお
ジョシュに頭をそっとなでられて、リアはしぶしぶ、足をじたばたさせるのをやめた。
ジョシュが心配する理由はわかっている。国王や大臣、貴族のみんながリアを城の外に出したがらない理由も。
城の外にも、白夜の国の外にも危険がいっぱいある。白夜の国の王族だというだけで危ない目にあうことも、命を落とすことだってある。
リアの父親やジョシュの父親のように――。
わかってはいるからしつこくは言わないようにしているけれど、やっぱり不満だ。
リアがふくれっ面でうつむくのを見て、ジョシュは困り顔で微笑んだ。
リアとジョシュの顔を交互に見て、エドはにやにやと笑った。
「ジョシュが連れていってくれないからすねてるのぉ、ばぶばぶぅ……って、イテッ!」
「エドってどうしてそんなに子供なの! 十五でしょ!! もうちょっと紳士的に振る舞えないわけ!?」
エドの足を蹴飛ばして、リアは金切り声を上げた。ジョシュが困り顔で叱るのも聞かず、キッ! と、エドを睨みつける。
リアの金切り声なんて聞き慣れているからエドも全然、動じない。
頭のてっぺんから爪先まで、じろじろとリアを眺めたかと思うと、
「いやいや、子猿相手に紳士的な態度って……逆におかしいだろ」
口を手で押さえて、プー! と、ふき出した。完全にリアの神経を逆なでに来ている。
リアは再び、エドの足を蹴飛ばした。
「誰が子猿よ!」
「イテッ! 誰がって……なぁ?」
「なぁ……じゃないよ、エド。どうしてエドはリアに意地悪なことばかり言うの?」
と、口ではエドのことを注意しながら、ジョシュは穏やかに微笑んでいる。ジョシュが怒らないことを良いことに、エドはますます笑みを深くした。
「リアだけじゃないだろ? 泣き虫ジョシュ、とか!」
「いつの話してるのよ!」
「いつの話ってことは、リアはジョシュが泣き虫だったってとこは否定しないわけだな!?」
「そんなつもりで言ったんじゃないわよ!」
「やぁい、泣き虫ジョシュ~!」
「だから、ジョシュが泣き虫だなんて言ってないってば! ジョシュ、違うのよ? エドが勝手に言ってるだけで……」
「はいはい、リアもエドもそれくらいにして。紅茶が冷めちゃうよ」
そう言って、ジョシュは紅茶のカップを傾けた。自分がからかわれているのにちょっと困り顔になるだけだ。
ジョシュがそんな風にのんきだから代わりに怒っているのに。
リアが唇をとがらせていると、
「王太子殿下!」
ジョシュを呼ぶしゃがれた声が温室の入口から聞こえてきた。
三人そろって顔を向けると、白髪の執事が大股でこちらに向かってきていた。
いつもなら、そばに来てからそっとジョシュにだけ耳打ちをするのに……。
何かあったのだとジョシュにもエドにも、もちろんリアにもわかった。
ジョシュは席を立つと執事の元に駆け寄った。小声で二言三言交わしたかと思うと、
「ごめん、リア」
困り顔で振り返った。
「行かなくちゃいけないんだ」
「えぇ!?」
思わず大きな声が出て、リアは慌てて口を手で押さえた。
「本当にごめん。必ず、近いうちに今日のお茶会の代わりを開くから」
困り顔のジョシュを見て、リアはうつむいて唇をかんだ。
久々に会えたのに十分も経たないうちにお別れになってしまうのがさみしかっただけだ。
ジョシュを責めているわけじゃない。
「気にすんな、頑張れよ」
うつむいたままのリアの頭をコツンと小突いて、エドが言った。
リアが顔をあげると、エドがジョシュに向かって拳を突き出しているところだった。
ジョシュはエドの拳をじっと見つめたあと、はにかんだ微笑みを浮かべて自身の拳をこつんとぶつけた。
黙って笑い合うエドとジョシュを見上げて、リアは唇をとがらせた。
なんだか仲間外れにされている気分だ。
リアの表情に気が付いて、エドがにやりと笑った。
「ばぶばぶぅ……って、イテッ!」
小声でからかってくるエドの足を蹴飛ばしたあと、リアはジョシュの元に駆け寄るとぎゅっと抱き付いた。
「……がんばってね」
無理矢理しぼり出した言葉だから完全に棒読みだ。
「ありがとう、リア」
それでもジョシュはうれしそうに笑った。
リアをぎゅっと抱きしめ返して、頭をひとなでするとジョシュは足早に温室を出て行った。
「ジョシュ、忙しそうだね」
ジョシュの背中を見送って、リアはぽつりと呟いた。
「〝夜〟が近いのかもな」
エドもぽつりと呟いて、ジョシュが淹れてくれた紅茶に口を付けた。
〝夜〟が近い――。
エドの言葉にリアはぎゅっと両手を握りしめた。
このまま、ずっと。せめて、もう少し。
〝夜〟が来ないでほしい。
そう祈りながら――。
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