18 屈辱の日
「分かったな、マユリアは私の後宮に入る。女神と同じ高みにいる
八年前、23歳であった皇太子は父王にそう宣言され、もうそれ以上為す術もなく、泣く泣く諦めるしかなかったのだ。
自室に戻り、誰に言うでもなく小さく、
「ちくしょう……」
まるで庶民が使うような言葉を使い、誰を呪えばいいのか分からぬまま、寝台に身を投げ出し、豪華な布団を叩きながら、ひたすら同じ言葉を繰り返し慟哭した。
そしてその日は来た。交代の日である。
王族はみな共に客殿からその儀式を見ることになっていた。
皇太子は憎むべき父王と共に、自分の手には入らぬ美しい人の晴れ姿を見ることとなる。
王族の義務である。
陰鬱な気持ちで父親の二つ隣の席につく。
父王の満足そうな顔が憎くて憎くて仕方がない。
(民たちも知っているのだろう、私が父に負けたことを、そしてその屈辱の中、ここに座っているのだということを)
やりきれない思いであった。
明日、人に戻ったマユリアが父のものになる。
考えるだけで憤死しそうであった。
やがてバルコニーに三代のシャンタルが登場した。
(ああ……)
あの美しい人が、汚れなき女神が、明日には父の手によって汚されるのだ。
今すぐにでも窓から飛び降りて死んでしまいたい、そう思った。
地獄のような時が過ぎていく。
一刻も早くここから立ち去りたい気持ち、一回でも多く清らかな女神を見ておきたい気持ち、その間で揺れながら最後まで部屋にとどまることになった。
「さて、これでお出ましは終わり、明日には新しいマユリアの誕生、完全に交代がなされる」
父王が、誰に聞かせるつもりかそう言うと、ご機嫌で客室から出て王宮へと帰っていった。
その後姿に槍でも投げつけたい、そんな気持ちで爪が肉に食い込むほど強く強く手を握りしめて見送った。
その後、誰にも来ぬように命じて一人で自室に戻った。
これから毎夜、悪夢のような夜を過ごすのだと、乱暴に脱ぎ捨てた上着を踏みつけながら寝台に身を投げ、声にならぬ声ですべてのことを呪い続けた。
その時、知らせが届いた。
「大変です!」
扉を叩くのももどかしそうに、皇太子付きの侍従が部屋に飛び込んできた。
「誰も入るなと命じたはずだ!」
寝台の上に起き直り厳しく怒鳴りつけるが、侍従は主の様子を気にかけるゆとりもないように言葉を続けた。
「シャンタルが、シャンタルがお隠れになられました!」
言うなり跪くと、肩を震わせて静かに泣きだした。
意味が分からなかった。
侍従の言葉が頭に入らなかった。
シャンタルガオカクレニナラレマシタ
何かの呪文か?
シャンタルがどうかしたと言った気がしたが、何があったというのだ……
そもそもシャンタルは今二人いる、どちらのシャンタルだ?
なんだか冷静に頭の中でそんなことを考えていた。
「シャンタルが、お隠れになられたと、今、宮から連絡が参りました……」
涙にくれながら侍従がそう言うが、とてもその言葉が受け入れられない。
侍従はいつまでも黙ったままでいる主に焦れたのか、
「シャンタルが亡くなられたのです!」
たまりかねたように、投げつけるようにそう言った。
――シャンタルが亡くなった――
ようやくその言葉を理解したが、言葉を理解しただけで、事実を受け入れることができない。
じわじわと起こったことを理解していくと、恐ろしさに身が縮んだ。
(まさか、私がこの世を呪ったためにそんなことになったのでは)
もしもそうなら天は自分を許してはおかぬだろう。
そう考えて息ができなくなった。
自分はこのまま天に罰されて死ぬのだ、その思いに、ブルブル震えながら起こした上体が寝台の上に崩れ落ちた。
「皇太子殿下!」
侍従が驚いて駆けつけ、皇太子を助け起こす。
「大丈夫でございますか! 誰か、誰か!」
呼ばれて王宮衛士が駆けつけた。
「すぐに医師を! 皇太子殿下がご不快だ!」
すぐに王宮医師が駆けつけ皇太子の容態を診る。
自分はすぐにも死ぬのだ、医師が何をしようと無駄だ、天を呪ったがために天に罰を受けるのだから、そう思った。
だが、医師は、
「大丈夫です。おそらく、宮からの知らせをお聞きになって動転なさったため、一時的にご不快になられたのでしょう。気付け薬をお飲ませいたしました、少し休まれたら落ち着かれるでしょう」
そう言って、駆けつけた皇太子妃、母である皇后、小さな王子と王女たちを安心させた。
「よかった、皇太子殿下……」
皇太子妃が安堵のため息を漏らすと、しっかりと手を握って何度もよかったとつぶやいている。
(これはどういうことだ、私は天に罰されて命をお返しするのではないのか)
体調が落ち着き、事情が分かって気持ちが落ち着いてくると考えが変わっていった。
(これは、天のご意思なのではないだろうか)
当代が亡くなったということは、マユリアになる者がいなくなったということだ。
つまり、マユリアは明日、人には戻らぬ。
(天が私に機会を与えてくださった)
そう思えるようになってきた。
そうとしか思えぬようになってきた。
(十年後、次の交代の時までにどんな手をつかってもマユリアを自分の手に取り戻すのだ)
天が自分を選んでその猶予を与えてくれた、それが皇太子の中で決定事項となっていた。
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