22 誠心誠意
マユリアは自分の前に跪く男をじっと表情もなく見下ろしている。
時が止まったかのように、誰も動くことをしない。
やがて、奇跡のように美しい女神がゆっくりと視線を目の前の男から反らし、少しだけ俯いてつぶやいた。
「よく意味が分かりません」
そう言って軽く左右に首を振る。
「陛下にはすでに『妻』がいらっしゃいます、わたくしがその座につくわけにはまいりませんよ?」
拒絶というより、幼子をなだめるような口調であった。
頭を下げていた男が、ゆっくりと柔らかく微笑みながら頭を上げて女神を見た。
「いえ、可能です、私の、もう1人の妻となっていただきたいのです」
そこまで言うとゆっくりと立ち上がった。
「皇太子妃、いえ、新皇后も了承をしております。あなたにも正式な妃の位についていただき、皇后と共に私の妻として王国を支えていただきたいのです」
夢見るように新国王は続ける。
「あなたの望むものを与えましょう、どうぞ私の妻となり、妃となっていただきたい。ぜひとも良きお返事をいただきたい」
新国王は熱の籠もる目でじっとマユリアを見つめ、ふうっと優しい笑みを浮かべた。
マユリアは表情を変えることなく、その視線を真っ直ぐに受け止めている。
また時が止まったように誰も動かなくなった。
今度はさっきよりもっと長い時間時が止まり続け、やがてまた美しい女神が口を開いた。
「わたくしの望むものを与えてくださるのですね?」
新国王の顔がぱあっと明るくなる。
「はい、あなたの望むものはなんでも」
「では、わたくしを、以前より申しておりますように、両親の元へお返しください。わたくしは人に戻った後は、父と母に孝行を尽くし、今までできなかった親子の暮らしをしたいと望んでおります」
新国王はそれを聞いてまたニッコリと笑う。
「今まで、あなたにご両親の元に戻らず、そのまま後宮にお入りいただきたいと申しておりましたのは、これがあったからです」
そう言ってマユリアの誓約書を取り出す。
「もしもあなたが人に戻ったならば、父がこれを使ってあなたに後宮に入るように命じるのではないかとそれを恐れたからです。ですが、今はこれは私の持ち物となりました、あなたがご両親の元へ戻られて、ご両親に私とのことをご相談ください。きっとご両親はこれ以上ない誉れと、あなたに私の妃になるようにとおっしゃってくださるでしょう」
そう言うと誓約書を畳み、右にいるラキム伯爵に預けた。
「私は父のように、あれを盾にあなたに後宮入りを強いるようなことはいたしません。ただ、誠意を尽くし、ご両親に私の想いをお伝えし、理解していただきたい、そう思っております」
「同じではありませんか?」
マユリアが少しだけ美しい陰を浮かばせる。
「両親がどこのどのような方か、わたくしは今もまだ存じません。ですが、この国の人であることは間違いがないでしょう。その人に、シャンタリオの国民に、国王がそのようにおっしゃることは、わたくしに後宮に行けと言わざるを得ないということではありませんか?」
もっともであった。
「ごもっともです。ですから、あなたの無理強いをするようなことがないように、これはこうしてしまおうと思っています」
新国王はそう言うと、ラキム伯爵にさきほど預けたマユリアの誓約書をもう一度受け取り、中の紙を引き裂いた。
「いかがです、私は父のようにあなたをこのような約定で縛り付けるようなことはいたしません。なぜなら私が欲しいのはあなたのお心だからです。これであなたの後宮へ入るように命令するようなものはなくなった、ご理解いただけるでしょうか」
マユリアは二つに裂かれた紙をじっと見つめる。
「ええ、お気持ちはよく理解いたしました。ですが、わたくしはどなたの元にも行くつもりがないのです。もしも、不幸にして両親がすでに存命ではない場合、わたくしの親と共に暮らしたい、孝行をしたいという望みが叶わぬ時には、侍女となり宮に一生を捧げようと思っております。こちらにおられるわたくしの母のようなラーラ様のように、これから後の代々シャンタルのおそばに、姉として共にありたい、そう思っております」
きっぱりとそう言う。
「ご両親が存命であられる時は、宮に入られるお気持ちはないのですね?」
「え?」
マユリアが意外なことを聞かれたという顔になった。
「ご両親がご存命の時に、お会いになったらそのまま宮に一生を捧げる、そのお気持ちはないのですね?」
「新国王」が少しだけ聞き方を変えて尋ねる。
「その場合は、両親と共にありたいと」
「ご両親がご存命の場合、私はご両親も共に王宮にお迎えいたしたいと思っております」
「え?」
「ご両親と共に王宮に入り、私の妻、妃として共に生きていただきたいのです」
驚くような申し出であった。
「そして、もしもご両親が不幸にしてすでにこの世の方でない場合、今度は私と共に生きて、王宮からあなたのもう一人の母、そして妹たちを共に見守ってはいただけないでしょうか? もちろんいつでも宮へ行って時を過ごせることはお約束いたします。宮と王宮のため、そうなさっていただけないでしょうか?」
誠心誠意を込めた、「新国王」の心が伝わる言葉であった。
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