14 麝香

「わけ、わっかんねえ!」


 ベルが口癖を叫ぶ。


「ほんっと男ってやだ! きれいな女見たらすーぐそんなこと! 触るだのなんだの」

「ちょい待て」


 トーヤが真剣な顔でベルを止める。


「今は真面目な話してんだから、腰折るようなこと言うんじゃねえ」

「なんだよ!」

「黙って聞いとけ、後でなんぼでも言われてやるから。そんで、アラン、どんな感じだった」

「あ、ああ」


 アランは一瞬躊躇ちゅうちょするが、これはそういう話ではないのだと息を整える。


「なんだろうな、ふらふら~っと、ついていっちまいそうな、ほんの少しだがそんな気がした」

「ああ、そういう感じだな」


 ミーヤとベルは男二人が言っている意味がよく分からない。


「ちょっと思い出したことがある」


 トーヤが続ける。


「香水ってあるだろ? 宮の侍女たちはつけてるかどうか知らんが、多分王宮とか貴族の女とかはつけてるよな?」

「え、ええ」

「その香水だがな、いい匂いするだろ?」

「はい。時々すごくきつい方もいらっしゃいますが、大抵はほんのりと花のような良い香りがしていますね」

「いるな、そういうのも」


 トーヤが愉快そうに笑う。


「あの香水を作るのにな、ほんの少し、本当にすこーしだけ、臭いもんを入れるんだよ」

「ええっ、どうしてそんなこと!」


 ミーヤが信じられないという風に言う。


「たとえば麝香じゃこう、聞いたことあるか?」

「いえ」

「そうか、ないか。それを香水にほんのすこーし入れるとな、えも言われぬいい匂いになるんだそうだ」

「本当なのですか?」

「ああ、本当だ」

「そんなこと、信じられないんですが……」

「いやいや、マジだって」

「そもそもその『じゃこう』というのは何なんですか?」

「麝香か、うーん、なんてのかな、なんか鹿の内臓みたいなすごく臭いもんだ」

「ええっ!」

「ほんとだってば。それをな、ほんのすこーし入れると、そりゃもういい匂いになるんだとよ」

「うそだろ?」

 

 ベルも疑わしそうにそう言う。


「いやいや、マジだって」

「信じられねえけど、でも『じゃこう』ってのは聞いたことある。いい匂いだって言ってたぜ?」

「それをほんの少し入れた香水はな。でも現物はそりゃもうくっさいもんだ」

「トーヤは嗅いだことあんのかよ?」

「ある」

「なんでだ?」

「臭いけどな、他にも薬としても使えるし、結構高価なんだよ。そんで、それ運ぶやつの用心棒したことがある。その時に臭わせてもらったんが、そりゃもう臭かったぞ」

「本当かなあ……」


 まだ疑わしそうに見るベルと、その横で同じように信じていいものかどうかという顔のミーヤを見て、トーヤがため息をつく。


「ほんとだってば」

「まあ、それが嘘かほんとかは置いといてだな」


 いつものように話を本筋に戻すのはアランだ。


「その香水だの麝香だのってのがどうしたって?」

「うん、だからな、マユリアもそんな感じがした」

「そんな失礼な!」


 ミーヤが思わず声を荒げる。


「マユリアは尊いお方です。そんな風に言われるような、そんな穢れた物に触れるような……」


 そこまで言って、思い当たったことがあるように黙ってしまった。


「思い出したか?」

「……ええ……」


 認めるしかない。


「そうだ、穢れだよ」

「ええ……」


 本来ならマユリアの任期は十年だ。その前にシャンタルとして十年の務めを終えたらマユリアとして十年、それが限界のはずだった。それが、当代のマユリアはさらに八年、その身に女神マユリアを宿し続けている。


「穢れで命を縮めるんだよな、シャンタルもマユリアも」

「はい、そうです……」

「その穢れの影響が出てるのかも知れん」


 トーヤの言葉にミーヤがつらそうに顔を伏せる。


「そして、皮肉なことに、その穢れによってマユリアは一層美しくなった。聖なる女神、触れることもできぬ尊い存在から、艷やかな美しい存在に、もっと美しい存在になったのかも知れん」

「ですが、見たところお体に障りはないように見受けられます。お元気そうです」

「だから、そういう出方じゃねえのかも知れねえな」

「え?」

「見たところは病気のようには見えない、確かに健康に見える。だが、本人が平気かどうかは分からんだろう」

「そんな、そんなことが……」

「ない、とは言えないってぐらいのことだがな」

「お元気でいらっしゃると、そう思いたいです」

「俺もだ」


 『海の向こうを見てみたい、海を渡ってみたい、そう思っていました』


 この世のものとも思えぬほど美しい女神がそう言った。

 二人でその言葉を聞いた。

 その夢を叶えてもらいたい、そう思った。


「聖なる美しさにほんの少し穢れが混じったら、さらに美しくなったってのか……」


 アランが言葉をなくしながらそう聞く。


「分からんがな、なんとなくそんな風に見えた」


 元があまりに美しすぎる存在であった。

 そのために、この世のものならぬ美しさがさらに美しくなったからとて、誰もそのことに気がつかなかったのかも知れない。

 ただ、外の世界にいて、そして以前のマユリアを知っていたトーヤだけが、その違和感になんとなく気がついたのかも知れない。


「どうして差し上げればいいのでしょうか」

「分からん。ただ、交代が二年も早まってるってのは、もしかしたら、その状態からマユリアを助けるためもあるのかもな」

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