16 我々こそ
トーヤがもやもやとした心を抱えた頃、同じ宮にもう一人、重い気持ちを抱えかねてイラついている者がいた。
「あれほど申し上げたのに、まさかキリエ殿に関わりのある者を私室にまでお入れになるなんて……」
セルマである。
一昨日、マユリアにキリエと接触せぬよう、そして後宮入りを承諾するようにと直談判に行き、最後には己の立場を突きつけられて引き下がることになってしまった。
その後、神殿に足を運び、神官長にとりあえず考え直すと言わせた、との報告はしたが、後宮に入ると言わせたわけではない。
神官長もそのあたりの微妙な雰囲気を感じ取り、必ず受け入れさせるように、と重ねて言われてしまったのだ。
本当なら、一昨日と同じように乗り込んで、直に色々と物申したいところであった。
だが……
『おまえは何者です? そしてわたくしは何者?』
自分があの方のただ一言で、今すぐにもこの存在すら消されてしまう危うい存在である、と知ってしまった。
(もしも、もう一度あのように言い争うことになったら、今度こそわたくしは……)
気持ちの上ではすでに宮の最高権力者のつもりであったセルマは、歯噛みするような気持ちで執務室に座っていた。
一体どうすればいいのか。もうすぐ交代がやってくる。それまでにすべてのことをうまく収めないと自分はおしまいだ。
セルマが今一番邪魔に感じているキリエ、とりあえずあの老女をどうにかして奥宮から、マユリアから引き離さないといけない。そのためには何か、キリエに大きな過失でもあればいいのだが……
仮にも慈悲の女神の
「だが、この宮のため、この国のため、この世界のために誰かがやらねばならないこと」
小さく、だが自分に言い聞かせるようにそう口に出す。
いや、過失でなくとも不調でも良いのだ。ふと、そう思いつく。
マユリアは「キリエが不調で見舞いに行った」との言い訳をしていた。あれは嘘だと思う。不調な者が、その2日後にお茶会の世話などできるものか。
では、その「言い訳」をこちらも使わせてもらえばいいだけだ。そういう結論に達した。
(だが、どうやって……)
セルマは考えた挙げ句、思い切ってまた神殿へと足を運んだ。
「なんという大胆なことを……」
思った通り、神官長はただでさえよろしくはない顔色を、さらに白くしてそう一言口に出す。
「はい、仮にも宮の侍女の申すことではないと重々承知しております。ですが、宮のため、この国のため、ひいてはこの世界のためです。そのためにかぶる泥ならいくらでもかぶりましょう」
セルマはきっぱりとそう言い切った。
神官長はしばらくの間黙ってセルマを見つめていたが、
「あっぱれなお考えです。さすがに私が見込んだだけのことはある」
満足そうにそう言った。
「それに、キリエ殿には少し休んでいただくだけ、お命や今後の体調に著しく悪い影響を与えるわけではない。たったそれだけのことですべてがうまく進むのなら、きっと天も許してくださると思うのです。本当にこの世界のことを思っていてくださるのなら」
セルマもそう言い添える。
「ただ、わたくしにはそれ以上のこと、実際にはどうすればよいのかが分かりません。それで神官長のお知恵をお借りしたく、恥ずかしながらこうしてご意見を伺いに参りました」
「いや、そのぐらいの相談はいくらでもしていただいて結構です。それが世界のためなのです」
「そう言っていただけるとありがたいことです」
神官長とセルマはお互いに満足のできる話し合いになった、と感じていた。
「あなたもご存知の通り、この国は危機にあります」
「はい」
「マユリアはご存知ないことです」
「はい」
「交代の後、人に戻る方には関係のないことです」
「はい」
「そのことを知る者はあなたがおっしゃる通り、己の身も心もそのために捧げなければなりません。そのためにあえて泥をかぶり、血を吐く思いで進むと決意されたあなたは本当に立派です」
「ありがとうございます」
「キリエ殿にはその覚悟がない」
神官長の言い切る言葉にセルマは何も答えない。
「ご存知なのに、だ」
神官長はやりきれない、という風に首を横に振った。
「そしてラーラ様、おそらくは今シャンタル付きのネイとタリアも知っていて何をする気もない……嘆かわしいことです」
セルマはただ黙って聞いている。
「なぜあの方たちは何もしようとしないのか、私には不思議でなりません」
「はい、わたくしもです」
「だが、あなたは違う」
神官長はぐっと一足踏み出し、セルマの目をじっととらえて続ける。
「あなたほど立派な方はこの宮に、いや、この国にはいない」
「おそれいります……」
セルマは恐縮したというように片膝をつき、深く頭を下げた。
「我々こそが、この後の宮を、この国を、そしてこの世界を救うものなのです」
「はい」
「何があろうとも、何をしようとも、成し遂げなくてはならない」
「はい」
「辛いでしょう、苦しいでしょう、ですが、我々こそが成し遂げなくてはならない」
「はい」
セルマはあらためて自分の使命を噛み締めていた。
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