ビンタしたくもなるの

 教室が静かになった。

 しかし、なぜか桃矢とうやだけは笑っている。


「ははっ、やめろよ鬼塚おにづか君。ぼくに気があるなんて!」


 あっ。

 うまくスライドさせやがった。

 小岩井こいわいさんに、じゃなく、「気がある」の主語を自分に置き換えた。

 まわりは、なーんだ、という空気になる。

 みごとに告白(っぽい言葉)が、キャンセルされてしまった。

 視線を下にさげると、


(ほっ……)


 って音がぴったりの小岩井さんがいる。片手を胸にあてて、目をとじている。

 ムリもない。

 おれみたいな男子に言い寄られるなんて、恐怖しかないよな。

 こわいと思う相手に好意なんかもつはずがない。

 昨日、いっしょにクマミの掃除をしたときは、そんなに拒否られてる感じしなかったけど、本心はイヤだったのかもな。


(ちっ)


 と、おれをイラついた目でにらみ、桃矢のヤツは男友だちのほうへ移動した。

 ことを荒立てるのをけたか。クラスの空気を優先したわけだ。

 あいつも、なかなか賢いじゃ――


(ぐるる……)


 襲いかかる前のケモノみたいな表情。

 あー、なるほど。桃矢がさっさと逃げちまった理由はこれか。

 ふりかえったところに、金田かなだ

 こいつはコワモテな上に空手やってて、フィジカルが半端じゃないからな。

 たとえばクラスの男子全員でバトルロイヤルやったら、まちがいなくこいつが優勝するだろう。


「おい。もうにらむなって」

「いけすかねーぜ」と、視線を桃矢に、つまりおれに横顔を向けたままで言う。「ほんと、いけすかねー」

「もういいよ。でもありがとな。おれのためにプレッシャーかけてくれたんだろ?」

「プレッシャーとかケチなこといわず、いつでもやってやんよ!」


 ぐっ、と血管がういた握りこぶしを顔の前にたてる。

 やめろって。小岩井さん、すごくおびえてるから……。

 そして女子たちの冷たい目線。男子の人気ナンバーワンは桃矢だから、当然、彼女たちはあいつの味方だろう。味方の敵は敵。

 まいったな。

 ただでさえクラスで孤立してるのに、また嫌われのレベルが上がってしまった。

 金田はそんなこと気にもしてないみたいで、おれにへらへらと笑いかける。


「まーよかったぜ。あんにゃろうの毒牙どくがから、まもってやれたじゃん」

「え?」

「え? じゃねーよ、スナ」おれと肩をくみ、そのままばんばんとたたく。「ちゃーんとみてたぜ~。好きなんだろ~ぉ? 小岩井さんのこと」


 タイミング的に、「好」と同時ぐらいにチャイムが鳴った。

 彼女は真下をみるような角度でうつむいていて、どんな顔をしてるのかわからない。


 ◆


 真下をみていたあいつが、顔をあげた。

 ボブカットぐらいで前髪を長くして、片目だけをかくしている。


「どうした鬼塚おにづか。私に用か?」

「いや……」


 放課後。

 おれはせまい部屋で女子と二人きりになっていた。


「思い出した。おまえ、昼休みにグラウンドを横断してただろ。何をしてた。もしや異世界への入り口でも、さがしてたのか?」

「ちょっとスカーフを返しにな」

「ふむ?」


 ばたん、と手元の本をとじる。表紙のぶあつい辞書みたいな本。

 あけはなした窓から、さわやかな秋の風が入ってくる。かすかなキンモクセイのにおいつきで。

 あいつのボサ髪の、横についた寝癖の先っちょがゆれた。

 あいかわらず、女子のくせに見た目に気をつかわないやつだ。


「興味をそそることを言う。すくなくとも、この哲学書よりは面白そうだ……」


 たいしたことじゃないよ、とおれは森、森の中にあるクマの銅像、そこのスカーフをもちかえって洗濯したことを話した。


「鬼塚が?」

「ああ」

「これは鬼の目にも涙だな」

「いや……」と、おれは真面目に反論する。「人はみかけによらない、とかでいいだろ」

 

 かたーん、と妙なタイミングで壁にかけている賞状が落ちた。

 マイナーな大会とはいえ、全国一位の名誉の賞状だ。


「過去の栄光だな」


 つまらなそうに言うと、あいつはまた読書にもどった。

 放課後に、図書室でもない部屋で読書。

 しかし誰にも文句はいわれない。

 なぜならここは、文芸部だからだ。


「これ、三つぐらい上の先輩だっけ?」おれは床からひろって、背伸びして壁にかけ直した。「なんて読むんだ……へんな名前……ペンネームか?」

「べつに興味はない」

「おまえも読んでばっかじゃなくて、たまには小説かけよ。鬼無きなし


 鬼無れい

 やる気のなさそうな目、だるそうな態度、ぼさぼさの髪、社交性のなさ……などなど、かなりエリートの陰キャ女子だ。

 こいつとは腐れ縁がある。

 中一から高一まで、ずっと同じクラスだったんだ。


「そのセリフ、そっくり返そう」


 本に目をおとしたままで言う。


「鬼塚。おまえはかなりの読書少年だったじゃないか。そもそも、私と出会ったのも教室ではなく図書室だった。あのころのおまえはどこへいった?」

「いろいろあるんだよ……」


 まず図書室にいっても、おまえが? という顔をされる。

 休み時間に席にすわって本を読んでても、おまえが? と不気味がられる。

 結果、おれから読書の習慣はきえた。


「おれ……もう帰っていいか?」

「だめだ。まがりなりにも文芸部だろ。ここにいろ」


 そう。

 高一の夏、帰宅部だったおれは、こいつに強引に入部させられたんだ。

 週一だけしか出席しなくていいっていうから、まあ、仕方なく。


 夕焼けが部屋を赤くしている。

 運動部の声も、とおい。


「と」鬼無が顔をさげたままで言う。「ところで鬼塚……こ、こんど、その、よかったら」


 めずらしい。

 いつも淡々としゃべるこいつが、なぜか言い淀んでいる。


「どこかに、あそびに、いかない……か?」

「いいぜ」


 おれはすぐに返事した。


「じゃ金田のやつも呼んで、映画とかみにいくか?」


 鬼無は金田あいつとも面識がある。

 というか、高二になって鬼無だけがべつのクラスになるまでは、おれたちはほとんど三人でつるんでいた。

 おれたちは友だちだ。

 よく「男女の間に友情はあるのか」みたいな話題があるけど、おれは断然「ある」と思っている。

 現に、この鬼無がそうだ。


「な?」

「いや鬼塚……できれば、私と……ふ、ふ、ふ」

「服でも買いにいくか? いやー、今月あんまりお金がないからなぁ」


 おまえと金田が行くならつきあうぜ、と言うと、鬼無は急に無言になった。

 それから数分ぐらいして、帰っていいぞ、と小声で言われたので、おれは帰宅することにした。


 ◆


 部屋でくつろいでいると、


「いって!」


 ほほをぶたれた感触があった。

 椅子にすわったまま、三面鏡のほうに向く。

 予想どおり、ポニテのあの子がいた。クマミだ。

 腕をくんで、ほっぺをふくらませた顔を横方向に〈ぷぃーっ〉と向けている。


「なにすんだよ、いきなり」

「そんなの、私の口からいえないのっ‼」

「なんで?」

「それは……」


 そのままクマミはだまりこんでしまった。

 とにかく、えらくご機嫌ななめな様子だ。


(……もしかして)


 あー、そうか。

 なるほどな。

 おれ、すっかり忘れてたよ。


「ごめん」

「えっ?」クマミがうれしそうな顔を向けた。ポニーテールが新体操のリボンのように空中を舞う。「えっえっ、ごめんって何? もしかして、スナオ、じつはあの子の気持ちに――――」

「笑顔で一日すごすっていうの、すっかり忘れてた」


 一瞬で、クマミが苦虫をかみつぶしたような顔になった。

 せっかくのかわいらしい容姿も、こんなんじゃ台無しだ。

 そもそも、そっちが言ったんだろ。「笑顔でいい印象を与えないと、異性にモテないよ!」って。


「そんな顔するなよ。笑顔のほうがいいんだろ?」


 にこっ、とおれは鏡に向かって今日一番の笑顔をつくった。


「こわ……。スナオ、それほんとに笑ってる? どことなく殺し屋の風格があるよ?」

「笑ってるよ、せいいっぱい」

「ま……しょうがないか。あちらを立てればこちらが立たず。あの子にはちょっと申し訳ないけどね」

「なんの話? あの子って?」

「こっちのは・な・し。いい? スナオ。また明日からスパルタでいくよ? 時間もないんだし」


 座っているおれを見下ろしていたかと思うと、おじぎのように頭を下げるクマミ。

 首元に巻かれている真っ赤なスカーフは、洗いたてでピカピカ。

 おれたちの顔と顔が……近すぎだって。


「よし!」


 人差し指をのばして、おれの鼻の先っちょを押す。


「明日は、コユキと手をつなごう!」

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鏡の国は「告白」を押しつける 嵯峨野広秋 @sagano_hiroaki

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