ビンタしたくもなるの
教室が静かになった。
しかし、なぜか
「ははっ、やめろよ
あっ。
うまくスライドさせやがった。
まわりは、なーんだ、という空気になる。
みごとに告白(っぽい言葉)が、キャンセルされてしまった。
視線を下にさげると、
(ほっ……)
って音がぴったりの小岩井さんがいる。片手を胸にあてて、目をとじている。
ムリもない。
おれみたいな男子に言い寄られるなんて、恐怖しかないよな。
こわいと思う相手に好意なんかもつはずがない。
昨日、いっしょにクマミの掃除をしたときは、そんなに拒否られてる感じしなかったけど、本心はイヤだったのかもな。
(ちっ)
と、おれをイラついた目でにらみ、桃矢のヤツは男友だちのほうへ移動した。
ことを荒立てるのを
あいつも、なかなか賢いじゃ――
(ぐるる……)
襲いかかる前のケモノみたいな表情。
あー、なるほど。桃矢がさっさと逃げちまった理由はこれか。
ふりかえったところに、
こいつはコワモテな上に空手やってて、フィジカルが半端じゃないからな。
たとえばクラスの男子全員でバトルロイヤルやったら、まちがいなくこいつが優勝するだろう。
「おい。もう
「いけすかねーぜ」と、視線を桃矢に、つまりおれに横顔を向けたままで言う。「ほんと、いけすかねー」
「もういいよ。でもありがとな。おれのためにプレッシャーかけてくれたんだろ?」
「プレッシャーとかケチなこといわず、いつでもやってやんよ!」
ぐっ、と血管がういた握りこぶしを顔の前にたてる。
やめろって。小岩井さん、すごくおびえてるから……。
そして女子たちの冷たい目線。男子の人気ナンバーワンは桃矢だから、当然、彼女たちはあいつの味方だろう。味方の敵は敵。
まいったな。
ただでさえクラスで孤立してるのに、また嫌われのレベルが上がってしまった。
金田はそんなこと気にもしてないみたいで、おれにへらへらと笑いかける。
「まーよかったぜ。あんにゃろうの
「え?」
「え? じゃねーよ、スナ」おれと肩をくみ、そのままばんばんとたたく。「ちゃーんとみてたぜ~。好きなんだろ~ぉ? 小岩井さんのこと」
タイミング的に、「好」と同時ぐらいにチャイムが鳴った。
彼女は真下をみるような角度でうつむいていて、どんな顔をしてるのかわからない。
◆
真下をみていたあいつが、顔をあげた。
ボブカットぐらいで前髪を長くして、片目だけをかくしている。
「どうした
「いや……」
放課後。
おれはせまい部屋で女子と二人きりになっていた。
「思い出した。おまえ、昼休みにグラウンドを横断してただろ。何をしてた。もしや異世界への入り口でも、さがしてたのか?」
「ちょっとスカーフを返しにな」
「ふむ?」
ばたん、と手元の本をとじる。表紙のぶあつい辞書みたいな本。
あけはなした窓から、さわやかな秋の風が入ってくる。かすかなキンモクセイのにおいつきで。
あいつのボサ髪の、横についた寝癖の先っちょがゆれた。
あいかわらず、女子のくせに見た目に気をつかわないやつだ。
「興味をそそることを言う。すくなくとも、この哲学書よりは面白そうだ……」
たいしたことじゃないよ、とおれは森、森の中にあるクマの銅像、そこのスカーフをもちかえって洗濯したことを話した。
「鬼塚が?」
「ああ」
「これは鬼の目にも涙だな」
「いや……」と、おれは真面目に反論する。「人はみかけによらない、とかでいいだろ」
かたーん、と妙なタイミングで壁にかけている賞状が落ちた。
マイナーな大会とはいえ、全国一位の名誉の賞状だ。
「過去の栄光だな」
つまらなそうに言うと、あいつはまた読書にもどった。
放課後に、図書室でもない部屋で読書。
しかし誰にも文句はいわれない。
なぜならここは、文芸部だからだ。
「これ、三つぐらい上の先輩だっけ?」おれは床からひろって、背伸びして壁にかけ直した。「なんて読むんだ……へんな名前……ペンネームか?」
「べつに興味はない」
「おまえも読んでばっかじゃなくて、たまには小説かけよ。
鬼無
やる気のなさそうな目、だるそうな態度、ぼさぼさの髪、社交性のなさ……などなど、かなりエリートの陰キャ女子だ。
こいつとは腐れ縁がある。
中一から高一まで、ずっと同じクラスだったんだ。
「そのセリフ、そっくり返そう」
本に目をおとしたままで言う。
「鬼塚。おまえはかなりの読書少年だったじゃないか。そもそも、私と出会ったのも教室ではなく図書室だった。あのころのおまえはどこへいった?」
「いろいろあるんだよ……」
まず図書室にいっても、おまえが? という顔をされる。
休み時間に席にすわって本を読んでても、おまえが? と不気味がられる。
結果、おれから読書の習慣はきえた。
「おれ……もう帰っていいか?」
「だめだ。まがりなりにも文芸部だろ。ここにいろ」
そう。
高一の夏、帰宅部だったおれは、こいつに強引に入部させられたんだ。
週一だけしか出席しなくていいっていうから、まあ、仕方なく。
夕焼けが部屋を赤くしている。
運動部の声も、とおい。
「と」鬼無が顔をさげたままで言う。「ところで鬼塚……こ、こんど、その、よかったら」
めずらしい。
いつも淡々としゃべるこいつが、なぜか言い淀んでいる。
「どこかに、あそびに、いかない……か?」
「いいぜ」
おれはすぐに返事した。
「じゃ金田のやつも呼んで、映画とかみにいくか?」
鬼無は
というか、高二になって鬼無だけがべつのクラスになるまでは、おれたちはほとんど三人でつるんでいた。
おれたちは友だちだ。
よく「男女の間に友情はあるのか」みたいな話題があるけど、おれは断然「ある」と思っている。
現に、この鬼無がそうだ。
「な?」
「いや鬼塚……できれば、私と……ふ、ふ、ふ」
「服でも買いにいくか? いやー、今月あんまりお金がないからなぁ」
おまえと金田が行くならつきあうぜ、と言うと、鬼無は急に無言になった。
それから数分ぐらいして、帰っていいぞ、と小声で言われたので、おれは帰宅することにした。
◆
部屋でくつろいでいると、
「いって!」
椅子にすわったまま、三面鏡のほうに向く。
予想どおり、ポニテのあの子がいた。クマミだ。
腕をくんで、ほっぺをふくらませた顔を横方向に〈ぷぃーっ〉と向けている。
「なにすんだよ、いきなり」
「そんなの、私の口からいえないのっ‼」
「なんで?」
「それは……」
そのままクマミはだまりこんでしまった。
とにかく、えらくご機嫌ななめな様子だ。
(……もしかして)
あー、そうか。
なるほどな。
おれ、すっかり忘れてたよ。
「ごめん」
「えっ?」クマミがうれしそうな顔を向けた。ポニーテールが新体操のリボンのように空中を舞う。「えっえっ、ごめんって何? もしかして、スナオ、じつはあの子の気持ちに――――」
「笑顔で一日すごすっていうの、すっかり忘れてた」
一瞬で、クマミが苦虫をかみつぶしたような顔になった。
せっかくのかわいらしい容姿も、こんなんじゃ台無しだ。
そもそも、そっちが言ったんだろ。「笑顔でいい印象を与えないと、異性にモテないよ!」って。
「そんな顔するなよ。笑顔のほうがいいんだろ?」
にこっ、とおれは鏡に向かって今日一番の笑顔をつくった。
「こわ……。スナオ、それほんとに笑ってる? どことなく殺し屋の風格があるよ?」
「笑ってるよ、せいいっぱい」
「ま……しょうがないか。あちらを立てればこちらが立たず。あの子にはちょっと申し訳ないけどね」
「なんの話? あの子って?」
「こっちのは・な・し。いい? スナオ。また明日からスパルタでいくよ? 時間もないんだし」
座っているおれを見下ろしていたかと思うと、おじぎのように頭を下げるクマミ。
首元に巻かれている真っ赤なスカーフは、洗いたてでピカピカ。
おれたちの顔と顔が……近すぎだって。
「よし!」
人差し指をのばして、おれの鼻の先っちょを押す。
「明日は、コユキと手をつなごう!」
鏡の国は「告白」を押しつける 嵯峨野広秋 @sagano_hiroaki
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