19 是の理由
「その時に私には分かったのです、己がなすべきことを」
泳ぐ目の国王を見つめながら、皇太子の目はどこか遠くを見ている。
「この八年、それはもう努力いたしました。ありとあらゆる勉学、剣術、槍術に体術に馬術、そして帝王学。最高の王になるために、それはもう血がにじむどころではない、まさに命を削るほどに努力して身につけてまいりました。そして見た目も」
そう言ってすっくと国王の前に立つ。
皇太子は美しかった。
顔立ちは母である皇后に似て元々整ってはいたが、その肌も髪も、姿勢、体型、どれを取っても非の打ち所がないというのはこのことか、そう思うほどに。
「どうです、今の私は?」
国王にも否定はできなかった、八年前はもっと弱々しく、簡単にねじ伏せることができた若者が、そうして輝くばかりの王者の器へと成長したのだということを。
「欲に溺れて時を浪費し老いさらばえたあなたと、日々研鑽し、王の中の王たろうと努力を重ねた今の私、分かりますか? 私たちの差が、どちらがあの女神にふさわしいか」
「マユリアは私のものだ!」
国王が叫ぶ。
「八年前、そう約束を交わしたのだ! 私たち二人の約束だ!」
「違うでしょう」
皇太子が静かに諭すように言う。
「あなたが力で女神をねじ伏せたのです、私にやったようにね」
「違う! 私がマユリアに選ばれたのだ!」
「あなたを?」
皇太子が鼻で笑うように続ける。
「マユリアがどうしてあなたを選ぶのです? あなたのどこが気にいり、あなたの元へ来たいと思ったと考えたのです?」
「私が王だからだ! 私はこの国の王、即位して以来平穏な時が続いたのは私の統治を神が認めたからだ!」
血走った目で国王が続ける。
「そうだ、最も美しいシャンタルの時代、『黒のシャンタル』の時代、その二十年の繁栄は天から私が賜った美しい時代だ、それは私がその時代に相応しい人間であったからこそだ! それを知るからこそマユリアは私の元に来ると言った、私を選んだのだ!」
「戯言を……」
皇太子がクスクスと笑いながら
「その二十年にあなたが何をしたというのです? 女色に溺れ、むやみやたらと後宮の華を増やしただけではありませんか。そしてあまつさえ、王の権力を乱用して女神をその華の一輪に加えようなど、なんという天に唾する態度であることか」
「何を言う! マユリアは私を選んだのだ! 私の王たる器の大きさにマユリアも情を感じてのことだ!」
それだけ言うと、ふっと右頬を歪めて笑い、
「おまえには一度も色よい返事をしておらぬと聞く、それはおまえを嫌いだからだ、おまえを認めてはおらぬからだ、おまえに触れられたくないからだ。私には一度は是と答えておる、残念だったな」
あざ笑うようにそう言った。
「何があったのでしょうね」
ポツリと皇太子が言う。
「何がとは何だ」
「あの時です。なぜあなたの申し出をああもすんなり受けられたのか」
「言っておるだろう、私を認めたからだ」
「私は違うと思います」
きっぱりと言い切る。
「あの後、あってはならぬことが起きました。神の死です。マユリアは、おそらくそれをご存知だったのです」
「なんだと?」
「ですから、あなたの元へ行くことはない、そうご存知だったからこそすんなりと話を受けたのです」
これは事情を知る者にとっては当たっていると言える。
「ご自分がもう一期任期を務めることになる、そうご存知だったからこそ、あなたの気持ちを損ねて託宣の邪魔にならぬように、言うことを聞いた振りをなさっておったのですよ、おそらくは」
「な……」
思いもよらぬ言葉に国王が言葉をなくす。
「ですから、この度はどうしても断る、そうおっしゃっている」
「おまえの申し出も断っておるではないか!」
「それは父上、あなたを恐れてのことでしょう。私の申し出を受け入れたら、あなたは私に何をするか分かりませんからね」
それも当たっていることと言えた。
相手が誰でもマユリアが誰かを選んだ時、その者を国王が許しておくことはない。
「ですが、今はもうこうして誓約書も私の手の中にあります。そのことを伝えて、ゆっくりと話をするつもりです。マユリアもきっと心を開いてくれることでしょう」
己に自信がある優れた者だけが持つ確信、己が選ばれぬわけがない、その思いが皇太子を強くしていた。
「両伯爵もそのことに同意しております」
ラキム、ジート両伯爵は皇太子妃の血につながる者である。現在、皇太子には他に側室はいない。マユリアを迎えたとしても決して皇太子妃の誇りを傷つけぬ、むしろ相手が相手ゆえ、その価値は上がるのだと八年前に説得し、約束通り一人の側室も迎えず、皇太子妃と子どもたちを大切にしてきた。
「ええ、納得しております」
皇太子妃の父であるラキム伯爵がそう言い添える。
「女神と共に国王陛下を支えること、誇りにこそなれ皇太子妃殿下、いや、皇后陛下の傷になりはしません。どこに咲いていたか分からぬ派手派手しいばかりの華と並べられるより、神々しい女神と二人並び立つことの方が、どれほどお心晴れやかであることか」
皇太子妃の母方の伯父であるジート伯爵も、笑顔でそう続けた。
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