いつも笑顔でいよう

 ぶおー、とドライヤーをかけている。

 髪にではなく、赤いスカーフに。


「よく見ると、けっこうボロボロだな」

「……」

「どうしたんだよ。おれに正体がバレたの、そんなに気にしてんのか?」

「……かわらない」

「ん?」

「かわらないんだって!」


 鏡の中のあいつがローテーブルに両手をついて、いきおいよく立ち上がった。

 ぷしゅん、と小さな音をあげてドライヤーが停止する。

 次は、アイロンだな。


「未来がかわらない! どうして……」


 時刻は夕食をすませた午後八時。

 おれは自室の鏡の前であぐらをかき、台の上にのせたスカーフにアイロンをかけている。


「そんな取り乱すようなことかよ」

「スナオ! おまえは落ち着きすぎだぞっ!」

小岩井こいわいさんは〈クマミ〉って呼んでたけど――」


 むぅ、とあいつの口がへの字に曲がる。


「おれもそう呼ぶぞ」

「やだ」

「クマミ」

「やだやだ」

「このスカーフ、誰がつけてくれたんだ? これも小岩井さん?」


 ぶー、とほっぺをふくらませたまま、首を横にふる。

 その首元には、いつものように赤いスカーフが巻かれていない。

 いい感じに着こなした、女子の制服姿。関係ないが、スカートはみじかめ。


「じゃ、誰?」

「あんまりおぼえてない。先生とかだったかも」

「座ったら?」


 鏡に映る生足は目に毒だ。

 おれはクッションをさしだす。

 鏡の世界ではかわいい女の子がそこに座り、現実の世界では彼女の体の形にクッションがへこんでいる。


「事態は深刻よ、スナオ」

「えっ」

「最初に言ったでしょ、いかにトウヤがわるいヤツかって話。彼のせいでコユキがありえないぐらい不幸になるって話」


 思い出してしまった。

 桃矢とうやが力押しのアプローチで小岩井さんを彼女にし、ひどい目にあわせるって内容を。


「私……かるく考えすぎてたのかな……。何度再確認してもさ、かわってないんだよね」

「未来が?」

「うん」

「むずかしく考えなくていいと思うけど」


 むむ? と彼女がおれに顔を寄せる。

 鏡には、きれいな輪郭の横顔。

 ふぅ、と息らしいものがおれの顔にかかっている。


「スナオ。それどういう意味?」

「そんなにはやく結果は出ないんじゃないか……いや、近いよ」

「つづけて」


 ぱちぱち、と二重まぶたのおおきな目が二回まばたいた。

 スカーフから白い煙がたっているのに気づき、あわててアイロンをオフにする。


「い、いや、だから……せめてあと三日ぐらいは様子をみたら?」

「スナオにしては、冷静な意見じゃん」

「桃矢のヤツも、そんな強引な手段には出ないだろ? もう少し、気長にやろうよ」


 ふーん、と感心したような表情になった。

 が、顔の距離はかえない。


「スナオって、歯とかあごとかの口まわりはいいし、鼻筋だってイケてる。これで身長が平均以上なんだから、女子にモテる条件をけっこう高いとこでクリアできてる気がするけど……ど……ど……」


 リズムを刻むように、何回も「ど」っていう。


「印象を決定づけてるのは、やっぱ〈目〉か」

「目?」

「やや三白眼さんぱくがんで、ぐーっと目を細めたり眉間にシワをつくるクセがあるでしょ? それがね、いかにもワルっそーに見えんのよ」

「そんなこと言われても」

「さっきスナオ言ったね、『気長にやろう』って――そうだ!」


 ポニーテールの子は、おれ、いや鏡に向かって、満面の笑みを浮かべた。


 ◆


 翌日。

 本日の指令は、今までで一番ハードなものだ。

 教室につく前に、はやくも心が折れかけている。


「……」

「……!」


 女子のグループが壁に背中をつけるぐらいにして、廊下を歩くおれを派手にけた。

 男子のグループが、おれの顔を見て、いったん会話をやめる。

 どこかから、おかしいんじゃねーの、とおれに言ったようなセリフもきこえてきた。


(いかん! 笑顔笑顔)


 にっこり、とおれは鏡の前で練習したのと同じフェイスをキープする。

 その顔で教室に入った。

 教室が、どよめいた。


「スナ。それ……なんの修行だ?」


 親友の金田かなだがいっこ前の席にうしろ向きで座る。


「なんかヤなことでもあったのか? こう……笑う門には福来るみたいな発想で」

「変か?」


 さすがつきあいの長いツレだけに容赦はない。


「変だ。第一、目がわらってねー。こえーよ」

「そうか」

「だからこえーっての」

「おれは、今日ずっとこれでいく。おまえのほうでれてくれ」

「いや……なんつーか、口角はばっちり上がってんのに、目だけが無表情とかよぉ……」


 数分たつと、さすがにみんなの興味も失せていった。ふだんの朝の風景にもどる。


「おはよう、小雪こゆきちゃん」


 さわやかな秋風にのって、さわやかな男子の声。

 っていうか――しれっと「小雪ちゃん」……だと?

 桃矢のヤツ……。

 しかも、座ってる彼女の肩に、当たり前のように手をおきやがって。


「大森さんは?」

「あ……あの……一時間目の準備みたいで……」

「やばっ。そのペンケース、すげーかわいいじゃん」

「あはは……」

「小雪ちゃんって、彼氏いたっけ?」


 われながらなんという地獄耳。

 桃矢たちの会話を、はなれていても一言一句ききとれる。

 おれは席をたった。おろ? という表情になるも、金田はついてこない。


「そんなの……」

「まじ? そんなに美人なのに?」

「いえ……私なんか」

「桃矢」


 あ? とイラついた声をあげながら、おれを見る。


「おはよう。今日はいい天気だな」

「……っ⁉」


 一瞬で顔がひきつった。イケメンが台無し……というほどではないが。


「どうした? おれの顔になんかついてるか?」

「鬼塚」と、あいつはおれの名前を呼び捨てにした。「おとといも、こんなことしたよな? いったい、なんのつもりだよ」


 ふむ? と、おれはわざとらしく小首をかしげる。笑顔のままで。


「おまえ、もしかして小雪ちゃんに気があるのか?」


 ぶるるるっ、と小岩井さんの体が高速でふるえた。

 売り言葉に買い言葉。

 あるいは、ケンカのときみたいなアドレナリンが出てたせいかもしれない。

 鏡のあいつが「未来がかわらない」とか不安げに言ってたせいかもしれない。

 まーいろいろあるが、これははっきり言えば〈人助け〉なんだ。

 おれは勝負にでた。


「ある!」


 って、言い切ったんだ。

 このときだけは、無意識に笑顔をやめていた。

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