第一章 第四節 シャンタリオへの帰還

 1 下船までの四方山話

 「シャンタルの神域」の西の端の港、神域の入り口の「サガン」の港に着いた日は、それこそ雲一つない晴天の昼近くであった。

 海も穏やかで船も揺れることを知らぬよう。船から港が見えた時は、甲板から外に出て水平線を見つめていた船客たちから、わあっと声が上がった。その声も晴れやかであった。


 港に着くと、船を繋ぎ止めた後、渡り板を降ろして船長と船員が下船すると、サガン側の係員が乗員名簿、船客名簿、荷物などの内容をあらため、確認が終わって初めて船から降りることができる。


「この検めがサガンではすごく厳しい」


 とは、先日、ディレンから聞いた話である。


「だからまあ、呼ばれるまでは部屋でのんびりしてりゃいい」


 そう言って、いつでも出られる準備だけしてトーヤが部屋から出ていった。


「はあ、早く降りたいなあ」

 

 後はストールをかぶるだけで侍女の姿になれるベルが、うずうずしたように言う。


「そうだね、長かったね」


 シャンタルはそう言いながらもいつもと変わらぬように、絹など普段着であるかのように着こなしながら、のんびりと寝台に寝そべっている。

 見慣れぬ人が見たならば、それだけで釘付けになるような優美な姿だが、この部屋にはそんなことにいちいち反応するような人間はいない。アランとベルの兄妹だけだ。


 アランは特になにもせず、床に敷いた敷物の上にどっかりと座り、シャンタルとベルをじっと見張っているだけだ。今回の旅の始まりから、なぜかベルの男関係、と言ってもシャンタルにだけ厳しい目を向けるようになっている。


「ねえ」


 ふと気づいたようにシャンタルがアランに聞く。


「なんだ?」

「なんでアランはそんなにきびしくなったの?」


 もちろん、自分とベルが親しくするのに関して、である。


「そりゃおまえ、ベルが女でおまえが男だからだよ」

「ふうん」


 シャンタルが面白そうに聞く。


「アランはそんなに私が男に見えるようになったの?」

「あ、いや、そりゃ……」


 はっきり言う。

 見えない。

 一切見えない。


「というか、おまえは人間にすら見えねえからなあ」

「でしょ?」

 

 言われて当然のようにシャンタルが笑う。


「よかった、私が何か変わったのかなと思った」

「いや、それは……」


 言われてみれば出会った頃、アランが13歳、シャンタルが15歳だった三年前から変化がないように見える。


「う~ん……今でも精霊みたいだよなあ」

「そう?」

「なんでだ?」


 ベルが横から聞いてくる。


「う~ん、多分だけどね、私がまだ完全に人には戻ってないからじゃない?」

「そうか」


 ベルがあっさりと納得する


「おい、納得すんじゃねえよ」


 アランが驚いてそう言うが、


「え、だってそうじゃん?」


 こういうところなのだ。妹のこういうなんでもそのまま自然に受け入れるところ、大丈夫かと心配するのと同時に、敵わないとも思う。


「ということは、何かあって、ベルが女性に見えてきて心配するんだね」


 シャンタルがニッコリと付け加える。


「じゃあ、なんでもっとトーヤを心配しないの?」

「え?」


 言われてみれば確かにそうだ。危険度で言えばトーヤの方がシャンタルの数十倍、数百倍危険だと言える。


「いや、だって、そりゃな」

「どうして?」

「そりゃトーヤにはもういるからじゃん」


 また横からベルが言う。


「誰が?」

「心に決めた人がだよ」

「へえ、誰?」

「誰って、おまえ……」


 さすがにベルもシャンタルの鈍感さというか、能天気さというかに口ごもる。


「私も知ってる人?」

「ってか、おまえが一番よく知ってると思うぞ」


 思わずアランもそう言う。


「そうなの? 誰だろう」

「いや、本当に気がつかねえのかよ」


 ベルがもう思い切って言ってしまう。


「ミーヤさんだろ」

「え、ミーヤって侍女の??」


 シャンタルが心底驚いたように目を丸くする。


「トーヤがそう言ったの?」

「いや、言ってないけど、話聞いてたら分かんねえかなあ」

「分からなかったなあ、そうなの」


 感心したように言う。


「おまえなあ」


 ベルがじっくりと説教する口調になる。


「この間のおっさんのこともだけど、すごく鋭く深く相手の気持ち分かったように言うことあんのに、なんでそういうとこ鈍いんだよ」

「おっさんって?」

「船長だよ、ディレンだよ」

「ああ」


 あの人か、とシャンタルが思い出したように言う。


「私が何か言った?」

「おまえなあ……」


 今度はアランががっくりと言う。


「おまえの言葉、かなり船長に刺さってたみたいだぞ」

「そうなの?」


 アランが困ったなあという顔になるが、ベルが、


「まあしゃあねえよ兄貴、シャンタルがどういうのかって話聞いて分かったじゃん。こいつさ、なんも考えてないんだよ。そんで、それがこいつなんだよ」


 アランも妹の言う通りだと納得するしかない。


「そう、トーヤはミーヤを心に決めてるのか。で、心に決めるって?」

「そこからかよ!」


 さすがにベルが声を大きくし、思わず口を押さえる。


「あのな」


 近寄って小さい声で言う。


「トーヤはミーヤを好きなんだよ。ずっとずっと好きなままなんだよ、分かったか?」

「へえ、そうだったの。全然知らなかった」

「言うなよな! トーヤに絶対言うなよ!」

「うん、分かった、言わないよ」


 笑顔でそう言うが、兄妹は大丈夫かなあと顔を見合わせる。

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