16 獣か犬か
少し遅れて奥様とベルが侍女頭の見舞いから戻ってきた。
「え、なんだよそれ、やべえじゃん! どうすんだよ!」
トーヤからルギとの邂逅の話を聞き、思わずベルが責めるように言う。
「おれがあんだけがんばったの、ダメにすんじゃねえよ!」
「わりぃ」
トーヤが笑いながらそう言ったのが、またベルの気に障る。
「わりぃじゃねえよ!」
立ち上がり、ドン! と一つ足を踏み鳴らし、トーヤを見下ろした。
「なんでルギと会うようなとこ行くんだよ! なんで手袋とかしてねえんだよ!」
「それなんだよな、俺も失敗したと思った」
トーヤと「ルーク」の代役を務めたハリオは背格好こそよく似ているが、ルギが言う通りに仕事が違う。
トーヤの手には剣を持つ者だけにあるマメやタコがある。ハリオの手にも同じようなものはあるが、場所やでき方が違うのだ。
「手袋も衣装に含めておくべきだった」
「おせえんだよ!」
ベルは
「で、どうんすんだよ!」
「今のところは予定通りにするしかねえな。あいつも今すぐどうこうってするつもりはなさそうだし」
トーヤがふうっと息を吐いて続ける。
「あいつはマユリア
トーヤの言葉の真剣な響きに、ベルがゴクリと喉を鳴らした。
「けどまあ、今んところはそういう感じだ。それに、本当に俺だと分かったどうかも確かじゃねえしな」
「いえ、私も気がついたと思います」
トーヤの言葉を遮るように、ミーヤがきっぱりと言う。
「きっと気がついています」
「だろうな、俺もそう思う。まあ万が一ってことがあるから言ってみただけだ」
トーヤがクスッと笑いながらそう言う。
「ど、ど、ど、どうすんだよ!」
「どうするって、言っただろうが、今のままやるしかねえ」
「で、で、でも、ルギが」
「だから、それも言っただろ? あいつはマユリア基準で動いてるから、俺らがマユリアに害がないと分かったらなんもしてこねえって」
「そんな、どっかの獣が遠くから見てるようなこと言われて平気でいられるかよ!」
「どっかの獣」
シャンタルがベルの言葉を聞いて楽しそうに吹き出した。
「笑いこっちゃねえだろうが!」
ベルが大憤慨してシャンタルを見下ろして怒鳴りつける。
「ごめんごめん、でもやっぱりベルの言うことは面白いなと思って」
「面白くねえよ!」
ますます逆上してベルがシャンタルを睨みつける。
「どうどう、だ」
アランが横から妹をなだめる。
「どうどうじゃねえよ!」
「そうだね、それだったらベルの方がどっかの獣だよね」
そう言って笑うシャンタルを、ますます目を吊り上げて睨みつけた。
「おまえも獣刺激してんじゃねえよ」
トーヤが笑いながらシャンタルにそう言う。
「まあベルの言う通りだな。あいつは獣だよ、だから刺激しないにこしたことねえ」
「それを刺激したのがトーヤじゃん!」
「だから、そこは謝ってるだろ?」
「謝って済むことかよ!」
「それは分からん」
「この!」
ベルがどう言ってやろうかと考えるようにしてトーヤを睨むが、
「まあ待てって。どうせいつかはルギにも知られることになるんだ。知らんうちに知られるよりいい。あいつがこっちのことを知ってるだろう、それを前提にして動く。そんで問題ないと思う」
「ほんとかよ……」
「分からん」
またトーヤがきっぱり言うのにギリッと音がするほどに睨みつける。
「あいつがどう判断するか次第だ。けど、多分、今の状態をよしとはしてねえだろう、あいつも」
「それはそうかと思います」
ミーヤがそう答える。
「セルマ様は、神官長と一緒にマユリアに後宮にお入りになることを希望してらっしゃって、今も皇太子様の元へ行かれるようにと説得をなさっているそうです」
「それ見てどうしてんだよ、ルギはさ!」
ベルがむうっと不満そうにそう言うのにトーヤが答える。
「さあて、どうだかなあ。あいつはマユリアの
「俺だったら、そんだけ惚れた女なら、人に戻ったらとっととかっさらってやるがな」
アランがそう言うとベルも、
「おれだってそうする」
「って、おまえは女だろうが」
「男だって女だって同じだろ? そんだけ好きで好きでたまんなかったら」
「それは、マユリアは神で、そのように思うお方ではないからかと」
ミーヤが困ったようにそう答える。
「え、なんで? 後宮に入るってのはさ、そういうことじゃん? なのにルギと一緒になるってのは考えられないの?」
ベルがきょとんとしてそう聞く。
「それは……」
『俺だったら耐えられねえけどなあ、惚れた女が誰かの女になったのをそばでじっと見てるなんてな』
八年前にトーヤがそう言っていたことを、ミーヤは思い出していた。
「まあ、そんだけ遠い人だってことなんだろ」
アランが妹をなだめるようにそう言うが、
「でも本人がそんだけ嫌がってるんだったら、そういうやつなら連れて逃げるぐらいやりそうだがなあ」
「よな? ルギはどうするつもりなんだろな?」
兄と妹がそう言うのを、ミーヤは返せる言葉がなく聞いていた。
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